日本リーダーパワー史 (27) 国家破綻をストップせよー鳩山首相は「戦う総理大臣をめざせ」
日本リーダーパワー史 (27)
国家破綻をストップー鳩山首相は「戦う総理大臣をめざせ」①
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
この原稿は総選挙の前の8月15日の締め切りで書いた原稿です。日本の政治、行政システムが完全に破たんしており、この全面的な改革なくしては日本の再生はないこと、坂道を転げ落ちている国家破綻の現状をストップすることは容易でないことを歴史的に論じたものです。
今の日本の現状は昭和10年代の日本軍部〈現在の官僚制度と同じ〉の中国大陸への進出、侵略。泥沼に足をとられてニッチもサッチもいかなくなった上に、さらに太平洋戦争に突っ込んでいった軍部の暴走と同じ官僚国家の暴走が続いて、国借金は800兆円を超えて世界最悪〈先進国の2倍〉という大敗北を招いてしまいました。
太平洋戦争の末期の敗北に次ぐ敗北の惨憺たる状況と同じ状況が、現在のあらゆる経済最先端分野ではみられます。今一番必要なものは敗北をいかに最小にとどめて、撤退するかの方法論です。
成功学、発展学ではなく、敗北学、撤退学こそ求められています。その、参考になればと思います。
「戦う総理大臣」とは今、国難で沈没寸前の日本にとって一番求められるテーマである。「できる総理大臣の作り方」なる本も政界で注目されている。
なぜ日本の政治は、回転ずしのようにくるくる総理大臣がかわり、安倍、福田首相のように突然、国家最高のポストを放り出し、オウンゴールで敗れていくのか、その原因は「総理大臣のつくられ方」にこそ問題がある。
明治以来、今回の総選挙で94代、60人の総理大臣が生まれているが、その選ばれるシステムを改めなければ真のリーダーパワーをもった総理大臣はできず、日本沈没を食い止めることはできない。
2度目の敗戦
コンドラチェフの波ではないが文明、国家の興亡のサイクルは大体60~80年単位で波動を繰り返す。
日本は明治以来のアジアの貧乏小国から富国強兵でスタートし日清、日露戦争で勝利し、列強の仲間入りを果たし、その後は中国との戦争、第2次世界大戦で大敗北を喫して約80年間で元のもくあみとなった。
そして、1945(昭和20)年8月15日、ゼロ以下の廃墟から再出発し、奇跡の経済成長を遂げてGDPトップの経済大国にのぼりつめた瞬間にバブルがはじけて、「失われた15年」から現在の経済敗戦へ、世界最悪の借金大国に至るまでが約60年間という興亡のサイクルをたどっている。
一度目の敗戦は太平洋戦争などでの政治家、軍人(官僚)の失敗であり、2度目の敗戦は政治家、官僚、経済人の失敗であり、いずれにしても最終的には無能な総理大臣のせいである。
強いリーダーパワーのある「戦う総理大臣」でなければ、強い国、活力のある国、豊かな国、国民がしあわせな国が作れないのは自明であり、国民の英知を結集し、優秀な人材を登用する政治的なシステムがなければ、強い政治家、総理が生まれないのも、これまた当たり前のことである。
明治の指導者のリーダーパワー
国、社会の興亡は一にかかって人間の興亡である。日本はいま深刻な衰亡に直面しているが、文字通り国家倒産を食い止める有能な政治家、総理大臣が生まれにくい人材倒産の危機に陥っているのである。
明治の政治家と昭和戦前までの政治家を比べてどこが違うのかというと、もっとも大きいのは指導力、リーダーシップの差である。
明治では、国家の最高戦略を決定する場合は、伊藤博文、山県有朋、井上馨、松方正義、大山巌、西郷従道、このほかに日清戦争のときは、陸奥宗光、日露戦争のときは桂太郎、小村寿太郎、山本権兵衛などの政治家や軍人が相談して決定した。
トップリーダーが意見を持ち寄って会議を開き、意思統一をしっかりやっていた。古い政治形態として批判され、確かに問題も多かった明治憲法下での薩長藩閥政治、元老政治ではあったが、元老たちが強いリーダーシップを発揮し、総理大臣を決定し、国家戦略を全員一致で協議して、強力に遂行したことを忘れてならない。
日本で内閣制度が誕生したのは明治18年(1885)、第一回衆議院議会は明治23年のことである。明治、大正までは薩長藩閥政治の全盛期であり、伊藤博文、山県有朋の2大長洲閥が政治の実権をほぼ握り、キングメーカーとなって元老政治をおこなった。
