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『リーダーシップの日本近現代史』(178)記事再録/★ 「国難日本史の歴史復習問題」★「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑧』 ★『元勲伊藤博文と巨人頭山満の日露開戦の禅問答』「伊藤さん、あんたは今日本でだれが一番偉いと思いますか」と意外極まる一問を放った。

   

 

  日本リーダーパワー史(790)記事再録

★『元勲伊藤博文と巨人頭山満の日露開戦の禅問答』

 わが国民のロシア観は浅薄幼稚なもので、維新前にわが北辺を脅かした兇暴なる歴史を想い起こして、ロシアといえば恐ろしき国、大きな国、強き国という、漠然たる観念をもっていた(昭和10年代のイギリス恐怖病と同じだ)。

しかし軍部はロシアを監視していた。これに協力せんと手をきしのべたのが民間志士である。対露報復の壮途を抱いてウラジオ方面からシベリアを横断しロシアに入った内田良平(後の黒竜会長)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%B9%B3_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AE%B6)

が明治32年帰朝し、「東亜永遠の平和を確保するためにはロシアと戦わざるべからず、日露戦えば勝利は日本のものなり」と叱咤して、明治24年2月3日、東京神田錦輝館に黒竜会の発会式を挙げた。

その内田が36年秋、平岡浩太郎の紹介で時の参謀次長児玉源太郎と会見して、軍部はシベリア鉄道が単線なために輸送能力を過小に見舞もっているが、もつと多いから開戦と同時に鉄道破壊を行ない、かつパイカル湖にある船舶も破壊するから、われわれ同志に火薬と資金を支給してくれと大胆きわまる提案をした。

それくらい民間志士は言論に行動に真剣であった。そのころ、支那旅行家として知られていた

小越平陸

https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E8%B6%8A%E5%B9%B3%E9%99%B8-1063048

がロシアがハルビンに欧州式の都市計画によって着々施設していることを実見し、北京公使館書記官・本多熊太郎(後の駐独大使)に報告した。それは捨ておけぬとばかり公使館武官・守田利遠大尉

http://sekifusha.com/2476

に実踏調査を命じたところが、果たせるかな事実で、ロシアはハルビンを欧州式都市とし、満州一帯を占領し、東部シベリアとともに総括統治する中心にしようとする野心を抱いていることがわかった。そのため、ロシアの満州鉄道経営図をも添えて参謀本部に提出した。

そうするうちに義和団事変をよいきっかけに、ロシアが一時にドッと大兵を進め、全満州を占領せんとする野望を如実に見せてきたから、幹事長・佐藤正少将(日清役で鬼大佐と謳わる)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%AD%A3_(%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%8D%89%E5%89%B5%E6%9C%9F)

が率いる東亜同文会では中西正樹、国友重章、小川平吉(元鉄相)、大内暢三(前代議士、東亜同文書院長)、田鍋安之助はじめ一同はがぜん対露強硬論になった。

 

そこへ佐々友房(熊本国憲党領袖)が支那旅行から帰朝し、ロシアの満州侵略を防ぐには戦争以外に手はないとて、近衛篤麿公(貴族院議長、学習院長で近衛首相の父)に説いたので、それ以来、民間同志はしばしば近衛公邸に会合し、対露戦略を協議し出したのである。

 

 そこへ突如としてロシアが重大なる提議を日本に持ちかけて来た。ロシア公使ローゼンが伊藤博文に、大同江を境界としてその以南を日本の、その以北をロシアの出兵区域と定めて、すなわち朝鮮を日露両国で分割し、満州を己が手中に収めようという、日本にとって危険この上ない提案だった。

これが政府部内から、民間志士にリークされる、伊藤の意をうけた政界一部の者は公然と『満州韓国交換諭』を唱え、これによって東亜の安定を図るべきであると主張した。これに

対し近衛公はじめ鳥尾小弥太、頭山満、根津一などは猛然と反対し、手分けして政府トップを訪問して、『断固としてロシアの提議を拒絶せよ』と抗議した。こうして朝鮮分割論はつぶれたのである。

 かかる政治情勢では挙国一致で、対ロ政策の実行に努めねば日本の存立は危ういとの認識をもとで、在野政界の代表人物、民間志士が参加し、国民同志会が結成(明治33年9月24日)された。委員長格は神鞭知常、佐々友房、平岡浩太郎、工藤行幹、大竹貫一が中心となって活躍し、頭山満は隠然として重きをなし、国友重章、恒星盛服は実際方面、根津一は精神的方面を担当した。

