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日本リーダーパワー史(165)空前絶後の名将・川上操六(25)<日本の007情報将校、満州馬族隊長の花田仲之助>

      2015/02/17

 日本リーダーパワー史(165)
空前絶後の名将・川上操六(25)
<日本の007情報将校、満州馬族隊長の花田仲之助>
                 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 <坊主となってウラジオストックに潜入>
前回は川上操六が手塩にかけた日清戦争の開戦情報をいち早く送ってきた無名の鐘崎三郎らの活躍について触れた。すでに荒尾精の中国での諜報網は何度か書いてきたので、今回は花田仲之助について書いておく。
 花田仲之助は、万延元年(一八六〇)六月に鹿児島で、薩摩藩奥侍医を務めたこともある幽斎を父として生まれた。明治一〇年(一八七七)、一六歳の身で西郷軍の桐野利秋の配下として西南戦争に参加、政府軍に捕まり斬刑となるところを、川上によって助けられる。恩義を感じた花田はその後上京して、明治一三年(一八八〇) に陸軍士官学校に入学し、軍人としての途を歩んだ。
 士官学校の同期には橋口勇馬や軍神・橘周六のほか、後の大将明石元二郎、宇都宮太郎、立花小一郎それに、荒尾精や根津一などがいる。
 士官学校時代から谷中会を結成(別名、靖献派)荒尾の胆、根津の知とともに花田の徳といわれ、日本陸軍の将来をになう三異材と期待されていた。硬派中の硬派で青年士官になると、鎌倉の円覚寺の英僧・今北洪川和尚のもとに参禅した。
 「禅を学ぶものは、まさに花田の如き態度であらねばならぬ。」と和尚から激賞され、“松蔭〃の居士号を贈られた。
大尉時代には、第一師団麻布第三連隊第三大隊副官(のち中隊長)として出征したが、凱旋してくると、明治二十九年二月、参謀本部出仕を命ぜられ、時の参謀次長川上操六(中将)から、重大使命を命じられ、まもなく行方不明となってしまった。
 翌年三月、花田が〃清水松月〃と名乗り、破れ衣に網代笠、錫杖を片手に、づだ袋をぶらさげた雲水姿で、ひょう然と鎌倉の円覚寺を訪ねてきた。釈宗演にお訣れを告げた。
宗演は無遠慮に、花田のづだ袋に手をつきしんで、その底から一振りの短刀をとりだした。「こりゃあいかん。こんな鈍くら物では大ケガをする」と、その短刀を、庭先の池中にほうり投げてしまった。
 「愚僧から、とくに餞別として、絶世の名刀を進ぜよう。それは、陸に犀角を斬り、水に蚊竜を断つ、天下無類の降魔剣じゃよ‥」
 と自分の頚にかけていた、大きな水晶の数珠を手渡した、という。
 一介の雲水、清水松月になった花田は、四月十七日、西本願寺のシベリア別院の布教師というふれこみで同本願寺の法主大谷光尊師の秘書伊藤洞月と同道して、ウラジオストックにあらわれた。清水松月の寺には、参謀本部所属の軍人の姿が再々みられたが、彼が僧侶であることを疑うものはいなかった。僧としての徹底ぶりは、同僚たる田村恰与造をして、「この三年の間、君は本部に対して務めを果しておらん。それは君自身が一番よく知っとるはずだ、どうだ、軍人の務めを果すか、坊主になるか」(石光真清『昧野の花』)と激怒させたほどである。

敵を欺くには味方から
 当時、ウラジオストックには、領事の二ッ橋謙をはじめ、館員の川上賢一、ロシャ語学校の佐波武雄、布教師の阿部道漠と西本願寺別院の幼推薗保母の木下すえ子、日本新聞、大阪毎日、国民新聞、大阪朝日、時事新報の各記者が、特派員として駐在。一般居留民としては、木藤克己(のち総領事)や、黒竜会の内田良平も、柔道師範として滞在していたが、そのほかは料理屋と女郎屋、ペンキ屋に洗濯屋、理髪屋だけ。いかがわしい女のほうが、はるかに多かった。
 
