『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉔『開戦2ゕ月前の「ロシア紙ノーヴォエ・ヴレーミャ」の報道ー『ロシアと満州』(その歴史的な権利と経過)『1896(明治29)年の条約(露清密約、ロバノフ協定)に基づく』●『ロシア軍の満州からの撤退はなおさら不可能だ。たとえだれかが,この国で費やされた何億もの金をロシア国民に補償金として支払ってくれたとしても。』
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉔『開戦2ゕ月前の
1903(明治36)年12月7日 露暦1903年11月24日
『ロシア紙ノーヴォエ・ヴレーミャ』
『ロシアと満州』(その歴史的な権利と経過)
現在,ロシアの満州に対する関係は,ロシア・中国関係に対する第三国の干渉や,ロシアによって満州に関する協定が結ばれた際.なんらかの権利放棄金を得ようと考えている他の列強の思惑など,さまざまな副次的な要因のため非常に複雑になっている。
それ故,満州問題の本質や,この問題のあれこれの解決の可能性を分析するの
は,むだなことではないだろう。
そのための資料となり得るのは,ロシア政府の通報,他の列強諸国によって出版された外交文書,および消息通の見解などである。
ロシア軍による満州明渡しに関する1902年3月26日の合意に添えられた政府通報では,1896年の条約による決定にっいて言及されている。
それによれば,
「1896(明治29)年の条約(露清密約、カシニー密約、李鴻章-ロバノフ協定)
は隣り合った両帝国の友好的な相互関係の基礎となるべきものであった。この防衛協定によってすでに1896年にロシアは中国の独立と不可侵の原則を支持する義務を負うことになり一方、中国は満州を横断する幹線鉄道を建設する権利,およびその事業と直接結びっいた重大な特典を享受する権利をロシアに提供した」(外務省年報,1903年,214ページ)。
「ロシアはアジアにおいて,1年申開いている不凍港を持ったことが1度もなかった。そのため,大陸で突然軍事行動が起こった場合,東方海域や太平洋のロシア艦隊が,自分の判断で自由に行動することは難しいだろう。中国はこれを完全に理解し,山東省の膠州港を一時的にロシアの使用に供することに合意する。
ただし,その貸与期間は15年間に限られる。この期間が終わったとき,中国は上記の港の貸与中、ロシアによってそこに建てられたすべての兵舎,倉庫,修理工場,ドックなどをもらい受けることとする。しかし,もしも軍事行動(第三国の)がロシアを脅かすようなことがなければ,ロシアはこの港を直接領有することも,この港を見下ろす重要な地点を占拠することもしないだろう。
それは他の列強諸国の嫉みや,疑惑を呼び起こさないためである。貸与料や支払方法に関して言えば,それは今後さらに結ばれるべき取決めの内容となるだろう。
遼東,旅順口,大連湾などの港やその近辺は戦略的に重要な拠点なので,中国はその守りを直ちに強化し,すべての防御施設を再建するなどして,将来の危険から身を守ることとする。ロシアはこれらの港を守るために必要なあらゆる援助を中国に与、え,この間題へのいかなる外国勢力の介入も許さないだろう。
一方,中国はこれらの港を決して他国に譲り渡さないこととする。しかし,将来,状況によってロシアがやむを得ず突然戦争に引き込まれた場合,中国はロシアが防衛,あるいは攻撃のための戦争を遂行できるように,自国の陸海軍勢力を一時的にこれらの港に集中するのを許可することに合意する。
しかし,ロシアに対する軍事行動勃発の危険がなければ,中国は上記の旅順口と大連湾の港の統治を完全に自らの統制下に置くものとし,ロシアはこれらの港の統治に介入しない」
1896年の条約の写しが上海で公表されたがために,1897年11月14日にドイツ軍が膠州を占拠し.イギリスが大連湾を公開港にするように要求し,さらに自らの艦隊を旅順に派遣して条約の実施を麻痺させようと試みた,ということだ。
