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<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑩伊藤博文や山県有朋ら元老、巨頭を自由自在に操った神出鬼没の大黒幕

   

 

 

<日本最強の参謀は誰か杉山茂丸>⑩

 

 

 

人は法螺丸と呼び、自らは「もぐら」と称して政治・外交・戦争

の舞台裏を生きた怪物・破天荒な策士・杉山茂丸の黒子人生

日清・日露戦争をはじめ明治政府の国家的プロジエクトの陰で

伊藤博文や山県有朋ら元老や巨頭を自由自在に操った

神出鬼没の大黒幕

 

<月刊「歴史と旅」(19984月号)に掲載>

 

           前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 

 

 数日後、児玉から桂あてに電報が届いた。「軍状報告のため上京したいので勅許をいただきたい」というものであった。

 三月末、児玉は秘密裏に帰国して、四月八日に御前会議が開かれた。

 五月、日本海海戦勝利。六月、米国大統領ルーズベルト、日露両国に講和を勧告。

 満州軍の各軍司令官を奉天に招集して講和を伝えるべく、山県は七月十四日、東京を出発した。その一行には村田淳陸軍少将らの陸軍軍人のほか民間人として唯1人、杉山が加わっていた。

 暗号電報など講話に重要な役割を果たしたことは、最高機密の満州行きに山県と参謀本部の軍人ばかりのなかで、杉山がその知恵袋として同行している点をみてもわかる。

 

 この時、同行した堀内文次郎中将は「黒白」(大正十四年三月号) に秘話

を紹介している。

「山県公以外に杉山が乗船することは誰も知らず、全員唖然とするなかで、ノコノコと乗ってきた杉山は山県公のケビンに入ったきり出て来ない。何が話し合われているかまったくわからない。

 奉天に着くや各人の割り当ての部屋があるのに、杉山は児玉総参謀長の宿舎に泊り込んだ。参謀本部の部下でも容易に入ることの出来ない中で、二人の苦心の策が南満州鉄道であった」

 

 杉山の活動について堀内は、児玉、山県、寺内の存命中は「政治、外交、軍事の秘密金庫であった」とも述べている。

 

 

 杉山は満州軍総司令部の奥の一室に自由に出入りして、児玉の寝室で一緒に枕を並べて寝起きしていた。

 今後の満州計画を練っていた杉山に帰国直前になって、児玉は極秘の茶色の四つの大封筒を渡した。

「今後の大陸の仕事は鉄道じゃ。この封筒の中に日本軍が占領した南満州の鉄道、用地などの明細書が入っておる。君に託するから、この経営をどうしたちょいか、いい案を出してほしい」

「鉄道については私も日夜、腐心していたとこです。国民を引き入れての計画でなくてはなりませぬ」

 

 引き受けて山県の一行と帰国した杉山は、向島の別荘に引きこもって十三日間にわたってプランを練った。さらに書類を精査して有価物件をすべて抜き出し、米国商社員のモールスや大阪の藤田伝三郎らに評価を依頼した。

 モールスの見積り額は二億四千六百万円、日本側は八千六百万円となった。両者を比較すると日本側は三分の一の評価しかなかったが、鉄道の敷地などの不動産価値に無知だったのである。

   杉山は「ロシアから多大な犠牲の上に手に入れたものであり、死傷した軍人や国債のためにも申し訳ない」とこれを基にして考え、見積りを二億円にアップした。

 

  資本金も二億円の官民合同会社として政府出資金が一億円、民間から株式で一億円を集めて、鉄道経営やその敷地内の炭鉱経営などにもあたる南満州鉄道会社を設立して、創立委員を数百人、委員長を児玉とする計画を作り、凱旋した児玉に書類全部を手渡した。

 杉山の満鉄プランは具体化することになったが、満鉄総裁には無二の親友の、当時台湾の民正長官だった後藤新平を担ぎだした。

 

 

 日露戦争のための外債募集のために、政府から米国に派遣されたこともあった。このあたりも元老たちが彼の献策に真剣に

 

 米国財閥モルガンとの一件

 

 

 杉山の関与は多岐にわたっているが、もう一つ特筆すべきはその国際的な経済通であったことである。

 富国強兵の第一は工業力である。杉山を玄洋社の連中などと完全に分けたのは経済に明るいことで、彼自身が貿易に従事したことがあり、香港、米国にたびたび渡り工業について研究して、日本興業銀行の設立のためにも動いていたことであった。

 

日露戦争のための外債募集のために、政府から米国に派遣されたこともあった。このあたりも元老たちが彼の献策に真剣に耳を傾けた要因であった。

 

 明治三十一年、外資導入のため、杉山は単身、米国に渡って当時、一国の元首でも会うのは難しいといわれた世界一の金融業者であったモルガン財閥のJ・モルガンに面会した。

 

