『中国紙『申報』、外紙からみた『日中韓150年戦争(51)「(日清戦争開戦1週間前)-ロシア紙、ドイツ紙の報道
2015/01/01
『中国紙『申報』など外紙からみた『日中韓150年戦争
史』―日中韓のパーセプションギャップの研究』(51)
1894(明治27)年7月25日露暦1894年7月13日
「(日清戦争開戦1週間前)-ロシア『ノーヴォエ・ヴレーミ
と独「フランクフルター・ツアイトゥング」
の報道
1894(明治27)年7月25日露暦1894年7月13日
ロシア『ノーヴォエ・ヴレーミャ』
日本人は自らを「極東のヨ一ロッパ人」とみなしており.
ヨーロッパ的な新しい習慣に憎悪を持つ中国文明を蔑視してきた。
上海からの最新情報によれば.日中間の戦争はまだ始まっていないが.いっ始まってもおかしくない。この極東の2大国のうち前者,すなわち日本は朝鮮をめぐる中国との争いを平和的に終わらせようという構えを全く示していないからであり,朝鮮は「改革」を要求するという口実の下に日本軍に占領されたままだ。
北京政府は軍の即時撤退を要求し続けており,日本がこの要求を断固拒否することを想定して,朝鮮のみならず日本沿岸においても軍事行動を起こす準備をしている。朝鮮にはすでに7月8日(20日)大沽(たいこ)から1万2000人の中国軍部隊と8隻の砲艦が派透された。
日本沿岸に対して行動するために残るのは,現在南京と広東にある中国の2艦隊である。軍事衝突にまで至るか否か,今のところ断定は難しいが,多くのことから判断して日本がそのような衝突を恐れていないばかりか、望んでさえいるようだということは推量せざるを得ないところだ。
中国と日本の軍事力の甚だしい不均衡は,天皇の政府を少しも動揺させていないようだ。
どうやら天皇政府は,完全にヨーロッパ風に組織された日本の陸海軍と,最近の一連の実例を当てにしているに違いない。最近の一連の実例を通じて常に証明されてきたのは,中国が現在の戦闘準備では.たとえ数の上ではるかに微小であってもこのように組織された敵には勝てないということだ。
周知のとおり,日本人は全く本気で自らを「極東のヨ一ロッパ人」とみなしており.あらゆるヨーロッパ的な新しい習慣に対して頑なな憎悪を持つ中国文明をあからさまな蔑視をもって見てきた。
日本人はおそらく,中国が自分たちを相手にした場合,フランスと戦った先のトンキン事件のときのような戦果をあげるわけにはいかないものと考えているのだろう。
黄色人種は,ヨーロッパに住む「白色人種」のすべての国民にとって将来も危険な脅威になると,近来多くの者に考えられているが,日本と中国と言えばその黄色人種の2代表国である。
この両国間で衝突が起こったとしても,それが朝鮮をめぐるものでなければ,その争いの結果がどうなるか,激しい好奇心はかきたてられるにせよ,平静に見守ることはできるだろう。中国も将来は持つだろうと言われているヨ一ロッパ式軍備を,日本は万全に整えて進撃するだろう。
一方日本の敵の手には恐るべき武装大衆を戦いに投入することが可能な.おびただしい数の人口が残ることになる。勢力に不釣合があるこのような争いで.どちらが勝利者となるか-これはヨーロッパのすべての民族と政府にとってきわめて重要な問題だ。
1894(明治27)年7月25日独「フランクフルター・ツアイトゥング」夕刊
日本および中国の兵力
兵士,大砲.軍艦の数が国家の軍事力に関する正しい認識を与えるものではないことはつとに明らかな事実だが,しかしそれでもその数字は一定の根拠を提供する。戦争勃発寸前と言われる両国の戦力を以下に簡単にスケッチしておこう。
日本では1872年以来徴兵制が存在している。兵役義務は満20歳に始まり陸軍で3年,海軍で4年,予備役で4年,後備役で5年続く。そのほか満17歳から40歳までは全員が国民兵役に属する。最新設計の武器を装備する陸軍は4万398人を擁する80大隊の平時戦力を有し,21騎兵中隊.各大砲6門を持つ42野戦砲隊.36要塞砲兵中隊,20工兵中隊,14軽重中隊,6憲兵隊を含め総勢7万1179人だ。
戦時の戦力は約20万人にのぼる。日本兵は非常に称賛されている。
行軍において持久力があり,知的で従順だ。将校は合図をするため笛を用いる。日本軍の最も弱い側面は騎兵だ。というのも国土が騎兵の発達にほとんど不向きだからだ。馬は小さいが,酷使に耐える。騎兵はよく教育されている。
砲兵隊はクルップの野戦砲と山岳砲から成り,それぞれに3頭の馬が充てられる。主計局と救護班は称賛されている。
しかし、中国との戦争では陸軍の役割は海軍の役割よりも小さいだろう。海軍は55隻から成り,装甲艦4隻.巡洋艦8隻,砲艦7隻,水雷艇40隻がある。乗員は6815人で大砲数は439門だ。数隻はヨ一ロッパ4人艦長に指揮されているが,乗員はすべて日本人だ。
装甲鑑のうちでは,1877年にイギリスから購入した扶桑のみが近代戦の諸条件に合致しており,龍壊,比叡,金剛は設計が旧式だ。戦艦としてはるかに価値のある8隻の巡洋艦は,前述の檻と同様イギリスで購入されたものだ。巡洋艦千代田は19ノット,巡洋艦吉野はなんと22.5ノットを出す。以前に艦隊動員が発令されたとき,動員は迅速に実現し.ただ2隻だけが予定時間までに出航することができなかった。