第一次世界大戦終了の1918(大正七)年までの約30年間でみてみると、十八代の首相が変わったが、このうち十四代が薩長のたらい回しで、伊藤、山県、松方正義(薩摩)、桂太郎(長州)、山本権兵衛(薩摩)の順であり、二代が反主流の大隈重信(肥前)と二代(西園寺公望)が公家であった。
これを全閣僚でみると、四十八人(四六%)が薩長土佐肥前の出身で固められた。薩摩(鹿児島)、長洲(山口)出身者以外は総理大臣はもちろん、大臣にもなれない派閥情実人事がまかり通った。藩閥政治の弊害は、陸海軍、警視庁、官庁などの首脳部もほぼ薩長閥が独占、元帥などは、皇族を除けば、全部薩長人が独占するという異常事態となった。
もともと、太政官制から内閣制度への改革は徳川時代の門閥制度、身分制を廃止して出自、身分の如何を問わず、能力のある人間に政治家、総理大臣になる道を開くための新制度だったが、権力を奪取した薩長藩閥の士族たちがこれに代わってしまう。
この藩閥支配を初めて破ったのが第十九代、平民宰相の原敬(南部藩=岩手県出身)で、その後は政党時代に入り、昭和にはその政党政治が軍人にのっとられて戦争への道を転がって行った。
昭和年代に入ると、いろいろ問題はあったとはいえリーダーパワーを発揮していた元老は西園寺公望ただ1人となり、それまでの国家の最高方針決定の超党派的な元老会議をもつことができなくなった。それと同時に国際派で見識のある「できる総理大臣」、政治家が次々に右翼、軍人らによって暗殺されるというテロ恐怖時代に突入したことも見過ごせない。
原敬(大正10年)以来、浜口雄幸(昭和5年)、犬養毅(昭和7年)、井上準之助(大蔵大臣、昭和7年)、高橋是清(昭和11年)、斉藤実(同)らの有能な歴代総理たちが次々にテロに斃れ、一番リーダーシップを必要とされる国難を迎えた時期に、肝心の「総理の器」がいなくなる人「日本の悲劇」に見舞われたのである。
以上のプロセスを別の視点からみると、明治と昭和の政治家のちがいは創業者、一代目と三代目のちがいであるともいえる。明治時代の創業者の元勲、元老たちは主体的に自分たちがつくり、育て上げた国家だけに覚悟も意欲も責任感も強烈なものがあった。
それに比べると、2,3世となった昭和の政治家たちは官僚化、サラリーマン化がより進み、人物もその能力も小粒化してしまった。これに加えて制度、システム、官僚機構がより複雑化して、統治困難となった。明治憲法下での天皇、政治、軍、官僚の権力闘争、軍の下剋上、統帥権の乱用という統治システム矛盾、欠陥が極大化して権力の二重三重分裂構造(無責任体制)によって機能不全に陥り、政治家のリーダーシップ欠如と重なって国家破産してしまった。
なぜ、こんな古いことから書き起こしたかというと、民主化されたとはいえ今の政治システム、政治家の能力、国民の政治意識の基礎部分は明治以来あまり変わっていない点を知るためである。
① 山県や桂を中心とする明治の軍人、内務官僚政治が、昭和の軍国主義を生み、敗戦の原因となった。敗戦後はGHQによって軍人官僚は一掃されたが、内務省、文人官僚は形をかえて生き延び、さらに強力になり、政治官僚主義から官僚主導のエイリアンと化した。藩閥政治が軍閥政治に、昭和戦後は政党政治の名のもとの官閥政治にかわっただけなのである。
② また、明治、大正の藩閥政府の腐敗堕落ぶりは昭和の軍国政府に引き継がれ、戦後ではロッキード事件に象徴される政官財の構造汚職につながり、平成に入っては金権官僚腐敗はその頂点に達した。特殊法人、独立行政法人、公益法人など合計約5千もの法人に年間12兆円が特別会計から支出されて世界に類のない税金の無駄使い、合法的な税金横領の官僚王国となった。
③ グローバル化する世界の流れに背を向けて、永田町の田舎政治に閉じこもり、政権のたらい回し、派閥の親分、子分、年功序列、当選回数の多さによって、ところてん式に総理大臣が生まれる封建的な方式は明治以降もさして変わらない。
④ グローバル企業では非実力の2世3世、世襲議員が三割を突破することはあり得ない。「世界の非常識」の永田町政治が続いている。東大法学部卒業の看板だけで高級官僚となって、自動的に出世し事務次官となって2,3ヵ所の天下り先で数億円の税金を退職金の名目で詐取する封建的な官僚システムがまかり通り、「戦う政治家」がリーダーシップを発揮できない仕組みが続いているのである。
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