(注・宮岡謙二著『娼婦海外流浪記』(三一新書、1968年刊)によると、
「当時のウラジオストック港に在留の邦人は軽く三千を超えていたとみればよい。男と女の割合こそ、やや平均ざれてきたようだが、全体としての増加ぶりはまことに盛んなもの、ことに女の職業は娘子軍(女郎)一手と絞ってもよかろうから、その発展のあとはすさまじい。内地へ送られた金高の内訳を、やはり十年まえの分と比べて見ると一層はっきりしよう。
 明治三十三年に「ウ」港から日本人が国へ送った金は、八十八万七千八百三十三円七十五鎧、ほかに外国商人の分が十万円ほどあるが、ざっと九十万円近くの外貨を握っているとみてよい。その送り先を洗うと、島原、天草を控える長崎が半分以上を占めている。したがって、そのまた大半三十万円ほどがムスメの送金だったと睨んでまず間違いなかろう。
 貿易外の収入に大きくプラスしたといわれている「郵船」が、明治国家の手あつい補助をうけがらも、この年の送金は僅か四万五千円足らずの情なさ。国家に保護された大会社の力が、ムスメたちめ働きに蓬か及ばなかった時代もあった」
このような経歴を秘めたまま、花田はウラジオストクの荒寺で「僧侶」としての生活をしていた。清水松月の寺には、参謀本部所属の軍人の姿が再々みられたが、彼が僧侶であることを疑うものはいなかった。僧としての徹底ぶりは、同僚たる田村恰与造をして、「この三年の間、君は本部に対して務めを果しておらん。それは君自身が一番よく知っとるはずだ、どうだ、軍人の務めを果すか、坊主になるか」(石光真清『昧野の花』)と激怒させたほどである。
  こうした異国の空で、破れ衣に汚れけさをつけた松月の花田は、旅装をとく暇もなく東奔西走した。きのう東にいるかと思えば今日は西―ポゼット、ニコリスク、ハバロフスク、ニコラエフスク、ヴラゴエシチェンスク、チタ、オムスク、イルクーツク等から、蒙古のキヤフタ、満州里、売買城、ひるがえっては満州の書林、長春から、ハルビン、奉天、大連、旅順、大石橋、山海開、安東、新義州などにいたる六千余マイルの広汎な地域を、二、三回ずつ飛びまわる、布教につぐ布教で、全く寸暇もなかった。
 しかし、その裏面では、シベリアにおけるロシアの政冶や軍事、経済的な動向をはじめ、満州侵略に対する鉄道、兵員、兵種へ兵器、兵備、その他の施設や配置、野望についての布石状況を、つぶさに踏査、挟究するのが本来の目的と使命であった。
 しかし、居留民のあいだでは、おそろしく高歩きする糞坊主だとか、お布施かせぎのインチキ坊主と冷笑するものもあった。ある日、破れ衣姿で、ウラジオストックの港内で魚釣りをしている松月を眺めて、「生ぐさ坊主め、衆人看視のなかで魚釣りをやるなんて、坊主の風上にもおけぬ」と非難をうけたこともあった。
 しかし、敵を欺くのはまず味方から-。彼は魚釣りにことよせて、実際は、港の水深をはかっていたのであった。
大陸を流れる女と生仏
 かと思えば、ハバロフスクに滞在中、日本料亭〃菊乃屋〃西岡庄吉方の娼妓お雪が、奥地に売られてゆくのを悲しんで救いを求めてくると、当時の金で大枚七百円を恵んで自由にしてやり、人をたのんで天草に送還させたこともあった。
 このほか、花田の手で大なり小なり済度された〃大陸を流れる女たち〃は数しれず、そのなかでもお菊、お浜の両女は、よくしられている。
 お菊は本名を出上菊子といい山口県熊毛郡生まれで、当時十七、八才。ブラゴエシチェンスクにおける熟心な和尚の信者の一人で、後に馬賊の頭目克山(一名・虎山)の妻となり、大正七年、日本軍のシベリヤ出兵当時、全面的協力を惜しまなかった『シベリヤお菊』の若き日の姿であった。
 お浜は、お菊に劣らぬ花田の熱烈なる信者で、長崎県島原の生まれで、当時十七才の娘盛り。しかし、美貌がたたって、シベリヤ、満州三界を流れ歩き、後にロシャの満州総督アレキセーフ大公の愛妾となり、日露の風雲急を告げた時、機密の地図を盗みだしたと女性であった。
 当時のシベリアや満州は、日本人娼婦たちの独壇場であり、参謀本部の諜報網の最先端でもあった。
清水松月は、こうした酒と女とにただれきった裏の社会に出入しても、いつも淡々として、ただ仏の道を説ききかし、法事や冠婚葬祭といえば、貧民窟の満州人や朝鮮人の家にでも平気で出入して、無料で奉仕するので〝生き仏〃さまとして圧倒的な人気があった。
こうした連中には、ロシアの軍事施設工事や鉄道工事等の人夫や、あるいはロシャ人家庭の使役に従事しているものが多く、いろいろな情報が、期せずして入手できた。
寺院を通して情報連絡
 花田のやることは、万事がそつなくおこなわれたので彼が軍人であり、スパイだと思うものは一人もいなかった。和尚の情報蒐集に、終始一貫協力した紅1点に、西本廠寺別院幼稚園の保母木下すえ子がいた。
 木下は当時すでに五十才をこしていたが男まさりの性格で、ロシアの上流夫人に馴染が多かったので、ロシア銀行が東真鉄道の敷設権を獲得、同鉄道の剖総裁ケルベッチが臨場のうえ、盛大な起工式をあげたことや、三十一年にハルビンから江岸にいたる四千デシャチーナの広大な土地を買収したり、翌三十二年の春にハルビンー阿十間の鉄道が臨時運転したことなど、数多くのロシア情報が入手できた。
 こうした情報の参謀総長川上操六大将との連絡は、もっぱら京都の西本願寺の伊藤洞月があたり、伊藤洞月と参謀本部との連絡には、根津一少佐と成田練之助とがあたった。
たとえば花田から、京都の西本願寺あてに、
  〃盛夏の一日をさき、久しぶりにて舟釣りにでかけ侯ところ、浅瀬では二、三十尾、沖では八、九十尾もの収穫これあり候‥‥
といった便りがあれば、ウうジオストック港内の水深は、浅瀬で二、三十尋、沖で八、九十尋という意味となる。
 〝ハバロフスクに、新たらしく布教所を設置、信者五、六名ぐらいなるも、さらに続々増加の見込みに有之候‥〟とあれば、これまたハバロフスクに兵舎が新設され、目下のところ兵員五、六〇〇名ぐらいだが、さらに続々増強中といった一種の暗示文である。
今日から考えると、いたって平凡な幼稚きわまるものであったが、下手にしち難しい暗号文字をもちいるより、かえ?てこのほうが、何人にも疑われずにすんだ。
 ところが、明治三十二年五月十一日‥‥花田に絶大の信頼を寄せ、花田もまた師父のように敬慕してやまなかった参謀総長・川上操六大将が急逝して、参謀本部の方針が漸次、かわってきた。この年十二月二十四日、突如、花田に対して参謀本部から、帰還命令が下った。翌二十五日の最終便船で、ウラジオストックから急拠、帰国した。

