終戦70年目に「アジア・太平洋戦争」の真実をフリー電子書籍「日本敗戦記」志賀哲郎著 新文社 (127頁、1945年刊)で読み解く。
2015/01/01
終戦70年目に「アジア・太平洋戦争」の真実をーー
フリー電子書籍「日本敗戦記」志賀哲郎著 新文社
(文庫版、127頁、1945年11月刊)で読み解く。
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=152
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=152&article_id=4842
アジア太平洋戦争敗戦の1945年8月15日以降で、戦時中100%報道が禁止されていた戦争中の内幕を暴露した最初の本は同11月に毎日新聞東京本社社会部長・森正蔵が刊行した『旋風20年―解禁昭和裏面史』(鱒書房)であろう。
これは戦後、最初のベストセラーとなった。この「旋風20年」と同時期の11月に出版されたのがこの「日本敗戦記」志賀哲郎 新文社(文庫版、127頁、1945年11月刊)である。
この志賀は何者かの経歴は調べたがわからない。新文社とは『新聞社』をかけたものではないか、この本の内容は大東亜戦争への道、15年戦争の内幕を的確にまとめており、新聞記者の書いたものと思われる。
目次は次の通り
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=152&article_id=4842
「銘記す混迷と汚辱の日」「運命の日十二月八日」『偽「勝利の記録」』「神州を空襲に晒す」「終戦の大詔下る」「劇的な降伏文書調印式」
「ポツダム宣言全文」「ポツダム宣言の持つ意義」「戦争犯罪者とは何か」
「戦争は誰の手で計画されたか」「醜い軍部の派閥争ひ」「三月事件」とは何か、
「十月事件」の眞相、「清軍派追出しの陰謀」「戦争を弄ぶもの」「軍閥・和平の機会を逸す」「何處に勝味があったか」「眞の戦争責任者は誰か」
「東條内閣奏薦の裏面史」「生命の惜しい重臣ども」「開戦は何時決意されたか」
「眞珠湾かシンガポールか」遅らされた宣戦布告」「我が戦術への疑問点」「真珠湾攻撃の錯誤」
「不徹底な濠洲作戦」「ソロモン海戦の失敗」「勝機を逸した日本」「戦争の呼吸を知らぬ日本軍」
「わが聯合艦隊の偉容」
「輝かしき緒戦の戦果」
「第一段作戦頓座す」「惨たるミッドウェーの敗戦」「損耗して行く聯合艦隊」
「将星二つ墜つ」「マリアナの玉砕」「我が機動部隊遂に壊滅す」
「問題にならぬ劣勢空軍」「我が陸海軍の損耗実数」「彼我艦船の生産と損耗」
「日米航空機の勢力比較」「我が優秀な秘密兵器」「餓死線を行く国民」
「湯水の如く濫費された軍費」「中野正剛自殺の眞相」「伏魔殿の如き官廳」
「貪慾飽くなき財閥」「一人の責任を取る者なし」「宮城占領の不逞團」
「なほ醜態を晒す軍閥の最後」「某大佐憂国血涙の遺書」「噫!神州敗れたり矣!」
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