『世界サッカー戦国史』①ー『W杯ロシア大会と日露戦争(1904)の戦略を比較する。西野監督は名将か、凡将か➀
2018/07/16
『世界サッカー戦国史』①
W杯ロシア大会2018と日露戦争(1904)の戦略を比較する。西野監督は名将か、凡将か
前坂 俊之(ジャーナリスト)
ワールドカップサッカーはいまや、オリンピック以上に世界で最も人気のあるスポーツであり、平和時の代理戦争であり、武力によらない足力、人間力のみの体力・知力の総力戦である。
いわば「智慧の戦い(インテリジェンス)」でもある。サッカーは段階的なルールの進化によって、武器によらない非暴力(フェアプレー精神)の足2本の国際的スポーツナンバーワンとなった。
軍事力、経済力の格差に関係なく、いわゆる先進国も中進国も開発途上国も、平和の祭典のオリンピック同様に参加できる。フィジカルの強さ
による各国、民族の身体1つの代理戦争という認識があり、「負けると民族として劣ってる」ともみられがちである。いわば足、フィジカルの強さのオリンピックなのである。
ところが、むかしはそうではなかった。
世にも危険なイギリスサッカー発祥の歴史
http://www.rekishiwales.com/entry/2016/03/17/080000
英国のサッカーの起源は、8世紀ごろにイギリスとバイキングの戦いで
デーン人の王の首を落として、歓喜の余りその頭をボールにして蹴り合ったのが始まりとも伝えれれている。これは極端な例だが、モブ・フットボールというルールなしの格闘技的な危険なスポーツが盛んに行われていた。
このモブフットボールは祭日の行事として行われ、いわばケンカ祭りで隣町や敵の街、国同士で殺人をしなければ何でもOKというルール。
噛みつき、殴り合い自由のケンカサッカーで大群衆が、街中をフィールドにして戦い、暴徒による略奪、放火、強盗も横行。ゴールは教会のベランダで、まさに武器を使わない殴り合いの戦争でした。このモブ・フットボールは1341年に禁止になった。
フリーガンなどはこの名残なのでしょうね。
サッカーによる勝負から戦争に発展したケースもある。
サッカー戦争とはワールドカップ予選の試合結果を不服としたホンジュラスとエルサルバドルの間で勃発した戦争で、勃発から5日で終戦を迎えたことから100時間戦争ともいわれる。
1969年6月8日、ホンジュラスの首都テグシガルパで、 翌年に開催を控えたワールドカップ・メキシコ大会の出場権を巡りホンジュラス対エルサルバドルの予選第一回が行われた。
試合は荒れに荒れ、スタジアムでは乱闘騒ぎがおこり1ー0でホンジュラスが勝利すると、
熱狂的なエルサルバドルファンの18歳の少女がピストル自殺をする事件が発生。 葬儀に大統領が駆けつけ予選会の行方は両国の威信をかけた一大決戦となった。
2回戦においては乱闘も前回以上にエスカレート。
結果は3ー0でエルサルバドルが勝利したためプレーオフの3回戦へ。この緊迫した状況にメキシコ当局が厳戒態勢で挑んだため大規模な乱闘には至らず、延長の末エルサルバドルが3ー2で勝利、ワールドカップ出場のを決めたというもの。
サッカー戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89
つづく
関連記事
-
-
日本風狂人伝⑩ 尾崎士郎-「人生劇場」を書いた男の中の男
日本風狂人伝⑩ 2009,6、29 尾崎士 …
-
-
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑯「伊藤博文統監はどう行動したか」(小松緑『明治史実外交秘話』昭和2年刊)①
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓 …
-
-
『長寿逆転突破力の時代へ②』★『人生折返し後半戦の50 ,60. 70 ,80からのスタートダッシュの研究』★『『超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中(107歳)の気魄に学ぶ』★『六十、七十はなたれ小僧、娘、人間ざかりは百から、百から。今やらねばいつできる。わしがやらねば、だれがやる』★『「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。今やらずしていつできる』
前坂 俊之(ジャーナリスト) 2012年初め、平櫛田中記念館(東京都小平市学園 …
-
-
速報(53)『日本のメルトダウン』ー「キッシンジャー元国務長官が中国について語ることの難しさ」
速報(53)『日本のメルトダウン』 ●「キッシンジャー元国務長官が中国について語 …
-
-
日本経営巨人伝⑨中上川彦次郎ー三井財閥『中興の祖』・中上川彦次郎<悍馬(荒馬)よ来たれ!>
日本経営巨人伝⑨中上川彦次郎 三井財閥『中興の祖』・中上川彦次郎 …
-
-
『Z世代のための世界が尊敬した日本人(47)』100回も訪中し、日中国交回復の「井戸を掘った」岡崎 嘉平太(ANA創業者)
世界が尊敬した日本人(47) 前坂 俊之 (ジャーナリスト、静岡県大名誉教授) …
-
-
『日中韓対立のルーツを知るために」ー『日清戦争始末』(明治30年刊)、徳富蘇峰の「風雲漫録」(日清戦争従軍記)を読もう
① 私は日中韓の対立のルーツ …
-
-
日本経営巨人伝⑥・広瀬宰平 – 明治初期の住友財閥の『中興の祖』広瀬宰平
日本経営巨人伝⑥・広瀬宰平 明治初期の住友財閥の『中興の祖』広瀬宰平 <『宰平遺 …