そして,ロシア軍が旅順を占拠したのはその後.1898年3月16日のことだった。さらに私にとって疑問の余地のないのは,この条約が実施されなかったがために,1900年夏に中国軍によるプラゴヴェシチェンスタ砲撃や,相当な距離にわたる鉄道の破壊,技師たちの殺害,さらにロシア軍による満州の占拠といった事態が引き起こされたということだ。
日清戦争と,日本軍による遼東の占領-ただし,この遼東を日本は3000万テールの代償を得て,1895年10月28日に放棄した-といったことは,すでに崩壊しかかっていた王朝を揺るがさずにはおかなかった。
1850年から1864年にかけて続いた太平天国の乱は,イギリス人,フランス人,アメリカ人などに制圧された。日本による一撃は,ロシアによって振り払われた。しかし,満州を占拠することによって,ロシアは王朝に残っていた最後の影響力を最終的に打ち砕き,それ以後,王朝はもはや中国でいかなる意味も持たなくなっている。
一方その間,王朝から力と意味を奪っておきながらも,われわれは王朝を支え守り続けたため.その結果,中国の生命力のある精力的な階層をすべてイギリスと日本の抱擁の中へと向かわせることになってしまった。
ヨーロッパ人はすでにだいぶ前から,満州王朝は自分たちにとって露も都合のいい買弁だ,という考えを持っている。
中国で活動するヨーロッパの銀行や商館には,地元の人間との関係を取り持つ中国人の番頭,つまり現地の住民とヨーロッパ人の間の仲介者がいて,これは古いポルトガルの言葉で買弁“comprador,’-「買付け人,食橿調達者」-と呼ばれているのだ。宮廷が中国から国の奥地に逃げたとき,ヨーロッパの代表たちは,力ずくで宮廷を北京に戻そうとしたが,それも現地の住民と合意を結ぶための買弁が必要だったからだ。
しかし.一般に受け入れられているこういう考えは,私には根拠のないものに思える。皇太后は王朝の最後の強力な人物であり,彼女の死とともに-彼女の死は遅かれ早かれ,来ないわけにはいかないし,おそらく遅いというよりはむしろ早く来るのではないか-中国の崩壊が始まるだろう。
中国に満州の全部,あるいは一部を返したところで.一部の人たちが予想しているように,王朝の威厳を復活させるわけにはいかないだろうし,また,占領を再開する必要性からロシアを切り離すわけにもいかないだろう。
不安に満ち,無政府状態となった満州から撤退することは,満州問題の解決にならないばかりか,その間題の尖鋭化と危険を呼び起こすことになる。満州のロシアへの併合を公然と宣言することだけが,1896年の条約が守られなかったことから生じた出口のない状態を解決できるだろう。
実際のところ,個別のいくっかの部隊によって満州を占領したからといって,これらの部隊が地元住民といかなる関係を結んでいるわけでもない。ある阜きロシア軍の隊長が,ある中国人の処刑に立ち会うよう招かれた。
死刑が執行されたとき,隊長が知ったのは,その中国人が処刑されたのは食糧をロシア軍に売った罪のせいだということだった。これでは他の中国人は,彼のまねをしようとはまず思うまい。
1901年(明治34)に設立されることになっていた奉天の総督府付属の機関にしても,総督が在北京のイギリス公使や日本公使を頼っている限りは,望ましい結果をもたらさないだろう。
かつて関東半島の金州に自治権を与えたところ,その結果この町は反ロシア宣伝の温床となってしまったわけだが,こういった経験から分かるのは,ロシア人と地元住民の間に,ロシア人に対して敵意を抱いた中国の官吏たちの壁が存在しているこの国にとどまるのは,ロシア人にとっていかに危険かということである。
そういうわけで.ロシア軍の満州からの撤退はなおさら不可能だということは.私には自明と思われる。たとえだれかが,この国で費やされた何億もの金をロシア国民に補償金として支払ってくれたとしても。
また,たとえ撤退が可能であったとしても.それは無益なことだろう。
なぜならば,ロシアが満州王朝に加えたあのとどめの一撃の後では.この王朝はもはやよみがえることも,失った影響力を取り戻すこともできないからだ。仮に中国で皇帝の死とともに,新しい王朝が中国の南か,あるいは中央から興って支配権を握るとしても,その新王朝にとってモンゴルや満州の問題は大きな意味を持たないだろう。