  私は坊主でケッコウです

 内地にかえるとすぐ、花田は、後任の参謀総長大山巌大将に、シベリア時代の報告書と特に、その意見書ともいうべき、堂々一万二千字にのぼる〝対露卑見″を提出した。 この〝対露卑見″は、満州侵略に対するロシア側の飽くなき工作と、ロシア軍部の老獪な性格と日本軍部の堕落を忌悼なきまで批判し、その最後に辞表を差しだした。

「花田さん、これは、辞表じゃないか?」
郷土の後輩であり、自分の部下である花田を、大山は、いつでもさん呼ばわりして敬愛していた。それは、軍人としての花田でなく、むしろ徳の花田、人間の花田として、たかく評価していたからだ。

「おはんは、なにが不服で軍を辞めたいのじゃ?」
「はッ それは、田村大佐殿に、お約束申しあげたことがありますので‥」
と答え、同月二十八日付きをもって、予備役編入、少佐に昇進すると同時にやめた。


 また、こうした物語を、裏書きするように当時、安井滄溟著『陸海軍人物史論』(大正5年、博文舘発行)は次ぎのように書いている。
「荒尾の畏友に花田仲之助あり。(中略)彼も資性剛直にして謹厳、人を喪服せしむるの識見を有し、若し人格を以てすれば、現下の大中将を通じて、彼れに比肩すべきもの、恐らく一人も是れ無かるべし。(中略) 彼れ夙に、露国の東方経営について苦心し、重大なる特別任務に服せしも、田村恰与達と衝突して陸軍を退き(中略)、彼れに関する美談は一、二に止まらざるも、多くは軍機に触るる虞れあるを以て、立に之を公にすること能わざるを遺憾とす。要するに彼れは、武人の典型なり。

田村が微嫌を以て、彼れを部外に追いしは、実に田村の一大過失にして、同時にまた我陸軍の一大損失なりしと言わざるべからず」

参考文献   『東亜先覚志士記伝』(黒龍会出版部、1934年)        岡田幹彦『日本の国を護った軍人の人々』祥伝社(平成14年刊)

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