『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の失敗研究』⑯』★『 三国干渉で日本は窮地に陥る』★『ハゲタカのような三国干渉(恫喝武力外交)に一杯食わされた』★『川上は「戦争とは血の流れる政治であり、外交とは血の流れない戦争である」(モルトケ極意)を会得していなかった』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/14am1100)
鐙摺海岸より富士山を眺める
● 三国干渉で日本は窮地に陥る
伊藤首相は四月二三日、陸海軍首脳と緊急会議を開いた。海軍では山本軍務局長が「世界列強3国を相手に戦う力などない」と断言した。二四日、「広島大本営」で御前会議が開かれた。伊藤、山県、西郷海相の二人と大本営の高級幕僚が列席した。伊藤は、今後わが国がとるべき案として三案をあげた。
第一案 たとえ新たに敵国が増加するも、三国の韓国を断固拒絶すり。
第二案 列国会議を開催し、遼東半島問題を協議する。
第三案 勧告を受け入れ、清国に恩恵的に還付する。
第三案も受け入れられないとの判断に至つた。実際に戦い、満州に駐屯している将兵の反発を買うのは必至であり、勝利に沸き返っている国民にも説明がつかない。
伊藤は「日本の友好国である英米の支援を期待して、国際会議の開催を訴える」第二案を強くおし、この第二案に決まり御前会議を終わった.
この時、陸奥宗光外相は、病気のため神戸舞子で療養しており、会議は欠席していた。伊藤は、その夜、広島を発して二五日早朝、舞子の病床にある陸奥外相を見舞い、ちょうど京椰に来ていた大蔵大臣松方正義、内務大臣野村靖を加え三人で協議した。
結果を聞いた陸奥は、「列国会議を開けば、強国の外交戦略に翻弄され、英米への支援期待とはうらはらに、さらに過酷な要求を突きつけられる可能性が高い。さらに日本に不利となる干渉を招くだけだ」と、第二案に強く反対した。
ロンドンに留学し、イギリスの外交史を勉強してきた陸奥は次のケースをあげた。1877年(明治10)の露上戦争ではロシアはトルコに軍事的には勝利したが、翌年ベルリンの列国会議ロシアのトルコ進出は拒否された。このように軍事的には勝利しても外交で失敗した事例は珍しいことではなかった。
しかも、ベルリン会議の場合も、 三国干渉同様にドイツが首謀者であつたことを陸奥外相は指摘、第二案に反対したのだ。
この陸奥の主張で、伊藤も第二案をあきらめ、第三案の「三国には譲歩するが、清国には一歩も譲らない作戦」で対応することを決めた。
′結局、日本は三強国連合の恫喝に屈するほかなく、泣く泣く受け入れたのである。
4月30日、三国干渉の部分的受け入れを3国に通知。5月4日の閣議を経て5月10日遼東半島の還付の詔勅が発せられ国民に通知した。戦勝で沸き返っていた世論は一転涙をのんだ。
3国の横暴を憎んだ三宅雪嶺は、新聞『日本』で「臥薪嘗胆」を唱え、これが国民の合言葉になつた。臥新嘗胆とは、仇を討つまで我慢するという中国のことゎざで、薪の上に寝て熊の胆を舐めてじっと我慢しながら復讐を誓うこと。三国干渉の本質は、西欧列強が弱小新興国日本の戦利品をかすめ取つた「火事場泥棒」で、弱肉強食の強盗行為そのものだつた。以来、日本は、ロシアを第一の仮想敵国として復難を誓つた。
- 三国干渉の首謀者はドイツ
3国干渉にドイツが加ゎっていたことに陸軍は大ショックを受けた。ビスマルク、モルトケを神のごとく崇拝していた日本はドイツのインテリジェンス(謀略)に「赤子が手をひねられるよう」に裏切られたが、その三国干渉の真の首謀者はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世だつた。
もともと、ドィツのアジア、中国大陸への進出は英仏米露と比べて大幅に遅れていた。一八七一年(明治4)、普仏戦争に勝利すると、武器市場としてアジァヘの進出を加速、清国へはドィツ製の「鎮遠」「定逮」など巨大軍艦を海軍士官付きで売り込み指導、日本には陸軍創設のため指導教官メッケルを送り込んできた。
メッケルも二年間、陸軍大学校で教えた後は清国の指導に回り、各種情報を収集、インテリジェンス(スパィ)していた。
こうして、清国や日本を支援してロシアに対抗させる一方、ロシアのアジア進出には味方し、欧州のロシア勢力を駆逐する謀略であつた。
三国干渉の結果、日本から恨まれるマイナス以上に、イギリスに露仏独の三国連合で対抗して将来の清国領上分割競争に加わった方が、メリットが大きいとの計算の上での外交戦だった。
「黄禍論」を声高に唱えていたドィツ皇帝ヴィルヘルム2世は一八九五年四月、従兄弟にあたるロシア皇帝ニコライ2世あての書簡で、次のように書いている.
