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日本リーダーパワー史(522)『「明治の国家参謀・杉山茂丸に学ぶ」⑦「児玉源太郎、桂太郎と 「日露戦争開戦」の秘密結社を作る」

      2017/06/13

 

 日本リーダーパワー史(522

 

『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」

今こそ杉山の再来の<21世紀新アジア主義者>

が必要な時」』(7終り)

 

                前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)

 

影の参謀役―児玉源太郎(参謀次長)、桂太郎(首相)らと
「日露戦争
開戦」をめざして秘密結社を作る

こうした杉山のネットワークの基本となったのは陸軍人脈で、山県、川上から全面的に信頼されて、「明治陸軍のエース」児玉源太郎とはそれ以上の深い『ツーカー』の関係があったのです。

川上は日清戦争後の「臥薪嘗胆」で対ロ戦争の準備に奔走し、世界中にインテリジェンス網を構築する途中で、明治32年5月に50歳で急死する。病弱で日清戦争中でもほとんど外務省に出勤できなかった陸奥も同30年8月に53歳で病死している。元老の伊藤、山県の2人はいずれも『恐露病患者』、日露戦争反対派である。その困難の中で、ロシアは「不凍港」をもとめて、朝鮮王朝に取り入って、清国同様に日本追い出しに動いて、日露戦争の危機はますます高まってくる。

こうした状況に切歯扼腕した杉山は明治31年(1898)、伊藤内閣が総辞職した際、当時台湾総督だった児玉(中将)と、二人だけで日露戦争を遂行するための秘密結社を結んだのである。その密約とはーー

 

  日本はロシアと戦争しなければ国家にならない。

  国論を統一するため、今の小党分裂の政党を合同させる。

  その政党の党首は伊藤とする。

  伊藤の新政党に山県公がもし反対すれば、山県公を引きずり降ろす。

 

これらを取り決め、杉山は伊藤に面会してこの話をしかけると、「日露戦争などもってのほか、むしろ日露同盟を提唱しようと思っておる」と烈火のごとく怒った。

 山県に持ちかけると「国力、兵力の段違いのロシアと戦争など軽々しく言うな」と怒られ、井上馨からは「大馬鹿者の暴論じゃ」と罵倒された。

当時、世界一の陸軍国といわれたロシアと戦争できるほどの国力が日本には全くなかったことを、トップは自覚していたのである。

 

 以後、三年間、杉山らはこの件は一切口外せず、沈黙を守っていた。

伊藤も下野しており、当時の二大政党の自由党、進歩党がたえず反目して議会が混乱していたのに対して、自ら政党の組織作りを決意して動き始めた。

 

杉山は伊藤の自邸「滄浪閣」(大磯)をたびたび情報伝達に訪れ、政党作りをたきつけた。しかし、金に淡白な伊藤には資金がなかった。チャンス到来と、杉山は政党資金の提供を申し出たが、伊藤は「君の金は使うわけにいかぬ」と断った。

 杉山は「閣下のご存命中はどんなことがあっても口外しませんから」と約束して、大磯から東京に帰り、翌朝、かつて事業に協力して大儲けさせたことのある実業家を訪ね、「至急、十万円を用立てて欲しい。伊藤の存命中はこの件は秘密にしておくのじゃ」との条件付きで金を借りた。今の金に換算すると、五億円近い大金である。(一又正雄【杉山茂丸」原書房,1975年刊 98−101P)

 

 数日後、実業家からこの金を受け取った杉山はその足で大磯の伊藤を訪ねて、「お約束のものです。これに入れておきますから」と机の下にあるワニ皮のカバンに現金十万円を置いて、すぐ引っ返した。

 

翌日、伊藤は、秘書官に手紙をもたせて「拙宅の忘れ物を引き取ってくれ」と厳重に申し入れてきたが、杉山は「忘れ物などありませぬ」とはねつけ、以後、再三の呼び出しにも応じず、行方をくらました。

 

「金にきれいな伊藤がこの大金を使って必ず政党作りに動き出す」と杉山はにらんでいたが、案の定、半年ほどして、伊藤は立憲政友会を組織することを発表したのである。

 

