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日本リーダーパワー史(332)空前絶後の参謀総長・川上操六(45)日清戦争の遠因となった清国水兵の長崎事件とは何か。

      2015/02/22

日本リーダーパワー史(332)
坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」
空前絶後の参謀総長・川上操六(45)
<日清戦争の遠因となった清国水兵の長崎事件とは何か。
―日中衝突・対立エスカレ―ション、外交失敗の先駆例>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
長崎事件とは・・
 
 明治21年2月、海軍大臣西郷従道は、強大な清国の海軍力に脅威を感じ、従来の計画を改め22年から5年計画で、艦艇46隻の建造計画を立てたが財政面から承認されず翌23年までに建造されたのはわずか5隻。巡洋艦1隻砲艦も1隻(他に水雷艇2隻であった。
 こうして明治15年以来9年間、血のにじむような苦心努力の結果、現有艦艇および建造中の軍艦を含めて25隻、5万余トンの海軍力となった。
明治23年七月に第1回の衆議院議員の総選挙がおこなわれ、11月には第1回帝国議会が開かれる。政党対藩閥政府の激突が予想される。そのなかで莫大な費用を要する海車力の増強どうなるのか、当海軍首脳部の悩みは深刻だった。
さらに、軍艦建造とは別に四方海囲まれている島国のわが国では、沿岸防備のため強力な海岸砲台の設置が叫ばれた。しかし、貧弱な当時の国費ではとうてい捻出できない。
 伊藤博文の海岸砲台の建設の発議も、西都従道の海軍力増強も強大な清国の海軍力の脅威があったからである。その清国の大艦隊が日本に来航したのは明治19年8月であった。

清国北洋水師提督丁汝昌は旗艦定遠に乗り、鎮遠、済遠、威遠の三艦を帥いて、長崎港に寄催したのは8月10日のことである。

7月中旬に本国を発し、朝鮮の仁川に立ち寄りロシアのウラジオストックを訪問、その帰路に立ち寄った。最初から長崎を目ざしたものでなく航海の途中、定遠の艦底が破損したため、その修理のため寄港したのである。

酔っぱらった清国水兵による長崎事件
 
 「改進新聞」(八月十九日付)によれば、丁汝昌の談話として日本では神戸港を経て横浜に至る予定だったが、水兵の暴行事件のため予定を変更して、長崎から本国へ引き返している。
定遠艦長は英国士官のロング大佐で、英国やドイツの海軍士官多数が乗組んで、清国の士官や水兵の指導に当たっていた。航海訓練と日本へのデモンストレーションが目的だった。
定遠・鎮遠は共に七二〇〇トンの巨艦で、ドイツから購入したばかりの新鋭艦で、このような巨艦は東洋にはなかった。日本の戦艦では扶桑が一番大きくて三七〇〇トンというから、その2倍もあり日本人の肝を冷やした。
航海中は英国やドイツ士官の訓練が厳しく、水兵たちも規律正しく行動していたが上陸すれば気分は一挙に解放された。
八月十三日、定遠の清国水兵5人が上陸して酒を呑み酩酊した上に、丸山町の遊郭で遊ぼうとしたが、楼主に断られたため腹を立てた水兵が持っていた刀で戸や障子をメチヤメチャに壊したのが、破損したのが長崎事件の発端である。
急報で駆けつけてきた巡査は取り鎮めようとしたが言葉が通じない。やむなく派出所に連行しようとしたが、水兵は逃走した。間もなく水兵が十五人ばかり、士官らしい者が指揮してやってきた。その中に二人がいたので巡査が拘引しょうとしたが抵抗し、刀で斬りつけてきた。巡査は重傷を負ったが応援の巡査二名と協力して取り押え、長崎警察署に引き渡した。
 こんどは八月十五日、清国水兵300人ほどが、日本刀や棍棒をもって続々上陸してきた。中には士官も多数混ざっていた。四、五名から七、八名ずつ各所を徘徊し、夜に入っても帰船しない。長崎讐察署では非常警戒体制をとり、三人一組となって市内を巡察していた。夜に入って間もなく各所で巡査が水兵に包囲きれて、殴打されたり、斬りつけられるという暴動となった。
はじめは傍観していた市民も、剣や棍棒をもって各所で巡査たちを助けようと清国水兵と乱闘となった。十一時頃になってやっと水兵たちは引き上げた。
 以上は長崎港清国水兵事件の概要である。結局、死傷者は清国の士官一名、水兵四名死亡、重傷六名、軽傷九名、日本側は巡査の死亡四名、重傷一名、軽傷傷十八名、居留民の支那人も死亡五、六名、長崎市民も重軽傷者多数を出した。このため丁汝昌は日本巡航を取れ止めて、早々に本国に帰航してしまった。
時事新報はこの事件の長崎控訴院検事長の求刑書をスッパぬいた。
 