「私は欧州の静寂を保ち、ロシアの背後を守ることに全力を尽くす覚悟である。極東に向けての貴方の行動を、誰にも邪魔させはしない。アジァ大陸を教化し、黄色人種(日本人)の侵略から欧州を守ることがロシアに課された将来の大きな務めである」(山口洋一『植民地残酷物語』カナリアコミュニケーションズ、二〇一五年刊)
ビスマルクが岩倉使節団に語つた帝国主義的な個喝武力外交、三枚舌外交を駆使したのである。また、この裏では戦争に負けた清国側が欧米列強に利権をちらつかせて巻き返しを図り、最後の逆転劇を仕組んでいた。戦争には強いが、外交には弱い、インテリジェンスのない日本に対して、ドイツも清国も、一枚も二枚も上手だった。
川上は、ドイツ、清国に俵際でうつちやりをくった。ただし、大陸にいた全軍を粛々と撤兵させた点では見事な朱配ぶりを発揮した。この「引き際」を昭和の陸軍と比べると、その指導力がよくわかる。東条内閣は日米交渉でのアメリカ側最終回答で「中国人陸からの全支那派遣軍を撤退せよ」と突きつけられた際、これを断同拒否。負けるとわかつていた日米戦争に、「清水の舞台か為飛び降りる」白殺覚悟で突入したのである。
明治と昭和戦前のトツプリーダーのインテリジェンスと決断力の違いが「明治史の成功」と「昭和史の失敗」を分けたのである。
- 凱旋帰国した川上は「鳴呼!」と嘆声をもらした
川上は、陸軍を代表した遼東半島割譲の最強硬論者だった。多教の兵士の犠牲をはらい、血を流して占領した土地を割譲するなどもつてのほかと考えていた。
また、日清戦争はアジア問題を解決するための序幕で、次に来るのは、日露戦争であるとの認識していた。
日本の日清戦争(明治27年)、10年後の日露戦争(明治37-38)は戦争の歴史的な経過事実の検証、戦争の原因の真実を客観的な両国の事実,典拠に基づいて検証すれば、決して侵略戦争ではなく、自衛戦争であることを、私はこのブログで連載してきた。
遼東半島の割譲はわが国の大陸政策の必須条件であるとの認識は山県も変わりなかつた。ただ陸軍内に異論もあり、谷干城などは遼東半島、台湾割譲にも反対の態度をとっていた。川上にとっても三国干渉はまさに青天の霹靂(へきれき)であつた。
一八九二年五月一八日、小松宮彰仁親王征清大総督は旅順を出発、川上も随行して21日神戸に帰国、30日東京に帰着した。
川上は新橋駅に到着すると、川上家の使者として曽木幸輔が出迎えて、凱旋の視辞を述べた。川上はただ一言「鳴呼(ああ)―」と嘆声をもらしたのみであった.
翌日、曽木はその理由を質したところ、川上は自ら眼をさして、「予の眼晴(がんせい)は黒いか」と聞いた。曽本がうなずくと「余の眼晴が黒いうちは、臥薪嘗胆一〇年じゃ」と決然と言い放った。
川上が起こした日清戦争の大勝もつかの間、ハゲタヵのような三国干渉(恫喝武力外交)が一杯食わされた。川上は、「戦争とは血の流れる政治であり、外交とは血の流れない戦争である」というモルトケの極意をまだ十分、会得していなかった。
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