明治三十四年六月、山県、児玉ら尽力で桂太郎内闇が誕生する直前、この秘密同盟に桂も加わって、「児玉、桂、杉山」3人の強力トリオが完成する。

 ロシアに対抗するためには当時、世界で唯一の超大国・大英帝国を味方につけることが不可欠であり、三人はこの点でも意見が一致、「日英同盟」を推進した。

 ところが、伊藤がその前に立ち塞がっていた。「俺の目の黒いうちは、決して日露戦争は実現させぬぞ」と厳命しており、「日露協商」を何とか締結したいと考え、「日英同盟」には真正面から反対していた。

 

 伊藤の腹をいち早く読んだ杉山は、この難問を解決するために奇策を編み出す。伊藤をまず日露戦争の戦死者の第1号に祭り上げることであった。

 日英同盟は、日本側の一方的な申し込みの場合には条件が悪くなる。英国側にも同盟のメリットを十分認識させる必要があった。

「天皇の信任の厚い伊藤が直接でかけて行ってロシアという臍(へそ)を押せば、必ず日英同盟という屁(へ)が出る」と杉山は桂らに断言していたが、その目に狂いはなかった。

 

 杉山は、伊藤にロシア行きを熱心に勧め、山県、桂、児玉もこれをバックアップした。宮中より十五万円の下賜金があり、伊藤はロシアに出発する。杉山も米国に旅立ってそのお膳立てをした。一方、桂は秘密裏に日英同盟の交渉を進めていた。

 

 明治三十四年十一月に伊藤がロシアを訪問して日露協商を持ち出す途中で、日英同盟の成立が決定された。

 当時、大英帝国はシベリア、満州、ビルマ、インド、アフガニスタン、ペルシャ(イラン)など、世界各地でロシアの脅威にされていた。世界にその存在さえもまだ知られていなかった東洋の一小国・日本が世界一の大英帝国と同盟を結んだことに、各国は驚愕した。

 

 しかし、伊藤にとって日英同盟締結へは煮え湯を飲まされ、面子が丸潰れであった。以後、政友会を率いた伊藤は、海軍を拡張して日露戦争を着々と準備を進める桂内閣にことごとく反対するようになる。

 

 明治36年4月22日、京都にある山県の別荘「無隣庵」で極秘に伊藤山県、桂、小村寿太郎が集まって日露談判の方針が決定され、ただちに天皇の裁可を得た。この時、杉山は児玉とともに別室に控えて会議の成り行きを見守っていた。

 軍艦五万トンの補充費を巡って桂と伊藤は対立して、ついに桂は辞表を提出する事態となった。伊藤が立ちふさがったのであった。

 

「どうすれば、よいのか」と 杉山は思案にくれたが、歌舞伎座に芝居を見に行った際、舞台で踊っていた主役が突然、天井につり上がって消えていくシーンをみて、その瞬間にひらめいた。

 さっそく、児玉と相談して、伊藤を枢密院議長に祭り上げ、政友会総裁もはずさせる案を山県や他の元老の間を回って根回しする。伊藤に鈴をつける役目は杉山がやり、伊藤自身から承諾書を取り付けた。

 天皇から伊藤に枢密院議長の勅語が出ると同時に桂の辞表は不可となり、桂は翌三十七年二月に開戦となる日露戦争に真正面から取り組むことが可能となったのである。

 

以上、杉山の神出鬼没、縦横無尽の活躍を『日清戦争』「日露戦争」についての部分をかいつまんでお話しした次第です。

 

結論的に言えば、「もぐら」「ほら丸」がいなければ、日清・日露戦争に勝つことができなかったということです。幕末、明治維新の国難到来に対して、西欧列強の侵攻・侵略に対して、明治のトップリーダーはどう対応したのか。

 

右往左往してなすすべを知らなかった明治の『政治家』「軍人」「財界人」「マスコミ」「アメリカ」の間を1人で、かけずりまわって、情報の伝達役に徹して、戦略情報を共有して、勝つための方程式を組み立て、それを即座に実行した稀代の参謀・軍師が「杉山茂丸翁」であったということです。

川上、陸奥の過労死同様に、茂丸翁がいなければ、日清・日露戦争に勝つことができたかどうか。この明治の大発展によって今日の繁栄を享受している我々は杉山翁を忘れてはいけないと思います。

 

                                おわり

 

 

 

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