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名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑪『不利は有利に通ず』(岡田卓也)『いいことも、悪いことも忘れて没入せよ』(川上哲治)

   

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集⑪       前坂 俊之選
 
 
●不利は有利に通ず
 
  岡田 卓也(ジャスコ社長)     『大黒柱に車をつけよ』
 
 岡田は、かつて将棋の名人・木村義雄の講演を聞いた中で「不利は有利に通ず。有利と
不利はしばしば入れ替わる」という言葉が脳裏に焼きついた。
 難局にぶつかった時に、よくこの言葉を思い浮かべ、がんばった。
 
 四日市駅前に出店した岡田屋が増床を申請した時、近鉄百貨店も負けじと、同じ面積の
増床をぶつけてきた。両者の競争となったが、世評では近鉄が有利であった。
 状況は岡田屋に「非常なる不利」であったが、何とか逆転しようと、岡田は東京で連日
、百貨店審議会のメンバーに説明して回った。審議会会長らは「岡田屋は君の個人会社。
近鉄は上場会社ではないか」と冷たかった。岡田はいかに地域に利益を還元しているか、
資料をそろえて必死に説明し、他の委員にも全部当たった。
 
 結論は「岡田屋が申請の七〇%、近鉄は三〇%を認める」ことになり、九回裏の大逆転
となった。まさに粘り勝ちであった。
 
 
 ●衆議独裁せよ
 
  中内 功(ダイエー創業者)          『中内功の一日一訓』
 
 中内の独裁、ワンマンぶりは有名である。“衆議独裁”が中内の経営哲学の根本である。

「経営者は衆議を尽くして、独裁すべきだ。権限は百%委譲するが、責任は百%委譲で

きない。経営者のポケットの中にあるのは、責任というカードばかりである」という。
 衆議は徹底して行い、衆知を集める。決断は多数決や衆議によって、行うものではない
。あくまで経営者が決定する。その権限は独裁であり、衆議して独裁的に決断するのが、
中内流のやり方であった。
 
 昭和四十四年(一九六九)十二月、中内は首都圏攻略の先陣として「ダイエー赤羽店」
をオープンさせた。赤羽は「西友ストア」の牙城であり、激烈な“スーパー戦争”が展開
された。この進出には、ダイエー内部からも強い反対があったが、それを押し切って、中
内の“独裁”による決断で見事に成功し、関西のダイエーから日本のダイエーに発展する
一里塚となった。
 
 
 ●私心を離れて利益を見る
 
  稲盛 和夫(京セラ会長)    『心を高める、経営を伸ばす』
 
 経営者にとって、税金は身を切られる思いがします。一生懸命稼いで得た利益、それに
は売掛金などもあり、必ずしも現金で残っていないのですが、その半分以上を、即金で払
わなければならないのですから、税金とは過酷なものです。
 
 そのため、税金を納めないための小細工を、始める経営者が出てくるのです。もちろん
んこれは錯覚です。会社の利益は、決して経営者のものではありません。
 私はこのような錯覚に陥らないよう、経営はゲームだと、考えるようにしています。つ
まり、利益をお金と考えず、得点と思うのです。そうすれば、第三者的に淡々と、利益を
見ることができるようになり、判断を誤ることはありません。
 やはり、私心を離れること、これが経営のコツ、と言えるでしょう。
 
 
  
●若い時代の苦労は“社会銀行”への預金と思へ
 
  松下 幸之助(松下グループ創業者)  『松下幸之助大事典』
 
 若い人に、給料で満足しているかと聞くと、不満をもらす人がいる。そんな時、私はこ
う言う。
 「君たちは若い。給料は安くとも、その倍くらい働けば、その分は“社会銀行”に預金
したと思いなさい。やがて、それが大きな利息をつけて戻ってくる」
 
 つまり、別の言葉で言えば、会社、世の中、社会に対して貸しをつくることである。そ
の貸しが増えれば増えるほど、利息は大きくなる。
 
 若いとき、特に二十代、三十代をどのように過ごすかによって人生の勝負はほぼ決まる
。もちろん、四十、五十からでもがんばって成功する人はいるけれども、サラリーマンの
場合、「あの時もうちょっとがんばっていれば…」と後悔の念を抱く人も多い。会社に対
して、社会に対して貢献しておけば、社会銀行からの還元は大きくなるものだ。
 
 
  
 ●勝敗は戦う前に決まってしまう
 
上山 保彦(住友生命社長)    『孫子の兵法と経営戦略』
 
 戦いでいうと、相手の考えそうなことを予知して先制攻撃を加えるのが上手ないくさ。
反対に相手にとって最も有利な城を攻めるのは最低です。
 上手な戦い方として宮本武蔵の巌流島の決闘がよく引き合いに出される。武蔵は約束の
時間より大幅に遅れて着き、小次郎をじらし、彼が刀のサヤ海に投げ捨てた時「小次郎敗
れたり」と機先を制した話は有名です。
 戦いに勝つには、まず戦う前から、勝つ体制を作りあげる。武蔵対小次郎の場合も、こ
の一言で勝敗が決まる状態になった―といえましょう。
 勝つ体制作りの大切さを、孫子は次のように表現しています。
 「勝兵は、まず勝ちてのちに、戦いを求め、敗兵は、まず戦いてのちに勝ちを求む(勝
つ軍隊はパターンを作ってから戦いに臨み、敗者はまず戦いを始めてから勝利を期待す
 
