前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

絶景歴史散歩ー滝廉太郎『荒城の月」のモデル、大分県竹田市の岡城は中世の古城跡

      2015/01/22

1111★5「滝廉太郎『荒城の月』のモデル―大分県竹田市の岡城は中世の古城跡」

撮影はビデオジャーナリスト・江藤則幸氏

wiki瀧廉太郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

wiki荒城の月

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%9C%88

Wiki岡城 (豊後国)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%9F%8E_(%E8%B1%8A%E5%BE%8C%

E5%9B%BD)

岡城の歴史について

http://www.city.taketa.oita.jp/okajou/history/

海抜325mの岡城阯の広さは100万㎡で東京ドーム22個分にあたる。 大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する台地上に築かれ、「難攻不落」と言われた天然の要塞であった。

 

岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が源頼朝の弟義経を迎えるため築城したと伝えられるが、惟栄は大持浦(兵庫県)を出航しようとして捕らえられ、翌年上野国(群馬県)沼田荘に流された。

天正14年(1586)から翌年の豊薩戦争では島津の大軍が岡城をおそい、18歳の志賀親次(親善)は城を守り、よく戦って豊臣秀吉から感状を与えられた。しかし、文禄2年(1593)豊後 大友義統が領地を没収されると、同時に志賀親次も城を去ることになった。

戦国時代に急ぎ近世城郭の形をととのえ、本丸は、慶長元年(1597)に完成、寛文3年(1663)には西の丸御殿がつくられた。(岡城は山城的殿舎、平山城的殿舎(本丸二の丸、三の丸)、平城的殿舎(西の丸)で構成され、これらが一体となっていることは近世城郭史上特異な城である。

現在残されている城郭は、明治に至るまで岡藩を統治した中川公によって築城されたもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪(くるわ)からなっている。

趣味人であった第5代藩主 中川久通は、城の北側にある絶壁に弦長約3m三日月を彫らせ、月のない夜も明かりを灯し、月見の宴を楽しんだ。

明治2年(1869)版籍奉還後の4年(1871)には、14代277年間続いた中川氏が廃藩置県によって東京に移住し、城の建物は7年(1874)大分県による入札・払い下げで、すべてが取り壊された。

瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1900)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。

現存する城跡は、文禄3年(1594)に播州三木から入部した中川氏により拡張されたものであり、明治4年の廃城により城館は取り壊され、「荒城の月」のイメージどおり、残された石垣が当時の姿をしのばせ、春の桜、秋の紅葉と四季折々の姿で訪れる人たちを楽しませている。

http://www.city.taketa.oita.jp/okajou/history/

[amazonjs asin=”4004309212″ locale=”JP” title=”瀧廉太郎―夭折の響き (岩波新書)”]

 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「75年たっても自衛権憲法を全く変えられない<極東のウクライナ日本>の決断思考力ゼロ」★「一方、ウクライナ戦争勃発3日後に<敗戦国ドイツ連邦議会>は特別緊急会議を開き、防衛費を2%に増額、エネルギーのロシア依存を変更した」★『よくわかるオンライン講座/日本国憲法制定真相史②』★『東西冷戦の産物として生れた現行憲法は・・わずか1週間でGHQが作った憲法草案 』

日本リーダーパワー史(356)●『東西冷戦の産物として生れた現行憲法」 『わずか …

日本リーダーパワー史(814)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉙『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力』★『2階級降下して参謀次長になり、この機会(日露戦争開始4ゕ月前)に起って、日本は文字通り乾坤一擲の大血戦をやる以外に途がない。不肖ながらわしが参謀次長として蝦蟇坊(大山厳)の忠実なる女房役になろう』

   日本リーダーパワー史(814)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露 …

『Z世代への遺言・生死一如』★『関 牧翁の言葉「よく生きることは、よく死ぬこと」★『一休さんの遣偈(ゆいげ)は勇ましい』★『明治の三舟とよばれた勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の坐禅』

  2020/03/09  『リーダーシップの日本 …

『Z世代のための日本政治史講座②」★『ウクライナ戦争と安倍外交失敗の研究 ➂』★『三国干渉の侵略国家・ロシアと「山県有朋・ロマノフ会談」の「山県音痴外交で、ていよくカモにされた②』

  2022/04/03    日本リー …

no image
☆☆<世界一の授業を見にいく②>動画9本『村上春樹の反原発スピーチ(ノ―カット版)をYoutubeで勉強しようぜ』

  ☆☆<世界一の授業を見にいく②> スペシャル動画9本 『村上春樹の …

no image
日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史(273)-『ユーロ、欧州連合(EU)の生みの親の親は明治のクーデンホーフ光子(青山光子)①』

  記事再録/2012/07/01 / 日本リーダーパワー史 …

Z世代への歴史的遺言★『日露戦争に勝利した伊能博文の知恵袋・金子堅太郎(農商務相)とルーズヴェルト米大統領の「友情外交インテリジェンス」『日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と 漢字でかいた祝賀文を金子に送る

金子堅太郎が語る(「日露戦役秘録」1929年 博文館)より ルーズベルトがバルチ …

no image
『昭和史キーワード』終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言の「 戦争集結に至る経緯,並びに施政方針演説 』の全文(昭和20年9月5日)

『昭和史キーワード』 終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ論」 (戦争 …

no image
日本リーダーパワー史(42)外国新聞がみた日本のリーダー・若き日の伊藤博文は外国人を好み、やさしく扱う人

外国新聞がみた日本のリーダー・若き日の伊藤博文   前坂 俊之 &nb …

『オープン世界史講座』★『ウクライナ戦争に見る 歴史的ロシアの恫喝・陰謀外交の研究⑨』日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』

  2017/11/19 /日露300年戦争(5)記事再録 前坂 俊之 …