日中北朝鮮150年戦争史(44)『来年(2017)はアジア大乱、日米中の衝突はあるか」●『120年前の日清戦争の真相ー張り子トラの中国軍の虚像を暴露』(上)
2016/12/15
日中北朝鮮150年戦争史(44)
宮古沖で日本を挑発する中国の狙いは「日中開戦」なのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50440
日本メルトダウン(1001)<チャイナリスク高まる>ー
『宮古沖で日本を挑発する中国の狙いは「日中開戦」なのか?』★『トランプ「一つの中国政策、堅持する必要ない」』●『日本、中国に厳重抗議 「空自機が妨害」との中国国防省発表に』●『インターポールも陥落、国際機関を囲い込む中国の思惑』●『カメラの前で泣けと――中国の人権派弁護士ら拘束から1年 安否気遣う家族』●『中国・李克強氏の「内通者非難」発言がネット流出した背景』●『「文明」外交術でエジプトに接近する中国 “対等な立場”で近づきアラブ世界への影響力を拡大』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/21905.html
インテリジェンスの父・川上操六参陸軍参謀次長の決断力―日清戦争勝利の秘密
大本営は明治27年6月5日、当初は参謀本部内に設置したが、8月1日には皇居内に移った。
さらに東京から、東海道、山陽線の鉄道網の西端に広島駅があり、日清戦争の最前線と結んだ兵站基地の宇品港があった広島市に「大本営」を移した。
9月14日、大元帥・明治天皇は「広島大本営」(広島城本丸、第五師団司令部内)に入った。施設は簡素をきわめて、天皇の御座所は司令部の会議室をあてた。
それから8ヵ月間、明治天皇はこの広島大本営で統帥することになり、ここが軍令最高機関になり、毎週2回開かれ大本営会議で作戦が決定された。実質上は川上操六陸軍上席参謀が陸海全軍を作戦指揮したのである。
この会議には統帥大権の執行者の大元帥陛下明治天皇のもとで、有栖川宮熾仁参謀総長、西郷従道海軍大臣、川上操六陸軍上席参謀兼兵站総監、寺内正毅運輸通信長官、石黒忠悳(いしぐろ ただのり)野戦衛生長官、田村怡与造兵站参謀、
大山厳陸軍大臣、樺山海軍上席参謀、角田海軍参謀、野田野戦監督長官、大生高級副官ら、軍令関係13人が出席し、作戦は明治天皇の裁可によって決定した。これに文官として、伊藤博文総理、山県有朋大将(枢密院議長)、のちに陸奥宗光外相が特別に加わった。
日本陸軍でインテリジェンス(軍事諜報、スパイ)の重要性を最も認識していたのは川上操六であることはすでに詳述した。
1890年(明治23)、議会の開設と共に、会計検査法がやかましくなり、参謀本部がその機密費を封じられた際は、川上は東京麹町三番町の自邸(旧・博文館の所有)を担保に入れて金を工面した。国を守るには敵国情報(インテリジェンス)こそ欠かせない。
孫子の兵法第一条の『敵を知り己を知れば 百戦危うからず』を実践するため、身銭を切ってまで部下を清国、シベリア、ヨーロッパへ派遣した。日清、日露戦争で活躍する影の戦士たちを一手に養成してきた。
川上はスパイを蔑視する西欧と違って、古来からの忍者、御庭番を諜報、情報役として重視してきた武士道、武術、軍略にも通じていた。川上の庇護によって、彼らは命も名も金もいらぬ、国家を守り、川上のためならばと単身、敵地に乗り込んでいった。明治天皇も川上を深く信頼していた。
日清戦争の開戦情報をいち早く送ってきた無名の鐘崎三郎を明治天皇がお召しになって、恩賜の栄誉を与えたのも、川上がその第一報の重要性を認識していたためである。
鐘崎三郎は1869年(明治2)1月、福岡県三猪郡の天満官の社僧の家に生れで、幼くしてく父母を失い、社僧に飽き足らず、陸軍幼年校に合格して無断で借金して東京へでてきたが、告訴された。
そのため、陸軍幼年校は途中で中退し、その後、長崎に行って中国語を勉強して、清国に雄飛したいと願っていた。ある日、荒尾精が日清貿易研究所を上海に開くと聞いて、上京して入所を願いでたが、荒尾からは拒否された。この荒尾を育て、自宅を担保にまでして資金援助したのは川上であり、玄洋社の杉山茂丸らである。
鐘崎はその後も熱心に懇願するので生徒ではなく、寄宿生として入学が認められた。鐘崎は撫湖という奥地から日本人求むという貿易商のところに1年半にわたって名を李鐘三と清国人名にかえて働きに出かけた。そこで商売にも成功したが、村を牛耳るボス2人を、その腕力で成敗して一躍、有名となった。鐘崎の中国語もめきめき上達した。
鐘崎三郎とは何者か?