英語の出来ない杉山は通訳を連れての面会だったが、その抜群の交渉術と舌先三寸によって一億三千万ドルという巨費の融資を引き出すことにまんまと成功した。

 

 この時のモルガンとのやりとりは杉山一流で痛快無比で、そのタフネゴシエイターぶりを示している。交渉がまとまった際、杉山は「話の内容を覚書にしてもらいたい」と申し出た。

 すると、モルガンは突然それまでの態度を一変させ、驚くほどの大声を発して怒りだし「このモルガンが承認したんですぞー」とテーブルをドンと叩いた。

 

 これには杉山以外の部屋にいた全員が度肝をぬかれ、「契約破棄か!」と青くなった。

  ところが、杉山はおもむろに「もぅ一度テーブルを叩いていただきたい」とタンカをきった。

  「ホワイ?」とモルガンが緊張し尋ねると、杉山がタンカを切った。

 「もう一度叩けば、その昔が日本まで聞こえることでしょう。私は政府の関係者でもなく一介の旅行者です。

 

世界の黄金界の代表の貴方に会えて、ありがたい話を頂いたのでその声、音を日本の政府、国民に知らせたいのです。そのためには、テーブルを打つ音よりも、あそこにいる美人秘書のタイプライターの音のほうがよいのです」

 

  これにはモルガンも一本とられて、秘書にタイプを打たせて、覚書を手渡した。このお宝の覚書は伊藤、井上らに手渡されたが、握りつぶされてしまった。しかし、その後の日本興業銀行の計画の基礎となったことは事実であった。

 

 日露講和条約では賠償金は一切取ることは出来なかった。ところが、杉山の献策でカムチャツカ周辺の三十年間の漁業権を取った。

 当時、漁業権がそんな利権になるとの認識がロシア側にもなくスンナリと認められたが、これは一年間に三億円として九十億円以上の利益をもたらす北方漁業のドル箱になったのである。

 

明治国家の参謀

 

 杉山についての世間の誤解は玄洋社の大陸浪人、右翼浪人の一人とみられることであった。

 確かに頭山満と終生、盟友関係にあったことは事実だが、これらのファナティックな国体主義者とは一線を画していた。

 杉山は組織に属さず、単独で行動し、その思想は国粋主義者という枠だけでは捉えきれず、その時代をはるかに越えた合理主義者であり、リベラリストの面もあった。

 ロシアの進出にたいしては、断固戦う姿勢をとったが、日清講和の下関会議では伊藤を訪ねて、遼東半島の領有には反対の意見を具申して退けられたが、三国干渉によって杉山の見通しどおりになった。

 杉山の中国観は、「支那は永久に滅びることのない強い国であり、日本は支那の出方、やり方によってただちに滅びる弱小国である」との認識に立っており、日中は全東洋の資源を世界に開放して開拓し、中国への外国からの防衛に日本が寄与していく。中国での利権や代償はもとむべきものではない。軍人は平和維持のサーバントとして、国家の防衛を限度として侵略すべきものではない、というものであった。

 

 昭和に入って、中国への軍事的介入を深めていくことに杉山は危機感を持っていた。

 世間では杉山を権力者の間をうまく遊泳したマキャベリスト、権力主義者、陰険な策士、法螺丸という軽蔑した目でみていたことも事実であった。

 

 しかし、杉山は地位とか名誉とかには無関心であった。フィクサーの役目を果たしながら、金儲けをしたり、金を自らのフトコロにいれることはしなかった。元老たちからの信頼はこの辺にもあった。

 

 確かに、日清・日露戦争をはじめ明治の国家的なプロジェクトの陰で杉山は伊藤や山県らの元老や巨頭らを人形遣いとして自在に操りながら、神出鬼没、縦横無尽に活躍しており、これらが杉山の手の中で作られたのは事実であった。

 

 杉山はこのほか、大正の政変、台湾の経営、韓国併合、満州計画、産業計画にも数多くかかわっており、明治国家の陰のザイナー、プランナー、いわば「明治国家の参謀」といって過言ではなかった。

 

      

 杉山は「其日庵」庵主と号していた。由来を尋ねられると 「その日、その日を無責任にやってきて、後のことは知らんぞ」という意味だと、本人がふざけて言ったこともあったが、その日、その日を精一杯生きるというような意味であった。

 

 日本が明治国家の作った遺産を食いつぶし、日中戦争、日米戦争に突入していく直前の昭和十年(一九三五)七月二十七日、杉山は70歳で亡くなった。「日本もアジアも後はどうなっても知らんぞ」が最期の言葉であった。

 

<この項終わり、杉山茂丸伝はまだ続く>

 

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