 
 ●いいことも、悪いことも忘れて没入せよ
 
  川上 哲治(巨人監督)  『続悪の管理学』光文社・1982年
 
 私は成人してから常に心掛けていることは―
 一 その日にあった出来事を忘れること
 二 現在やっていることに没入すること
 三 日常生活の乱れを少なくし、食事や運動に配慮すること
 負けた日は反省することが多い。しかし、いつまでもこだわっていてもしようがない。
いさぎよく忘れることが明日の試合へのエネルギーになる。勝った日のことも忘れた方が
いい。相手は必死で研究して、巻き返しにくる。新しい試合には新しい気持ちでのぞむの
が理想なのだ。
 
 没入することは忘れることと同じである。前のことを忘れるから、現在に没入できるの
だ。三番目の生活のリズムと食事や運動に気をつけることは誰でもやっていることだと思
う。しかし、人生、長丁場で勝ち続けるためには平凡なことだが、生活のリズムを好調に
保つことこそ不可欠である。食事と運動のバランスこそ生活のリズムである。
            
 
 
●意地と張り
 
川又克二(日産自動車社長) 『夢は国際企業へ』ダイヤモンド社・1966年
 
 川又は昭和四年(一九二六)、日本興業銀行に入行。同二十一年三月に広島支店長にな
ったが翌年、ボロ会社の日産重工業(日産自動車前身)に常務で出された。
 「銀行屋の川又に何ができるか」と日産内部から強い反発があった。川又自身も「今に
見ていろ」と、この言葉が心の支えとなった。
 
 川又はダットサンの運転の練習を始めたが、「経営者が今さら運転しても…」とこれま
た反発を食ったが「バカ言え、自動車屋の重役が自分の製品を動かせないでつとまるか」
と一カツ。ほとんどの社員が運転をできないうちに免許をとり、自宅から会社までハンド
ルを握った。そして、「乗用車の生産」に取り組むことを決意した。
 川又は言う。
 「私は“意地と張り”ということを座右の銘にしている。やはり人間というものは、意
地を持っていなければならないし、タフでなければダメだ」
 
        
 
 
 ◎上に立つ者は消防のハシゴ乗り
 
鈴木馬左也(住友家総理事)

『炎の男たち住友変革の発想』旺文社1985年

 
 鈴木は三十六歳で住友に入り、三年目で伊庭貞剛の後を受け、別子鉱業所の支配人とな
り、四十四歳で総理事になるという異例の抜擢を受けた。
 鈴木について川田順は『住友回想想記』(中央公論社)の中で「何といっても大物であ
った」と回想しており、企業活動にも「条理」と「徳義」を繰り返し説いていた。
 また鈴木は「謙譲」について、こうも書いている。
 
 「人に上に立つ者の心得は、ちょうど消防の出初式でハシゴの上で芸当をするようなも
のだ。表面は派手で、その者だけが芸をしているように見えるが、実はハシゴを持ってい
る者の力で芸ができるのである。

もし、持ち方が悪ければ、まっ逆さまに地上に落ちて命

を失う。上にいる者はこのことをよく心得て、下の者に常に感謝の心をもって接し、功は
すべて譲るの覚悟がなければ何の働きもできない。総じて上になるほど、自分の思う通り
にならぬ。もし、自分の意見のみを通すならば、有為有能な人材はみな去ってしまう」
 
     
 
 
「認める、励ます、任せる」が部下を大きく伸ばす
 
中上川 彦次郎(三井財閥中興の祖)
『情と厳の管理学』 三神 良三ダイヤモンド社・1984年
 
 
 中上川が三井銀行のトップに立ったのは三十八歳の時。それから五年間に超一流の人材
を集めて、手足のごとく使ったことは明治以来、類例がないといわれる。
 
 その中上川の人使いのコツがこれであった。
 
 抵当係長だった藤山雷太(後の藤山コンツェルン創業者)を「君は交渉ごとは抜群だ」
と認め、芝浦田中工場(後の東芝)に三井代表として送り込んだ。神戸支店副支配人の武
藤山治(後の鐘紡社長)に「君は産業界で成功する才能だ」と鐘紡の新工場支配人に抜て
き、「鐘紡の盛衰は君の腕一つ」と励ました。
 
 このように、中上川は部下の才能をまず認め、「期待している」と評価し、励ました。
そして、新しい仕事や大きな部署も「君ならやれる」と任せて、責任を持たせて全力投球
させたのである。
              
 
●スモール、スロー、ステディー
 
  河本 武(ユーハイム社長)
          『社長の転機・会社の転機』佐高信 経営書院・1992年
 
 ユーハイムは創業七〇年を越える洋菓子のトップメーカー。
 この言葉は河本が、創業者のエリーゼ・ユーハイムから教えられたもので、店を経営し
ていくうえで規模はスモールにし、企業規模を拡大するテンポはスロー、しかし、ステデ
ィー(着実)に成果を上げていくというもの。
 
 河本は「例えば、急激に拡大すると職人さんは育たない。あるいは店員さんにしてもサ
ービスの質が落ち、商品でも粗製乱造になって良くない。だから小さいほうがいい。ある
いはゆっくりいくのがいいというな考え方です」と解説し、さらに、ベストセラーになる
のではなく、地味な努力をしてロングセラーでなければいけないと言う。
 
 この考え方がよく現れている例としてバームクーヘンがある。これは同社のメイン商品
ではあるが、創業当時から作っており、河本の言葉を借りれば「ロングセラーのチャンピ
オン商品」である。バームクーヘンが今日のユーハイムを作った。
 
    

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