●『日清両国間の国際重大問題―長崎事件の全貌を探る』(明治19年11月22日付、時事新報〕
 本月十三日午後8時30分頃、長崎区寄合町貸座敷宅で清国軍艦水兵・王発ら四名が暴行をおこない、器物損壊の現行犯として当店からの通報で、長崎警察署丸山派出所・黒川小四郎巡査が現場に行き制止スルモ聴かず、その姓名を問いただそうと引致しようとすると、4人はいったん去ったが再び大勢の清国水兵と共に現れ、日本刀をもって丸山派出所前にあつまり、その先頭に4人組の主犯王がたっていた。黒川巡査がつかめようとすると、王は日本刀でくろかわの前額部を斬りつけて重傷させた事件で・・・・、
 同年8月24日附を似て長崎控訴院検事長より、同月十五日の水兵暴行一件に付き清国領事へ送りたる以下は求刑書である。
 十九年8月十五日、長崎港碇泊貴国兵船4隻の乗組み士官、水兵無数上陸し、午後六時の頃に至り、わが巡査坂本某が、貴国人居留地広馬場町巡ら中、その水兵の内一名突然肩を張って坂本の胸部を激突したるも、坂本は人民保護の職にあるを以って敢て其非を問わざりしに、再びその水兵は持つ所の洋装小刀を坂本の面前に閃めかしまさに害を加へんとする形容をなし、侮辱したるも忍耐し居たり、
その後また清国水兵の一人同所にありし巡査河村に対しても、同一の所業を以て陵辱を加へたれども、これまた不問に附したりといえども、要するに貴国水兵の挙動不穏なるのみならず、群集雑沓平日に異なるの状況あるを以て、特に巡査福本、黒田は広馬場町に派遣し、もう一人と午後8時定規交代した。坂本、河村は梅香警察着に帰りたり。
福本、黒田巡査ら3人は交代間もなく廣馬場町を巡視中、居留清国人民の一人が突然福本ら2人の携帯せる警棒を取るらんとし、手を以て面部を撫でられも敢て意となさず、数歩これをさけるや、再び右居留清国人民が坂本の道を遮り、福本が携帯せる警棒に手をかけ、また貴国人民の一人は福本の後に在りてー加勢し、共にこれを強奪せんするを振るまうや、あたかも符節を合わするが如く、貴国水兵五六十名が貴国人民の家屋より突出し、三名の巡査を取り囲みし携えた刀剣、棍棒で乱撃、瓦石を投じて福本巡査を殺害し、もう一人の巡査に重傷をおわし、黒田巡査は辛うじて警察署に帰り事件を伝えた。
梅香崎警察署においてはこの警報を得、直に詰めていた巡査若干名をくり出したる所、最早百数十名の貴国水兵、広馬場町に螺集し種々の利器を携へ、現に黒服を着したる士官体の者、抜刀隊を率いて我先に撃進、梅香崎警察着の門前まで襲来たる勢、猖獗にして、他に防止るの道なきを以て、警部、巡査は職務上携ふる所の洋刀警棒似って之を防ぎ、広馬場町と警察署の間を互に進退、漸く午後10時過ぎ鎮静するに至り、この貴国水兵士卒のために即死、負傷せし人名左の如し。
(即死)巡査福本富三郎。(負傷)警部補、巡査計24人)名前省略
 又長崎警察署においては貴国水兵暴行の報を聞き鎮撫応援を令す、巡査森は直ちに人力車に駕し、船大工町に向て馳せ、思切橋を通過するや、その場にいた数十名の貴国水兵は、群起して森巡査を乱撃し、引落して至重の刺傷を加へ、ついに死に至らしめ、援する数名の巡査を要撃し、更に丸山口より貴国水兵数十名馳せ来り、勢を合せて暴行いよくはげしく、巡査は概ね傷を被り危害切迫、止むを得ず佩剣をぬき警棒ではらい百方拒闘してやっと貴国水兵散乱し、鎮静するを得たり、この際、負傷のため死亡した巡査一人。負傷者4人。
