『不況、デフレで経営トップはどう決断、行動したか① 』 小林一三(大阪急創業者)/土光敏夫(経営の鬼)から学ぶ-
『不況、デフレで経営トップはどう決断、行動したか』
小林一三(大阪急創業者)/土光敏夫(経営の鬼)
の2人の大経営者から学ぶ–
前坂俊之(ジャーナリスト)
「やった!」と日本全体が一挙に明るいムードに包まれた2020年東京オリンピック開催まではあと6年後、その2年前の2018年は明治維新(1868年)から150年目になる。2015年はアジア太平洋戦争終戦(1945年)から70年目と、今後、歴史の記念年が目白押しである。
そして今、[アベノミクス]は「失しなわれた20年」の長期デフレ、不況から脱却できるかどうか、その正念場を迎えている。
日本が徳川時代の鎖国を解いて近代国家に生まれ変わり、渋沢栄一らの起業家によって株式会社を作り事業を興し、日本経済を大発展させてきたこの150年は「平和と繁栄と戦争と破壊」の歴史であり、経済、景気は「山あり、谷あり、倒産あり」で「好況と不況」を繰り返してきた。
この70年間では不況・景気循環は一体何回あったのだろうか、「ニクソンショック」「円高不況」「リーマンショック」など名前の付いた主な不況でも10回以上、景気循環は15回(内閣府のデータ)である。そうすると、ほぼ5-10年単位の波動(サイクル)ということになる。
いうまでもなく国家も企業も人間も生物も寿命がある。永遠の繁栄などあり得ない。興亡のサイクル、成長と衰退、景気循環は有名なコンドラチェフの波では約60年、その他の景気波動説では30年、20年といろいろある。好景気の場合、多くの企業で好業績となる。逆に、不況になれば多くの業績は悪化し、倒産する会社も出てくる。経営者、企業の勝負の分かれ目は「不況時の対応」であり、リスクヘッジにある。危機(ピンチ)とは『危険』な『機会』のこと。危ないチャンスである。危ない(ピンチ)を乗り越えれば好機(チャンス)となる。
ピンチをチャンスに変える「リーダーパワー」(指導力)が経営者の逆転力である。
「ピンチはチャンス」→「危機は好機」→「ありがとうとは<難あり有難し>のこと」→「成功は失敗の数に比例する」→「安定した企業は不安定であり、不安定な企業は安定である」などの経営理念と景気循環のサイクルを経営者が会得すればビックになる千載一遇のチャンスなのだ。
自分も企業も変えることは難しい、大きく変えることはもっと難しい、だから<大変>なのである。
日本を代表する経営者5人の「ピンチをチャンス」にかえた行動から学びたい。
年代順に大正、昭和戦前期に活躍した小林一三、昭和戦後期の土光敏夫、本田宗一郎、佐治敬三(サントリー) 小倉昌男(ヤマト運輸)の経営理念、逆転の発想を見ていく。
① 大阪急グループ創業者・小林一三
大阪急グループ創業者・小林一三(1873年―1957年、84歳)は大正、昭和戦前期に活躍したアイデアのあふれた創造的経営者で阪急、東宝社長、商工大臣を歴任した関西財界の巨人でる。
山梨県韮崎の出身。慶応大卒業後に、明治二十五年に三井銀行に入社。もともと小説家志望で、勤務の傍ら小説を発表する二足の草鞋。大阪支店勤務時に社内の派閥争いにやぶれて,以後、左遷に次ぐ左遷を体験する。これに恋愛、結婚問題がからみ苦悩の底に落ち、ついに一九〇七年(明治40)、妻と子供3人を抱えて35歳で退職。この浪人中に辛酸をなめて、一回りも二回りも成長し、再起を期した。
翌年、かつての上司で大阪財界のリーダー役となっていた岩下清周(北浜銀行頭取)の引きで箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)専務になった。
1日の乗客はわずか数百人とうガラアキノのオンボロ電車だったが、PRの天才だった小林は次々に新生面を拓き、日本初の土地付き分譲住宅の月賦(ローン)販売、レジャー施設の宝塚新温泉、公園、動物園の創設、大正二年には少女唱歌隊(後の宝塚歌劇団)を発足させ、豊中運動場を造り全国中学野球大会(後に甲子園球場)を行った。また沿線・駅周辺の多角的な開発によって人口を増やし消費を拡大していく世界初のターミナル・デパート構想は一九二九年(昭和四)、梅田に阪急百貨店を開業して実現した。
大衆的な想像力と徹底した合理主義で私鉄事業の多角化に成功した小林の経営法は、現在の私鉄経営の元祖である。