明治26年に帰国、大阪、堺商業会議所などで清国貿易について講演した。明27年3月、再び上海へ渡り、今度は鐘左武と名乗って、中国大陸を東西南北に渡り歩いた。揚子江を漢口―鎮江―准安―山東省折州―膠州に出て、同湾を一周して青島に入り、そこの新軍港そ調査し、35日間、行程2800キロの偵察旅行をして芝罘(チーフ)に帰ってきた。
この途中で、汽船「日本丸」が山東の倭島村で遭難したが、言葉が通じなくて困っていると聞いて、3日かけて歩いて現場に駆けつけ通訳をして助けた。一週間ほどそのに滞在し、「威海衛軍港」をひそかに偵察してくるという凄腕のインテリジェンスの持ち主(軍事探偵)に成長した。
芝罘領事宅に滞在して、牛荘へ向かうところ、渤海沿岸をボートで旅行しょうという日本軍人に出会った。
2人は意気投合し6メートルのボートを手に入れ、中国人の乗組員3人をやとって6月3日に、太沽を出発した。途中、浦河口などでボートは沈没したが、同26日に天津に無事に戻ってきた。
この相手の軍人は天津駐在の海軍武官・瀧川具和とその後わかった。滝川はこれから約10年後の日露戦争ではヨーロッパに特別任務を帯びて派遣され、バルチック艦隊の航行を混乱妨害した「ドッガ―バンク事件」の謀略工作を担当した腕利きの海軍の情報将校であった。
。
鐘崎が天津に帰ってみると、朝鮮で東学党の乱がおこり、日清間で風雲急を告げてきた。天津の在留邦人は全部、内地へ引き上げることになった。ただひとり日清貿易研究所の卒業生の石川伍一だけがふみ留まるというのを聞いて「僕も君と一緒に居残ることにする」と鐘崎もとどまった。
天津は清国での重要な戦略的要地である。大本営のあった広島に対する宇品と同じような関係で、北京の意向や李鴻章の動静や情報、戦略もここにいれば筒抜けにわかる。朝鮮に出兵する軍隊は大抵ここから乗船する。居残って情報収集に当たった石川、鐘崎は逐一、情報を参謀本部に急報した。
川上参謀次長が、混成旅団の派遣の最後の決心を固めたのは7月16日夜のこと。
「清国政府は15日、芝罘、牛荘より陸兵1500を朝鮮へ向け出撃せしめたり」と鐘崎らによる急報が参謀本部に届いたからである。
川上は即決断し、敵に数倍する8000の大兵を急きょ派遣した。電光石火のスピードで、これには李鴻章は茫然としてなす術を知らなかった。
この情報発信者が鐘崎、石川のコンビによるものであった。
この鐘崎らの偵察のスクープは日本戦争史上では信長の桶狭間で今川軍が休息しているという情報に匹敵する。日清戦争は初の対外戦争で、大清国とのるかそるかの一戦だけに、川上のインテリジェンスとスピード決断が緒戦勝利の決め手となった。
8月1日、宣戦布告と同時に、代理公使小村寿太郎も、北京をひきあげて、天津から乗船帰国することになった。清国側はしばらくして、石川、鐘崎の情報だと気がつき2人の身に危険が迫った。2人も小村公使と同じ船に乗ることになった。 ところが、天津のその後の情報活動は一体誰がおこなうのか、情報が入らなければ、今後の戦争遂行に著しい不利を生じる。そう考えた二人は、大胆にも途中から船を降りて、こっそりと市街へ潜入をはかった。
その時、運わるく二人は離ればなれになった。石川はひと足さきに市内に入り城内の清国旅館に泊り込んでいるところを官憲に逮捕され銃殺刑となった。