満州人は新たな王朝を作る可能性を持っていない。なぜならば,完全な中国化のせいで満州人など,もはや存在しないからだ。そして,仮に存在したとしても,異民族が中国で支配者となるチャンスはもはや全くない。反満州人の運動は,民族的な運動であり,この運動を指導し,それを助けることができる者は,
中国で起こりつつある革命から生ずるすべての利益を自分の手中に収めることになるだろう。
中国史の研究家には非常によく知られている,中国の従来からの二重性が,南方の総督たちの反ロシア扇動をはじめとして,またもや外に現れ出ようとしている。そして,この二重性は無視できない手ごわいものとなるだろう。
S‘スィロミャトニコフ
関連記事
-
-
『オンライン爆笑動画/内田百閒のユーモア講座『一億総活躍社会』『超高齢/少子化日本』の国策スローガンを嗤う 「美食は外道なり」「贅沢はステキだ」「国策を嗤いとばし、自己流の美学を貫いた」超俗の作家・内田百閒(81歳)
2015/11/15 知的巨人たち …
-
-
日本メルトダウン脱出法(762)「衝撃データ入手!大嘘つき中国のGDP6.9%増「本当はマイナス3%」だった 、「チャイナリスク」に備えよ」●「焦点:南シナ海の中国けん制、艦船派遣に至る米政権内の葛藤」
日本メルトダウン脱出法(762) 衝撃データ入手!大嘘つき中国のGDP6.9% …
-
-
速報(301)『世界中から心配の4号機がピサの斜塔となる』『5月18日(4号機の)まだ壊れてない燃料を即移動せよ(小出裕章)』
速報(301)『日本のメルトダウン』 ●『世界中から心配されている4号機がピサの …
-
-
『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(44)』★『ルーズベルト大統領だけでなく、ヘイ外務大臣、海軍大臣とも旧知の仲』★『外交の基本―真に頼るところのものはその国の親友』★『 内乱寸前のロシア、挙国一致の日本が勝つ』★『 ●金子はニューヨークを拠点に活動』
2011年12月18日 日本リーダーパワー史(831)記事再録 ★『ルーズベルト …
-
-
「終戦70 年」ージャーナリスト高杉晋吾氏が「植民地満州国」での少年体験を語るー防空壕に退避の母、姉、自分など7人が爆弾直撃で、ただ1人生き残る。
「終戦70 年」歴史ジャーナリズムージャーナリスト高杉晋吾氏が 「植民地満州国」 …
-
-
裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は?!=真犯人は出所後にウソを告白した(上)
裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は=真犯人は出所後にウソを告白した(上) …
-
-
新一万円札の肖像画となった渋沢栄一翁(91歳)は「日本株式会社の父」ー「すでに150年前に現在の米国型強欲資本主義」を超えた「道徳経済合一主義(仏教的資本主義)を実践した稀有の資本家」★「人生100歳時代の先駆者として、年をとっても楽隠居な考えを起さず死ぬまで社会に貢献する覚悟をもつ』
日本リーダーパワー史(88)経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済 …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(88)若槻泰雄「日本の戦争責任」ー「どうして日本の軍隊は残虐行為をしたのか」「バターン死の行進」①
終戦70年・日本敗戦史(88) 若槻泰雄「日本の戦争責任」ー 「ど …
-
-
『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㉜』★『海軍の父・山本権兵衛の最強のリーダーシップと実行力に学ぶ』★『最強のリーダーパワーとは『無能な幹部は首にして、最強の布陣で臨め』
2011/02/12 日本リーダ―パワー史(122)東日本大震災の1 …
