日本リーダーパワー史(513)明治のトップリーダーは超人、奇人、変人ぞろい <アル中で妻を切り殺した黒田清隆」
2015/01/01
日本リーダーパワー史(513)
◎<2018年は明治維新からちょうど150年―
明治のトップリーダーは超人、奇人、変人ぞろいー
<アル中で妻を切り殺した疑惑の2代目首相・黒田清隆」>
前坂俊之(ジャーナリスト)
★「フリー電子図書館<白柳秀湖の「黒田清隆」論>
=【親分子分政党編】(千倉書房1932年刊 85-161P)
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id
=127&article_id=4386
★「フリー電子図書館「快傑黒田清隆」(1ページ/10ページ)
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=124
黒田清隆(2代目総理)が妻殺し? 原因はアルコール中毒!?
二〇〇九年二月、ローマで開催されたG8の蔵相会議で、麻生太郎首相の盟友・中川昭一財相が酔っ払ってのヘロへロ会見で、世界に恥をさらし辞任に追い込まれた。「政治は宴会で動き、酒と女から生まれる」--明治以来続く日本の「宴会政治」の悪しき伝統の中でのスキャンダルである。
大蔵大臣の酒スキャンダルでは、昭和二十三年(一九四八)十二月、吉田首相時代に「トラ大臣」と異名をとった泉山千六蔵相が、酔っ払って国会内をふらふらと千鳥足で一升瓶を持って歩き回って、女性議員に抱きつきキスをしたセクハラ事件を起こしてクビになった。明治政府のスキャンダルでは、もっとでかい事件がある。
明治二十一年(1888)に第二代首相になった黒田清隆は『少年よ、大志を抱け」
で有名なクラーク博士を招いた北海道開拓使長官を務め、また参議でもあった。
その黒田の酒乱ぶりは有名で、明治十年、親友の西郷隆盛が非業の霧を遂げて以来、特に酒量が増えた。その黒田が酒にのまれて妻殺し(?)のスキャンダルを起こしたのは、開拓便長官時代のこと。
黒田は酒が入ると、突然人が変わったように乱暴狼籍をはたらき、からんだり、どなったり、刀をふり回すくせがあった。毎晩のように飲み歩いて、帰って来ない。
新橋あたりに何人もなじみの芸者があって、入りぴたりで酒と女に狂っていた。
夫人は旧幕府旗本の中山勝重の娘お清で、十五歳で黒田家に嫁いできたが、病弱で二人の子供は夭折した。二十歳のお清はこの時、三人目を妊娠中でお腹が大きくなっていた。このため、黒田の遊びは一層激しくなっていた。
事件が起きたのは明治11年三月二十八日。東京・芝神明の待合から泥酔して麻布の自宅に帰った黒田は、夫人がすぐに出迎えなかったことや、嫉妬がましいことをいったとかで癇癪をおこし、いきなり床の間にあった日本刀を抜いて夫人を斬り殺した、というウワサが流れた。
この夜、周辺の人々から女性の悲鳴を聞いた、血染めの着物が焼き捨てられた、などのうわさが大きくなった。「蹴り殺した」とも巷間伝えられたが、この一件は闇から間へ葬りされようとした。政府はこの事件の新聞掲載を禁止したが、官武外骨の『団団珍聞』や各新聞が黒田とは特定しなかったものの、「某参議の家庭素乱」、「国法ついに大臣に及ばず」と書き立てた。
政府も黙殺できず、大臣会議を開いて協議して、最も親しい友人の大久保利通が責任をもって処置すると言明した。
指示された川路大警視は「病死か変死かは、遺体を検分すればわかる」と翌日墓地に行き、夫人の墓からお棺を掘り出して、死体をさっと検分し「皆よくみろ、他殺の形跡はないではないか」と、すぐに元の通りに埋めめ戻してしまった。
この二ヵ月後に大久保は暗殺されたが、その斬好状にはこの事件をもみ消した点もあげられていた。
また、別の証言もある。千坂高雅の証言で、明治四十三年十月十九日の『報知新聞』に掲載された。
「おれの娘が、お清の妹と親友で、その晩に泣き込んで来た。黒田が女房を殺したという。すぐ黒田邸へかけつけると、蹴殺したものには間違いがない。黒田の帰ったのを見てお清がうるさく云うから、黒田は酒気に任して何だと怒鳴ったかと思うと、ドタンパタンと音がして、女房はキヤーと言って倒れた。起こして見ると、血を吐いて死んでいた。おれが行って見ると、黒田は真っ青になっていて、女房は蒲団の上で血を吐いて死んでいる。