 全国遊説の火蓋は切られた。特に九州において、佐々が熊本に、平岡浩太郎は福岡に、河野主一郎は鹿児島に、武宮時敏は佐賀に帰り大会の準備をすすめた。

これらの人物が当代一流であるだけに人気は沸騰し、大会は郡部からわざわざぞうり穿きで来会するもの多く、会衆は熱狂して弁士を胴上げする始末で、『驕露膺懲』(傲慢ロシアをこらしめよ)の声は全九州の津々浦々に響きわたり、剛健なる九州人は一斉に対露主戦論に共鳴した。政府内における弱腰連にカンフル注射を施しながら、国民に「ロシア撃つべし」の世論をまき起こし、全国に膨群として臥薪嘗胆の空気をつくって対露主戦へ引っぼり込む思想動員先駆の使命を果たした。

 国民同志会はロシアが一時わが国の強硬態度に折れて、撤兵条約を発表するに及んで、必要ある時はいつでも結成するということで、明治35年四月、芝公園三線亭で解散式を挙行した。

 国民同志会解散後、列国の抗議によってロシアは満州から三期に分かって軍隊を撤去するとになったが、35年10月の第一期だけは撤去したが、第二期た36年4月には撤去しないばかりか露清の密約を締結して満州における野望をいよいよ明白にして来たので、わが国の危機は目前に迫ってきた。

ここにおいて再び志士連の活動となり、ロシアの第二期撤兵期日たる36年4月8日、上野公園に対外硬同志大会を開いた。富井政章、戸水憲人、小野塚喜平次、中村進午、寺尾亨、高橋作衛、金井延の七博士も奮起して堂々日露開戦論を主張し、当局を鞭撻した。

 七月、頭山、神鞭、佐々、河野広中、小川平吉、大竹質一が発起者となり、対露同志会を組織した。

 当時、廟堂の大官は在野志士から見れば、桂首相以下恐露病者で、枢府議長伊藤博文は非戦論の最大巨頭と睨まれていた。そこで玄洋社は伊藤の言動に最も注意し、浦上正孝のごときは挺身伊藤公にある種の行動に出るべく決心したのを、頭山に慰撫されて事なきを得たほどで、とにかく内閣を打倒し、近衛篇暦公が参謀次長児玉源太郎を首班とするロシア膺懲内閣をつくり頭山、小村、神鞭らを閣員として対露開戦を決行させんとさえ計画された。

対露同志会の幹部は、大官に膝詰談判を試み日露開戦を激励して歩いていた。

-日、頭山満、河野広中、神鞭知常が伊藤を訪問した時、ちょうど伊藤が前外相青木周蔵を玄関におくり出すところであった。

青木は連中の顔ぶれを見て、来た理由を知ったので、頭山とすれちがう際、低声で、「やー来たね、まさか殴りはしないだろうね」、

すると頭山はわざと大きな声で、「殴るかも知れんさ」といったので青木は面食らい、伊藤も不機嫌な顔をした。

 座につくと平素無口の頭山が珍しく真っ先に口を切り、伊藤に向かい、

「伊藤さん、あんたは今日本でだれが1番偉いと思いますか」と意外極まる一問を放った。

 明治の元勲としてわれも許し、人も許す伊藤もこの質問には虔胆を抜かれて答えることができず、しばらく躊躇、俊巡していると、頭山は粛然として、

「おそれながら、それは、天皇陛下でしょう」といった。

荘重なるその一語に一堂、襟を正すうち、さらに

「次に人臣中でだれが1番偉いと思いますか」と二の矢を放った。

伊藤が黙して頭山の顔を見守っていると、「それは、あんたでしょう」と唸るがごとく言い切り、

「そのあなたが」とさらに厳然として語気強くしく、

「この際しっかりして下さらんと困りますぞ」と言い放った。

ここにおいて伊藤もはじめて胸襟を開いて頭山らの意見を迎え、ついに、

「その儀ならばご心配下さるな、諸君のご意志あるところはたしかに伊藤が引き受けました」と断言した。

頭山はそれをきくと、

「それだけうけたまわればもうよろしい、サア皆さん帰ろう」と河野らを促してゆうゆうと去った。

片や幕末の自刃を潜った元勲、かたや民間の巨人、応酬禅機に富み、この間答で帝国の対露開戦の肚は決定していたことがわかる。その後いかなる名優が再びこの歴史的場面を演じたであろうか。

参考文献 長谷川峻著「山座円次郎―大陸外交の先駆」時事新書(1967年)

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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