前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人ー『世界のミフネ』となった国際スター・三船敏郎

   

                                    
世界が尊敬した日本人   
 
『世界のミフネ』となった国際スター・三船敏郎
 
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
 
世界で最も有名な日本人映画監督は黒澤明だが、黒澤とコンビの三船敏郎への評価が日本ではあまり高くないのが不思議である。
『渡辺謙』ら国際的に活躍する俳優がまだまだ少ない中で、これまでダントツの国際スターが『世界のミフネ』だったが、没後10年以上たった現在でもまともな研究書1冊さえ出ていない。
 
三船は関東軍航空隊などで反抗的な上等兵として8年間過ごし、終戦を解放感いっぱいで迎えた。昭和21年(1946)6月、26歳で食いっぱくれた日雇い作業員から東宝の第一回ニューフェイスに応募、一旦、不合格となったのを黒澤に救われ入社した。
 
三作目で黒澤映画「酔いどれ天使」(1948年)に初出演し、日本人離れした見事な体躯と『野獣』のような迫力とスピードでスクリーンからギラギラとした強烈な男性的魅力を発散して、一躍スターの座に着いた。
 
以後、『野良犬』(1949年)の成功で、黒沢、三船のコンビが定着する。昭和26年(1951)のベニス映画祭で『羅生門』がグランプリに輝いた。日本では興行的にも散々で評価されなかったこの作品が日本映画では初の国際賞を受賞したことに映画関係者は驚いた。
 
それ以上に、敗戦以来、打ちひしがれていた日本人全体に大きな感動と希望と勇気を与えた。強力コンビの誕生が日本映画の黄金時代を築くと同時に、「世界のクロサワ、ミフネ」として世界の映画界をも席巻する。
 
「黒澤なくして三船なく、三船なくして黒澤なし」―切っても切れない2人は『醜聞』(50)『羅生門』(50)『七人の侍』(54)『生きものの記録』(55)『蜘蛛巣城』(57)『隠し砦の三悪人』(58)、『用心棒』(61)『椿三十郎』(62)『天国と地獄』(63)『赤ひげ』(65)など次々に映画史上に残る傑作を生み出し、三船は『生きる』(52)以外は黒沢と決裂する『赤ひげ』までの全作品に出演した。
 
サムライを演じる三船のダイナミックでスピード感あふれた演技は国際標準を超えた圧倒的な迫力で、黒澤の映像美に強烈なキャラクターを造形した。西欧人が憧憬するサムライ、ジャパニーズのエキゾチックさ、オリエンタリズム、セックスアピールがミフネにあり、黒沢、三船は海外に熱狂的な信奉者を生んだのである。
 
当然のこととして、2人の国際映画賞の受賞は群を抜いて多い。『羅生門』に次いで「七人の侍」でもベニス映画祭銀獅子賞、米アカデミー賞外国語映画賞、「赤ひげ」ではベニス主演男優賞など世界の映画賞を総なめにした。
 
 
昭和37年(62)には、三船プロを設立して独立、海外作品にも出演して、国際的にも活躍した。巨匠ジョン・フランケンハイマー監督『グラン・プリ』(67)では、イブ・モンタンと、米映画「太平洋の地獄」(68)ではリー・マービン仏映画「レッド・サン」(71)ではアラン・ドロン、米「ミッドウェイ」(76)ではチャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダら世界の名優と数多く競演、友人付き合いをした。亡くなる直前まで日本が生んだ空前絶後の国際スターとして海外出演を続けていた。
 
黒澤への高評価は海外と日本との差はないが、三船の方は国内では演技が大味で、単なるアクションスターそのものだとして低評価のままである。しかし、それまでの時代劇の様式美を超えた彼の豪快でど迫力の殺陣は黒沢の演出力のたまもの以上に、三船自身の抜群の運動能力、強靭な肉体、野性味、武術力、乗馬力なくしては不可能であった。
リメイクや盗作騒ぎとなった「荒野の7人」「荒野の用心棒」などでの、クリント・イースドウッドらハリウッドスターの演技力、スピードと比べると三船の一段のスゴサがよくさがわかる。
 
 
                             
 

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」★『「才能だけでは十分ではない。挑戦する勇気が人々の心を変える」』★『ニューヨークタイムズ特集「日本ハムで入団交渉を担当したスカウトが、ミケランジェロやアインシュタインのように何でもできる天才と評価していた』★『連載「エンゼルス・大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」①『A・ロドリゲス氏は「これは世界的な物語だ」と絶賛』』

「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」   新型コロナ禍で世界中 …

no image
 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥1902(明治35)年2月19日『ノース.チヤイナ・ヘラルド」『日英同盟の内幕』●『西太后が信頼した外国は①米国②日本➂英国で『日本は血縁関係の帝国同士で、 中国に対する友情をもって決して外れたことはない』★『袁世凱とその同僚の総督たちは日本派で日英同盟を 結ぶようイギリスに働きかけた。』

 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥   …

no image
日本リーダーパワー史((313)「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」空前絶後の参謀総長・川上操六(40)

  日本リーダーパワー史((313)            名将・川上操六伝(4 …

『オンライン講座/真珠湾攻撃から80年⑧』★『 国難突破法の研究⑧』★『1941年12月8日、山本五十六連合艦隊司令長官が1日千秋の思い出で待っていたのは愛人・河合千代子からのラブレターだった』

2010/06/30/日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六『提督 …

『 2025年は日露戦争120年、日ソ戦争80年とウクライナ戦争の比較研究①』★『日露戦争でサハリン攻撃を主張した長岡外史・児玉源太郎のインテリジェンス』★『「ないない参謀本部」のリーダーシップの実態>』

2010/09/06/2015/01/02日本リーダーパワー史(91)記事再編集 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(61)記事再録/国難の研究― 日露戦争開戦までの外交交渉の経過と政府の対応①『児玉源太郎が2階級降下して参謀次長に就任、全軍を指揮、病気静養中の桂太郎総理の決意、参内し上奏、旨趣

―国難の研究― 日露戦争開戦の外交交渉の経過と政府の対応①   &nb …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(152)再録/『知的巨人の長寿学』の牧野富太郎(94)に学べ<植物研究と山歩きで、世界的な植物学者になる>★『学歴差別をものともしなかった「日本の植物学の父」』

   2010/10/31   記事再録 …

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(217)/『百年前にリサイクル事業によって世界的コンチェルン(財閥)を築いた「日本セメント創業者」の浅野総一郎』★『リサイクルの先駆的巨人・浅野総一郎の猛烈経営『運は飛び込んでつかめ』★『明治時代にタダの自然水を有料販売、トイレの人糞を回収して肥料で販売、コークスからセメントを再生し、京浜海岸地区を埋め立てて一大コンビナートを築いた驚異のベンチャー王』

    2010/11/27 &nbsp …

『日清戦争(1894年)は川上操六が起こし、10年後の日露戦争は児玉源太郎によって勝利した』★『日露戦争直前に児玉源太郎内務大臣は自ら2階級降下して参謀本部次長につき日露開戦を指揮した』★『全責任を自己一身に帰し、その責任を内閣にも参謀総長に分かたず、一身を国家に捧げる決心で実行する』

逗子なぎさ橋通信「2025/12/26/pm700] ・参謀本部次長・田村恰与造 …

no image
日本リーダーパワー史(126)辛亥革命百年(28) 内山完造の『日中ビジネス論』「民間外交力』『前事不忘 後事之師』(2)

日本リーダーパワー史(126) 辛亥革命百年(28)内山完造(2)の『日中ビジネ …