 もっとも貴国兵船士官水兵がかく暴行をなすや偶然にあらず、さきに丸山町青楼に於て、貴国兵船定遠号の水手暴行をなし、わが巡査を傷けたるを似て貴国水手玉発なるのを引致し、直に貴理事府に交せしに基因し、健闘兵船士水手等の内、宿意をはさみ予め共謀し、似て警察及び巡査に対し暴行を企てに及びたるものとす・・・・・
当時の国民がこの事件に衝撃を受けて、清国の海軍力を
おそれたかは
石光真清もこう書いている。
 「私が幼年学校時代の明治十七年、清国の北洋水師提督丁汝昌の率いる北洋艦隊が、堂々と艦列を組んで長崎港に入った。我が国へ威圧を加えに来航したのである。
まだ見たこともない七千トン級の定遠、鎮遠という大艦を旗艦とする大編隊であったが、当時わが国にはわずかに鋼鉄艦として三千トンの扶桑が一隻あっただけである。
時は丁度、朝鮮において日清両国の外交争覇が火花を散らし末、全権公使の竹添進一郎氏が敗退するという惨めな事実にあつたから、長崎市民の驚きもさることながら、日本政府も腰を低くして清国艦隊のご機嫌をとり、清国水兵と衝突しないよう一般市民に指示したものある。
上陸した清国将兵は傍若無人の狼籍をしたが、日本官憲は手の出しようもなかった。市民は戸を固く閉ざしてふるえあがり、被害の始末を他日のこととして、一日も早く艦隊の去ることのみを祈ったのである。
この艦隊が東京を訪問した時も、わが国は朝野を奉げて大歓迎を行い、乗ずるスキをえないことに懸命であった。(石光真清『曠野の花」三〇五頁)。
『政府は外務省取調局長・鳩山和夫、内務省保局長・清浦奎吾を長崎に派遣して、事件の調査をし、談判したがまとまらず11月16日に中止したその後、東京で、我が外務省は
清国公使と交渉し、両閥互に子沙ナることなく、各自国の法律に照らして公平に犯人を処分する.ことにし、これを以て此の事件の終局とした。
 理非曲直のこれほど明瞭な事件に対しても、政府か断乎たる処置をとり得なかったのは、全く当時の外交方針が謙譲、寛大を旨とし、外囲のきげんを損じないようにして、条約改正の目的を達しよぅとしていたからで、常時見識ある人々が政府の態度に憤慨した。」
(北垣恭次郎「大国史美談、7巻」)
 この事件が新聞などで報道されると清国水兵の暴行に憤慨して、清国に厳重に談判すべしとの声があがった。外相井上馨と清国全権公使・徐承祖と談判したが清国側は非を認めようとはしない。結局、ドイツ公使が仲に入って斡旋の労をとり二十年二月八日にようやく協定が成立した。
それは事件の犯罪者は各各の法律で処分し、犠牲者には自国の政府が見舞金や弔慰金を支払うというものであった。
 事件はもともと清国水兵の暴行から起こったもので、取り鎮めようとした巡査や、水兵に襲われた巡査が殺傷された。清国の水兵や居留民の死亡や、重軽傷は乱闘によっておこったもので、義憤を感じて応援にかけつけて多数の市民も巻き込まれた。
これに対して清国は謝罪をしないのみならず、日本側の対応を非難し大清国の威力を示した。日本側も清国水兵の非を鳴らしたが、結局押し切られて決着した。東洋一の老大国に対して弱少の後進国日本は、互角に談判できなかったのである。この報道は日本国民を激昂させた。これが七年後の日清戦争での遠因となり、激烈な敵がい心となって現れた。
        当時の日清の力関係、軍事的なアンバランスはこのようなものだったのである。

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