『 京都古寺巡礼のぶらり旅』/ 『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です①』
記事再録
京都/外国人観光客へのおすすめベスト1のー「世界文化遺産.醍醐寺」のすべて➀
醍醐寺のパンフレットによると
真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は貞観16(874)年に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぽう)が創建した。
山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れ理源大師・聖宝た地主神・横尾明神(よこおみょうじんより)、
こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准底(じゅんてい)・如意輪( によいりん)の両観音を刻み、山上に祀った。
それが醍醐寺の始まりである。
開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、
五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。
以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院と
して多くの信仰を集めている。
しかし、長い歴史のなかで何度も火事にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。
ながらく復興に至らずにいたが慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって
金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。
江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。
そのことにより、山への信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。
明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、
開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。
一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺は、日本仏教史上枢要な位置を占め、長年護り続けられてきた寺宝類の多くは
国宝、国の重要文化財の指定を受けている。平成6(1994)年にはユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世塵主・勝覚僧正が、
平安時代の永久3(1115)年に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になった。
室町時代には3代将軍・足利義満の猶子である満済准后(醍醐寺第73世座主)が、三宝院を醍醐寺の中心的な役割を担う本坊にした。
満済の活躍は醍醐寺だけに止まらず、公武の調整を図りながら室町幕府の義満、義持、義教の将軍を補佐した。
その影響力は絶大で、6代将軍・義教をくじ引きで争いなく誕生させるなど、
安定した室町時代を陰で支えたことなどで知られる。
しかし、満済准后没後には京都を中心に応仁の乱(1467-1477年)が起こり、醍醐寺はもちろん、三宝院も大きな被害を受け、
それ以降、本格的な復興をげることができずに130年以上の時が過ぎていった。
慶長年間に入った頃、豊臣秀吉と親交のある義演准后(醍醐寺80世座主)は、慶長3(1598)年春、秀吉によって催された
「醍醐の花見」を契機に、醍醐寺の復興を秀吉に願い出た。
秀吉は「醍醐の花見」の後には紅葉狩り、また翌春には、後陽成天皇の行幸を仰いでの花見を計画していたことから、
義演准后の願いを快く引き受けた。三宝院や伽藍の復興は秀吉亡き後も秀頼に引き継がれ、その援助のもと、復興
された。
特に、三宝院の庭園は、秀吉自らが縄張りし、覇者の証とされた名石「藤戸石」を聚楽第から運び込むなど
、天下人の庭として知られている。
現在、庭園は特別名勝・特別史跡に指定されている。 また、表書院の東側の一段高い建物は純浄観、
さらにその奥には本堂があり、快慶作の本尊・弥勤菩薩、真言宗を開いた弘法大師・空海、醍醐寺を開いた理源大師・聖宝が祀られている。
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(267)★『6年前のSTAP細胞問題の小保方晴子氏会見をみて感じた 「死に至る日本病」の正体とは・』★『説明責任を果たさない公人側と厳しく追及しない日本の記者会見の無責任体制はいつまで続くのか』
2014/04/10 日本のメルト …
-
-
日本リーダーパワー史(36) パリで恋と芸術と賛沢三昧に600億円を使ったコスモポリタン・薩摩治郎八(上)
日本リーダーパワー史(36) パリで恋と芸術と賛沢三昧に生き、600億円を使った …
-
-
『日米プロ野球史の研究』★「大谷は本里打王になるか、野球の神様・川上哲治の『巨人8連覇の常勝の秘訣』とはー』★「窮して変じ、変じて通ず」★『スランプは<しめた>と思え』★『むだ打ちをなくせ』★『ダメのダメ、さらにダメを押せ』
2011/05/20 日本リーダーパワー史(154) 「国 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(870)『コラム:世界から手を引くアメリカ』●『セブン&アイ/鈴木会長兼CEO、退任表明で緊急記者会見』●『ドル108円後半、約1年半ぶり安値へ下落:識者はこうみる』●『コラム:米国が導く円高、ドル100円割れあるか=唐鎌大輔氏』
日本メルトダウン脱出法(870) コラム:世界から手を引くアメリカ …
-
-
第70回鎌倉花火大会(7/24pm7,20-8、10)-残念ながら雲と煙にさえぎられて、花火の半分以上は見えなかったよ。(15分間に圧縮)
第70回鎌倉花火大会(7/24pm7,20-8、10) 7月24日夜、開催の鎌倉 …
-
-
『サバつりバカ日記』―鎌倉沖で雨にうたれてカヌーフィッシング! サバもイワシもこず、大海に降りしきる雨の波紋を1人楽しむ、
『サバつりバカ日記』―鎌倉沖で雨にうたれてカヌーフィッシング! サ …
-
-
<待望久しい日本最大の珍奇書一挙3冊復刻出版>ー福富織部著「屁」(おなら)「褌」(ふんどし)、「臍」(へそ)の珍三部作
地震・津波・原発放射能の『四重苦』の大襲来で世の中・不安・恐怖・意気消沈中だが、 …
-
-
日本リーダーパワー史(345『明治の黒幕・三浦梧楼の痛快無比な外交力①」『支那(中国)は事大主義の国である』
日本リーダーパワー史(345) …
-
-
『Z世代のための日本の超天才人物伝⑨』★「藤田嗣治とパリの女たち」★「最初の結婚は美術教師・鴇田登美子、2度目は「モンパルナスの大姉御」のフェルナンド・バレー、3度目は「ユキ」と名づけた美しく繊細な21歳のリュシー・バドゥ』★『夜は『エ・コールド・パリ』の仲間たちと乱ちきパーティーで「フーフー(お調子者)」といわれたほど奇行乱行をしながら、昼間は毎日14時間以上もキャンバスと格闘していた』
2008年3月15日 「藤田嗣治とパリの女たち」記事再録再編集 前坂 俊之(評論 …
-
-
◎<リバイバル釣り動画記事再録>「鎌倉カヤック釣りバカ日記」(2017/11/10)ーイナダ(35㎝)、シイラ(30-40㎝、30匹)、カワハギ5匹、ソーダカツオ3匹と爆釣
2017/11/15、記事再録 <201 …