医者を呼んで吐血して死んだという鑑定にさして診断書も書かした。そして、
すぐそれを埋葬してしまった。大久保内務卿はその時留守であったが、騒ぎを開いて帰ってきた」
「内閣会議を岩倉具視公の屋敷で開いた。議長は三条(実美)公さ。伊藤(博文)も死骸を発掘して真相を糾せという。司法卿・大木喬任は発掘すると政府の威信に関するという。大久保はただ黙っている。最後に、ようやくロを開いて、『世間では大変やかましいそうだが、女房を殺した形跡はない、どういう証拠からお調べなさる。私は全然、不同意である。黒田とは同郷で親友ですから、自分の身に引き受けて、保証いたします。大久保をお信じ下さるなら黒田をもお信じくだれ』と、ピーンと一言やった。
猛り立っていた参議連中も、この一言で黙ってしまった。議論屋の伊藤もすっかり黙ってしまった。三条公は『内務卿のお言葉に御疑惑はありませんか』と言われたが、『皆が疑惑はありません』と頭を下げた。自然と世の中の議論が鎮圧されてしまった」(佐々木克編『大久保利通』講談社学術文庫、65-69P)
この黒田清隆夫人の死に関する話は、『報知新聞』に十月二十七日掲載された大久保利通の連載「十四人を知るの明」の記事のあとで、「記者の筆記に誤りがあった」という理由で、全部取り消されているのは何ともミステリーである。
<以上は「痛快無比ニッポン超人図鑑」前坂俊之 新人物文庫(2010年)>
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(43)水野広徳による『秋山真之』への追悼文(上)
噫(ああ)、秋山海軍中将(上)   …
-
-
『Z世代のための日本戦争学入門⑦』『1872年(明治5年)―岩倉遣米欧使節団がロンドンに到着(英タイムズ1872年8月20日記事)★『鎖国を脱し未知の国際社会の仲間入りした未開国日本のトップリーダーたちの見識の高さを中国のトップと比較して激賞した』
2012/09/22 日本リーダーパワー史(322)記 …
-
-
世界が尊敬した日本人『アジアの共存共栄を目指した犬養毅』―パールバックはガンジーらとともに高く評価した。
世界が尊敬した日本人 アジアの共存共栄を目指した犬養毅 …
-
-
日中朝鮮150年戦争史(49)-副島種臣外務卿(外相)の「明治初年外交実歴談」➀李鴻章との会談、台湾出兵、中国皇帝の謁見に成功、『談判をあまりに長く引き延ばすので、 脅してやろうとおもった』
日中朝鮮150年戦争史(49) 副島種臣外務卿(外相)➀ 李鴻章との …
-
-
『オンライン日本史の現場を訪ねる動画散歩』★『鎌倉五山、北条政子が眠る「寿福寺」のもみじの晩秋を拝観』★『鎌倉幕府を作った北条政子が眠る「寿福寺」のお墓にお参り』
鎌倉五山、北条政子が眠る「寿福寺」のもみじの晩秋に拝観(2022年12月19日) …
-
-
鎌倉海水浴場(由比ガ浜、材木座海岸)のサーファー数百人(7月31日午前700)-台風がそれたので波低し、それでも日曜日とあってサーファーラュシュの賑わい。
前坂俊之チャンネルー湘南海山ブラブラ日記
-
-
日本リーダーパワー史(355)<日本の最も長い決定的1週間>『わずか1週間でGHQが作った憲法草案②』
日本リーダーパワー史(355) <日本の …
-
-
『オンライン講座/日米戦争開戦の真珠湾攻撃から80年⑫』★『 国難突破法の研究⑫』★『東日本大震災/福島原発事故発生の3日前の記事を再録(2011/03/08)』★『ガラパゴス/ゾンビ国家になってはいけない』★『ロジスティックで敗れた太平洋戦争との類似性』★『1千兆円の債務を抱いて10年後の2020年以降の展望はあるのか?」
2020/01/23『リーダーシップの日本近現代史』 …
-
-
<日本風狂伝②昭和文壇の奇人ベストワンは永井荷風だよ>
2009,6,10 日本風狂人伝②昭和文壇 …
