前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『日本史決定的瞬間の現場を歩く』★『明治36年4月21日、京都「無隣庵」での伊藤博文、山県有朋、桂太郎首相、小村寿太郎外相の4巨頭に児玉源太郎内相、杉山茂丸の6者で『日露戦争を辞せず』と決定した。

      2017/04/09

★『日本史の決定的瞬間』★

『明治36年4月21日、京都「無隣庵」での伊藤、山県、桂、小村の4巨頭、

児玉、杉山の6者会談で『日露戦争を辞せず』と決定した。

 朝鮮問題は一歩も譲らぬ

駐清公使内田康哉から「ロシアは、満州還付条約で定められた第二期の撤兵を履行することなく、新たに清国政府に向かって七ヵ条の要求を提出した」との電報が小村外相に届いたのは、明治36年4月19日であった。

折りから海軍大演習につぐ神戸の観艦式があり、大阪では第五回内国大博覧会が開かれ、そのため明治天皇は京都に臨行し、総理大臣以下文官、軍首脳も京阪の地にあり、小村外相は大阪に滞在中であった。

 

秘書官の本多熊太郎が内田公使からの電報の暗号を翻訳して持って行くと小村は

「ロシアッポが撤兵なんかしないなら、そのほうがいいね、そうすれば、内も外も同時に大掃除ができるわ」

 との感想を漏らした。小村の意はすでに深く決するところがあった。

尽くすべき外交交渉は尽くすけれども、その順序と過程を経た後に来たるものが、ロシアとの武力衝突であるとの見通しと覚悟が小村の腹の中では固まっていた。

「朝鮮問題は断じて一歩も譲らぬ」という決意である。

京都「無隣庵」で四巨頭の会議が開催

北京の内田公使から警電が来るとほぼ同時に、北韓からも次々に警電が舞い込んだ。ロシアは、このころ俄然、鴨緑江下流の新義州に近い竜岸浦を占領して、軍事的施設を加え、旅順の総督府と一体となって、〝極東帝国建設に、邁進する勢いを示した。

 

日本政府も、いよいよ腹を固める時期が迫った。内田公使の北京急電に接した翌々日、4月21日、伊藤、山県の二元老、桂首相、小村外相は、山県の京都南禅寺畔にある別邸「無隣庵」で会談した。

伊藤は大阪での第五回内国大博覧会に出席、この日は伊勢神宮に参拝して、京都にきていた。

明治天皇に扈従していた桂首相と小村外相は大阪で合流し、山県公ら四名は無隣庵2階の一室で対ロシア問題について長時間にわったって密議した。この時、山県から命じられて台湾総督・児玉源太郎(内相)が呼ばれ、黒幕・杉山茂丸も東京から呼び出され『無隣庵』1階の別室で待機し、そのなりゆきを見守っていた。

この席上、桂、小村は次の提案をした。

➀ 「ロシアが満州還付条約を履行せず、撤兵しない時は、われからロシアに抗議する。

② 朝鮮問題は、ロシアにわが優先権を認めさせ、一歩もロシアに譲歩しない。

③ 満州問題は、ロシアの優越を認め、これを機会に朝鮮問題を根本的に解決する。

 

伊藤、山県は、この提案を了承した。日本がとるべき根本的態度がここで決まった。

この案は、一見、微温的で、伊藤の唱えていた満韓交換論の範囲を出ないものと見えるが、「韓国問題について一歩も譲歩せぬ」という1点に桂首相、児玉源太郎、小村寿太郎外相の政軍一体で『日露戦争も辞せず』との固い決意を示すものであった。

その点で、この「無隣庵」会議こそ、日露開戦の決意表明でもあった。

別室で控えていた児玉、杉山にとっては、予想を裏切るあまりにも弱腰の決議に唖然として、すごすごと帰京したが、623日の御前会議でこの決議が最終決議となったことに、再驚いたといわれる。

 

日本リーダーパワー史(522)『「明治の国家参謀・杉山茂丸に学ぶ」⑦「児玉源太郎、桂太郎と 「日露戦争開戦」の秘密結社を作る」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/306.html

 

日本リーダーパワー史(476 )

<日本最強の参謀は誰か「杉山茂丸」の研究② >

◎<日露戦争開戦前に、児玉源太郎を参謀次長に引っ張り出し、対ロシア戦を秘密協議した「無隣庵会議」

にも参加していた『明治国家の大参謀』怪傑・杉山茂丸の証言は・・・」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/wp-admin/post.php?post=1122&action=edit

 

小村外相のロシアの巨熊を生け捕る方法とは・・

 