鐘崎は敵の追跡をくらますために、上海に向かうのを、一旦、逆方向の北にのぼり、ついでに山海関を偵察し、北京の周囲をまわって直隷省の状況を偵察し、山東省に出て、上海にもどった。
上海は局外中立地帯で、戦火は及ばない。鐘崎は外国船にのって9月3日、東京に帰着した。
川上参謀次長は日清戦争の第一功労者として、9月12日に『大本営付通訳官』という役名を与えて採用した。鐘崎は浪々の身の大陸浪人ではなく、れっきとした官職付きとなった。
10月4日、鐘崎は大本営から招かれ、携帯の支那服に着がえて川上参謀次長が陪席して、明治天皇に拝謁した。川上は鐘崎の勇敢、沈着な行動と、それが緒戦勝利した功績を明治天皇に奏上し、天皇からは功労のねぎらいと酒肴料と茶菓を賜わった。
川上のインテリジェンスの第2は情報通信網の整備
「モルトケから手ほどきをうけた」川上操六のインテリジェンスの第2は情報通信網の整備である。川上は児玉源太郎と逓信省通信局長・田健治郎に協力を求めて、東京―下関間の直通電信線、釜山―ソウル間の電信線、鴨緑江の海底電線を布設、派遣軍に付随する電信隊、郵便隊の人員、材料を着々と準備してきた。
さらに『暗号解読』にも成功していた。日清戦争前から、清国側の外交暗号を解読していたのである。どうやって、解読したのか。
外相秘書官・中田敬義によれば、清国暗号に注目したのは1886年(明治19年)に清国水兵の長崎騒擾事件(長崎清国水兵事件)からだであった。
この事件の際、呉大五郎という人が清国の電信を解読した。清国はアルバベットのない国なので、余り使用されない文字を除いて、よく使用される字と数字を併記して使う。
つまり、清国は表意文字である漢字の国で、アルファベットのような表音文字をもたない。暗号も、漢字を四、五桁の数字であらわす、比較的簡単な換字式暗号であった。
日清戦争開戦40日ほど前の明治27年6月22日、陸奥外相から駐日公使・汪鳳藻に覚書を手渡した。覚書は外交顧問デニソンが英文で書き、これを書記官長伊藤巳代治が和文になおし、さらに秘書官中田敬義が漢文に訳した。
23日、注鳳藻は非常に長文の電信を総理衛門にあてて打った。佐藤電信課長は、これはきっと昨日の手紙を打電したに相違ないと考えて、いろいろ調べた結果、ついにその「キイ」を発見した。
その後、清国側は何らの「キイ」を変更しなかったので、ことごとく、電文を読むことが可能になった。宣戦布告は8月1日だが、清国も同日に布告しており、日清談判の時も極めて都合良く運んだ。このことは話としては残っているかも知れないが、記録には残っていない」(中田の談話)
この結果、日本の清国暗号にたいする優位は、後年まで維持された。
日本は、こと暗号にかんしては、ワシントン軍縮会議(大正11年から12年)で解読されたのをはじめ、太平洋戦争開戦前の日米交渉では機械暗号もことごとく読解されたが、日清戦争での清国暗号については、1945年の終戦まで一方的に解読に成功したというから、川上、陸奥のインテリジェンスの凄さが改めて示されている。
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