海軍省記者クラブ黒潮会・<内外諸情勢が無気味な気配をただよわせる開戦前夜の報道秘話と大本営の内幕>
千葉愛雄
事変当時は報道部の前身、軍事普及部という小さい組織で、せいぜい講演会や映画会、国防献金の呼びかけなどの仕事をするだけで、同じ海軍部内からも「チンドン屋という仇名をつけられるほど軽視されていた。
ところが事変が次第に拡大し、上海に飛火するようになると、にわかに軍事普及部の仕事は多忙になった。そこで黒潮会員の活躍もさぞかしと思われるのだが、現実は思第二次ロンドン会議で脱退し、たるものは、各新聞通信社の政治部員に限るという内規があるため、社会部記者は絶対入会させてくれなかったからである。
この編成は人の入れ換えや、敗戦直前の情報局と陸.軍報道部の再統合という経緯はあったが、組織そのものとしては終戦までそれを貫ぬいていたから、当時としては理想的な形態に近かったといっていいだろう。
その黒潮会であるが、いよいよ社会部を吸収してふくれ上り、開戦直前にはそれまでの一社二、三名が七、八名となり、坐る場所もないありさまだった。開戦時における主なメンバーは次のとおりで、すでに故人となった会員も少なくないが、いまなお各界で活躍している名前も数多く見られる。
日華事変中にも多くの記者や写真班が陸海軍部隊に従軍したが、陸海軍から従軍許可のお墨付をもらうだけで、身分上の扱いは兵、馬匹、新聞記者の順序であり従軍の経費その他は全部所属する社の負担、空戦死した場合でも、一片の補償すらなかったのである。
それは「連合艦隊の山本長官の要請によって、旗艦長門に報速攻員一名を同盟から派遣することになった。そこで君に行ってもらうことにしたが、このことは当分口外しないように」といって高額の仕度金を手渡された。連合艦隊の司令長官といえば海軍の神様であり、その旗艦にはいままで外部の者は誰一人立ち入らせなかった。それこそ男冥利につきるというものである。
ところが十日ほどして「報道部の平出課長から連絡があり、旗艦には乗せないことになったから、あの話はなかったことにして他日を期してくれ」というわけで、いとも哀れな結末になったが、旗艦には最後まで誰も乗せなかったことからみても、無理もなかったと自ら慰めている。
十二月下旬のある日、平出課長に呼ばれ二階の課長室に行くと「これからすぐ芝水交社のⅩ号室へ行って、淵田という海軍中佐と会ってくれ、先方には通じてある。君には借りがあるからな」といす。ピンと来てその足ですぐ水交社に飛んで行った。
正直いって私は身体のふるえるのを禁じえなかった。それから約二時間余、母艦出発から雷撃隊常よる攻撃第一波、艦攻による第二次、大型機による水平第三次爆撃、さらに特別攻撃隊による特殊攻撃にいたる戦闘詳報をたんたんとした調子で余すところなく語ってくれた。
戦後、真珠湾攻撃の成果について日米双方から数多くの批判が出された。日本側からは、艦船や航空機だけ叩くのではなく、他の軍事施設たとえば大型の油槽タンク群や、機械工場などを爆撃していれば、米軍の反抗作戦はあと一年は遅れただろうという。
わが方の損害空母一沈没、一大破、巡一大破、未帰還三十五機と発表されたが、実は虎の子空母である加賀、赤城、蒼龍、飛龍の四隻を失い、戦艦榛名と重巡三隈が沈没、同最上の大破を招き、飛行槻二百八十機を母艦とともに沈められたのである。
また日本最初の海軍落下傘部が、セレベス島メナドに降下したのは十七年一月十一日であったが、この発表を陸軍は機密保持上見合わせるよう申し入れた。ところが陸軍の急仕立て部隊が一ヵ月後の二月十一日、スマトラのパレンバンに降下するとへさっさと単独で発表してしまい海軍を怒らせた。
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