日本艦は非常に清潔さを維持している。水兵たちはきびきびしており.大砲を非常に正確に操作し,命中率も良好だと言われる。兵士と水兵は忍耐強く,全般的に見て堅強だと評価される。政府は輸送のため日本郵船会社の船60隻を徴用し得る。
中国軍は日本軍と類似の長所を持たない。というのも,中国軍は非常に信頼のおけない諸要素から成り立っているからだ。中国軍を構成するといわれる80万人のうち.わずかに李鴻章総督の下で訓練され,直隷地方(首都北京)に駐屯する大砲581門(そのうち245門が新式)を備えた9万9000人だけが軍事的に考慮の対象となる。
しかしこの軍隊は中国自身の治安の維持のために必要なので,せいぜい数週間で3万人,数か月でさらに6万人が朝鮮に派遣され得るに過ぎない。かくて中国は動員の迅速さにおいても部隊の質においても日本にはるかに及ばないが,日本の艦船が24時間の航海を必要とするのに対し,中国は陸路で朝鮮に侵入し得るという利点を有する。
信頼し得る事情通がどのように中国軍の価値を判断しているかは,その事情通による次のような注釈からうかがい知ることができる。(中国軍の前教官による「中国」,ライプチヒ,オットー・ヴィガント出版1892年より)
「中国軍は500人で兵営に宿営している。兵営は,古い城郭式の,堅壕のない,粘土の壁でできた四角い建物だ。3ないし15の兵営が集まって1つの町ないし村の近郊に駐屯し,将軍たちの指揮下にある。中国の保塁,要塞は現在もなおお笑い草の状態だ。
。ただ小規模の軍港である旅順だけがヨーロッパ式に建てられた要塞によって防御されている。
兵士たちの維持および装備は,総督と大統領により将軍たちおよび地方軍閥に一定の金額で委託されている。将校はたいていの場合定員の号か3分の2から、4分の1しか充当していない。それは高級官僚の知るところであり,利益は彼らの間で配分されている。
時おり兵営ないし兵営群は短期間ないし長期間閉鎖されるが,会計には組み込まれたままだ。兵士の給与はたいていの場合、劣悪・不十分なので,兵士はしばしば副業で生活費の一部を賄わなければならない。
長期勤務後ないし傷病の際の手当はない。したがって,応募しているのは兵士というよりもほとんどがたちの悪いならず者だ。戦時には.場合によっては,より良い給与と略奪のチャンスがより有能な人物を引きつける。
アジアにおいて略奪と報奨金は,以前ヨーロッパでそうであったように.部隊を精鋭にするための1つの手段だ。兵士たちは歩哨勤務を行う。兵宮内の勤務
は非常にだらしがなく,全く勤務がない場合もある。将軍たちや兵営司令官は自分たちの手で部隊を訓練せず,教練主任に任せている」。
陸軍よりも重要なのはやはり中国海軍である。海軍は4つの艦隊から構成されている。北洋艦隊は砲塔艦4隻.装甲巡洋艦5隻.水雷艇1隻,砲艦6隻.通報艦3隻,乗員2600人と大砲251門から成る。福州艦隊は巡洋艦6隻,通報砲艦2隻.輸送通報艦4隻,乗員1865人と大砲103門から成る。この艦隊は戦艦を1隻も有しない。
それは上海艦隊も同様だ。上海艦隊は,巡洋フリゲート艦1隻,巡洋砲艦2隻,合計で大砲を18門備える海上砲台6基,輸送艦3隻.総計で905人と大砲77門から成る。広東艦隊は巡洋水雷艦3隻,大型水雷艇22隻,小型水雷艇9隻,大砲190門から成る。見てのとおり.軍艦95隻,乗員7100人,大砲650門を備える中国海軍は,数の上では日本海軍を凌駕している。
しかし中国海軍は質.装備,組織,能力のあらゆろ点で日本海軍にはるかに及ばない。
朝鮮軍に関しては.公称5万人とされている。そのうち少なくともソウルに駐屯している6750人はアメリカ人によって教育されていると言われる。約2000人が駐屯している平壌およびその他の地区では中国式で訓練されている。
朝鮮軍兵士の給料は非常にわずかだ。朝鮮軍兵士は中国軍兵士と同様,休日における「小遣い稼ぎ」と副業が頼りだ。朝鮮に在留しているヨーロッパ人は軍事面での保護をほとんど期待することができない。
3つの条約港-仁川(済物浦),釜山,元山-には73人の欧米人が居住している。条約港に居住している欧米人のうちイギリス人が23人で最も多く.つい
でドイツ人19人,アメリカ人17人,フランス人13人.残りがデンマーク人,ポルトガル人,ロシア人.イタリア人だ。日本人の人数は7254人.中国人は約700人だ。
首都ソウルの欧米人は約60人,多くは宣教師だ。外国会社の数は今年の初めの見積りで198杜だ。このうちドイツ籍の会社はわずか2杜,アメリカ籍とロシア籍がそれぞれ1社だ。ロシア籍の会社を除き,これらの会社は仁川で業務を行っている。
その他の会社はすべて日本籍か中国籍だ。とりわけ日本籍の会社は167社で,圧倒的な数だ。したがって外国貿易は日本人により独占されていると言ってもよい。
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