「無隣庵」会議後のある日曜日、外務省政務局長・山座円次郎と、大臣秘書官・本多熊太郎の二人が、葉山の別荘(家賃二十五円、四室の借り別荘)に、週末休養中の小村を訪ねた。

山座は、晩酌後の上機嫌で「大臣、ロシアはどうせ満州を離すということはない、日英同盟のほとぼりの冷めぬ今の中に、一つ叩こうではありませんか」

と言うと小村は

「フフン、君は北海道のアイヌが熊を生け捕るやり方を知っているか、アイヌがカズノコを海辺に干しておくと、熊がゴソゴソと出て来てこれを食い、さんざんカズノコを平らげたあげく、ノドが渇いてくる、

そこでノコノコと海の方へ歩き出して、海水を飲む、ますますノドが渇いてくる、ますます飲む、そのうちにカズノコが腹の中で膨れてくる、熊の動きが鈍くなる、そこをアイヌが手もなく生け捕りにするのだ。

ロシアは今盛んにカズノコを食っている、今にノドが渇いて、水を飲みに海辺に出て来るよ。その塩水を飲んでいるところを、生け捕るのだ」

 と話し、『満州でたらふくカズノコを食った〝ロシアの〝巨大シロクマは、いまに朝鮮に塩水を飲みにやって来る、その時こそ生け捕るべき時なのだ。』と対露決戦の決意を語った。

黒木勇吉「小村寿太郎」講談社(1968年、388-389P)を引用した。

 

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「Z世代への遺言」★「日本を救った奇跡の男ー鈴木貫太郎首相①』★『昭和天皇の「聖断』を阿吽の呼吸でくみ取り、『玄黙戦略」でわずか4ヵ月で80年前終戦を実現』★『太平洋は神がくれた平和の海でトレード(貿易)のためのもの。これを戦争の海に使ったならば、両国ともに天罰を受ける』

  2024/08/16   記事転載再編集」   …

no image
『中国近代史講座』★『『辛亥革命100年で孫文を助け、辛亥革命を成功させた最大の日本人は宮崎滔天で、宮崎家は稀有な「自由民権一家」であった。(上)

2011/10/21  日本リーダーパワー史(201)記事再 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(3)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』③「高杉晋作のインテリジェンスがなければ、明治維新も起きず、日本は中国、朝鮮の二の舞になっていたかも知れない」

     2015/11/22&nbsp …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座』★『戦後政治の礎を築いた大宰相・吉田茂首相のインテリジェンスと胆力・ユーモア』★『マッカーサーと昭和天皇の会談が13回、 吉田は合計75回も面会した』●『大往生(89歳)の秘けは「カスミを食うこと、いや人を食うことだな」

  2016/02/11 /日本リーダーパワー史(666) 昭和の大宰 …

『リーダーシップの世界日本近現代史』(287)/★『F国際ビジネスマンのリタイア後の世界ぶらり散歩「パリ/オルセー美術館編』★『オルセー美術館は終日延々と続く入場者の列。毎月第一日曜日は無料、ちなみに日本の美術館で無料は聞いたことがない』

     2015/05/18 &nbs …

『オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争を比較する⓶』★『1904年(明治37)/2/4日、日露戦争を決定する御前会議が開催』★『明治天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いた』★『万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときです。このままロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る(伊藤博文奏上)』

  2021/09/01 『オンライン講座/日本興 …

no image
人気リクエスト記事再録 『百歳学入門(186 )』-百歳長寿社会へのお手本『世界ベストの画家・葛飾北斎(90歳)の創造力、晩年学こそ長寿力』★『北斎こそ世界を席巻した「ジャポニズム」「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖である』

2011年1月15日執筆<超高齢社会のモデル> 世界ベストの画家・葛飾北斎―90 …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねる➀ー『ニューヨーク・タイムズ』(1895(明治28)年1月20日付)ー「朝鮮の暴動激化―東学党、各地の村で放火、住民殺害、税務官ら焼き殺される。 朝鮮王朝が行政改革を行えば、日本は反乱鎮圧にあたる見込―ソウル(朝鮮)12月12日>

  2011年3月16日の記事再録/『ニューヨーク・タイムズ』(189 …

no image
知的巨人の百歳学(141)-日本画家・奥村土牛(101歳) は「牛のあゆみ」でわが長い道を行いく』★『スーパー長寿の秘訣はクリエイティブな仕事に没頭すること』』

  『60歳から代表作を次々に出した奥村土牛』 芸術に完成はあり得ない …

no image
日本リーダーパワー史(97)川上操六⑮ 日露戦争勝利の参謀本部スタッフ-勝つと断言する

日本リーダーパワー史(97) 川上操六⑮ 日露戦争のための参謀本部スタッフ    …