その小林の最も有名な言葉が「百歩先をみる事業家は狂人扱いをうけ、現状をみる者は、落後する。ただ一歩先をみる者のみが成功する」というもの。この先駆性を、自分の「小林一三」名前をもじって「一つものを三つに売れ」とも言っている。
「物を一つ売る場合でも、単なる商品を売るだけでは〝一三〟にはならない。これに目に見えない情報に、信用とサービスを添えて、三倍にして売ると、一挙に増える」つまりトータルシステムの先取りである。小林は、いそがずあわてず、半歩先をめざして着実に多角化していった。
◎<小林一三の10訓>
① サラリーマン根性を捨てればサラリーマンも成功する。エキスパートになれ
② 勝負するときは敢然たれ
③ 成功を得るには信用が第一 第2は礼儀を知ること
④ 「事業は〝三一〟である」一つのものは三つに売れ
⑤ 素人こそ成功する
⑥ 議論は手段であって目的ではない。目的は実行にある
⑦ すべて八分目、この限度を守ってさえいれば、失敗しない
⑧ 今日成功する人が、必ずしも明日成功するとはいえない
⑨ 健康の秘訣はノドを大事に、うがいすること
⑩ 大病よりも小病こそ注意すべし、経営も同じ
② 経営の鬼・ミスター合理化、土光敏夫
「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」といわれた東芝社長、経団連会長、土光臨調を歴任した土光敏夫(1896-1988、91歳)は艱難辛苦の時代をたくましく生き抜いてきた根性の世代といえる。9歳の時に日露戦争(1904年)、27歳の時に関東大震災(1923年)、30、40代の働き盛りでは戦争のきびしい時代を体験、50歳で敗戦、廃墟の中で社長となり、復興と会社再建を陣頭指揮してきた、いわば筋金入りの苦労人、モーレツ経営者である。
1920年(大正9)、最も給料の安い石川島造船所に入社し、タービン研究のためスイスに2年間留学、その第一人者となる。ところが、帰国1ヵ月前に関東大震災に襲われ同造船所(東京・中央区佃)は壊滅、倒産寸前に陥った。これに震災恐慌、昭和恐慌が連続的に襲ってきたが、土光が国産タービン技術を完成して、同社復活の中心となった。
昭和11年に石川島造船と芝浦製作所がに合併して石川島芝浦となり、敗戦後の21年4月、社長になった土光は「従業員と家族は1人たりとも飢えさせない」と頑張り4年後に見事に立て直した。これが認められ昭和25年6月に親会社の石川島重工業社長に抜擢された。
この時の行動に土光の真骨頂が表れている。
社長就任初日午前7時20分に出勤した。社長室に入ろうとすると門衛は制止し「あなたはどなたですか」と問いただした。「今度社長になった土光と申すものです」と丁重に頭を下げた。
門衛はびっくり仰天、「これはたいへん失礼いたしました」と最敬礼したが、土光は「知らない人を通さないようにするのがあなたのお役目、御苦労さまです」とやさしく声をかけた。この話はアットいう間に社内に広がった。
土光の成人してからの生活スタイルは前夜いくら遅くても翌朝5時に起床、法華経を読経、新聞5紙に目を通し、5時30分朝食、6時にバスに乗って出社する習慣でそのまま実行しただけのこと。土光新社長は七時二〇分から社長室のドアを九時まで開放した。ぜいたく施設は一切廃止した。
また、初日から社内の伝票、領収書類一切を集めさせて整理し、その山を前にして重役や部課長、係長まで呼び出し、節約、合理化を徹底した。率先垂範のリーダーシップを見せた。
<土光敏夫のモーレツ経営10訓>
① 一般社員は三倍、重役は十倍、私はそれ以上に働く
② 会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を出せ。汗も出ない者
は静かに去っていけ。
③ 六十点主義で即決せよ。決断はタイムリーになせ
④ 成果が上がったら報告するのではなく、報告するから成果が上がる
⑤ 頭を酷使せよ
⑥ 廊下コミ(コミュニケーション)を積極的に行え
⑦ 幹部はエライ人ではなく、ツライ人だと知れ
⑧ まず、信頼される自分になれ
⑨ 地位につけて能力を発揮させよ
⑩ 明日にしようという心にムチを打て
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