世界が尊敬した日本人『アジアの共存共栄を目指した犬養毅』―パールバックはガンジーらとともに高く評価した。
アジアの共存共栄を目指した犬養毅―
作家・パールバックは大アジア主義者として、ガンジー、ネール、
タゴール、孫文、犬養、頭山満を高く評価した。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
1932年(昭和7年)の5・15事件で暗殺された犬養毅首相といえば「話せばわかる」の最期の言葉で知られる。
『憲政の神様』として議会政治を死守したが、西欧列強のアジア侵略に対して日本に亡命してきた孫文の辛亥革命を全面的に支援し、フィリピン、インド、ベトナムの独立運動家を援助するなど大アジア主義の政治家であったことはあまり知られていない。
犬養毅は安政2(1855)年6月、岡山市の大庄屋の二男でうまれた。四歳の時、父が急死して家は傾いた。向学心に燃えた犬養は西欧の政治や万国公法を研究しようと22歳で上京、『郵便報知新聞』に寄稿ながら、福沢諭吉の慶応義塾に進んだ。西南戦争(明治10年)では日本最初の従軍記者として活躍した。
三菱の支援で『東海経済新報』を創刊しその主幹になり、政治、経済、国際関係など幅広い論陣を張った。
自由民権論者の大隈重信と政治信条をともにして明治15年(1882)に立憲改進党が結成されると、尾崎行雄と共に参加して大隈の片腕として活躍した。
第一回総選挙(明治23年)では岡山県より立候補して当選、以来17回の連続当選を果たした。明治31年、日本初の政党内閣である板隈内閣(明治31年)では文部大臣となり、第2次山本権兵衛内閣(大正12年)には逓信大臣(郵政)についた。
ただし、長い政治生活は不遇をかこち、常に野党側、少数政党に属しておいた。政界きっての経済通、国際通として、藩閥政治の打倒をさけび、帝国主義的な領土拡張に反対、国際法を守り、貿易振興を重視した経済外交の」推進を主張、覇道(武力主義)ではなく、共存共栄の王道政治を説いていた。
特に、中国、アジアの民族解放運動を最もよく理解した政治家であった。犬養は明治30年に中国の革命勢力の調査のために内閣機密費から宮崎滔天、平山周らに大金を与えて外務省嘱託として中国に派遣した。
孫文が日本に亡命してくると、宮崎、梅屋庄吉(実業家)、玄洋社の頭山満ら大陸浪人たちと協力しながら、孫文の住宅と生活費などのまるごと面倒を見ていた。
孫文も犬養を信頼し、日本を革命の第一拠点にして、黄興らの同士を集めて、同38年に中国同盟会を結成し、同44年にはついに辛亥革命が成就し、中華民国初代大統領についた。一貫して冷たかった日本政府とは違い、大物政治家・犬養の後ろ盾、庇護、協力が成功に影響したのは間違いない。
犬養は左右を問わず来るものは拒まずで孫文や中国の革命家だけではなく、朝鮮の金玉均、インドのビハリ・ボース、フィリッピンのアギナルド、ベトナムの独立運動家まで西欧列強の侵略に抵抗していたアジア各国の亡命家を身体を張って助け、独立を支援した。
大正13年(1924)11月、孫文は神戸に上陸した。これが日本への最後の訪問となったが、当初日本政府は孫文の上陸には強く反対した。犬養が政治力を発揮し外務省にかけあって認めさせた。
この時、孫文は有名な「大アジア主義」の演説をおこなったが、その締めくくりは、「西欧の覇道の番犬となるか、東洋の王道の干城となるか」ーときびしく日本の進路を問いかけるものだった。
この4ヵ月後、孫文は病に倒れて北京で58歳で亡くなるが、犬養が見舞いに送った秘書・管野長知に対して孫文の最期の言葉は師父・犬養への感謝の言葉だった。
それから6年余。76歳で首相についた犬養は中国との関係を何とか修復しようとして、5・15事件の覇道の軍国主義の凶弾に倒れ、これが日本の悲劇の幕開けとなった。
『大地』作家・パールバックや英米メディアでは大アジア主義者として、ガンジー、ネール、タゴール、孫文と並んで犬養、頭山が高く評価されている。
関連記事
-
-
『リモート京都観光動画』/初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2019/2/23)-大原バスターミナルから茶店の並ぶ参道をゆっくり歩きながら三千院山門までの風情を楽しむ』★『-御殿門を入り、客殿の庭園「聚碧園」、宸殿、有清園、往生極楽院など、青苔の庭園の幽玄の世界に浸る』★『京都大原の来迎寺(2/23)三千院より呂川沿いの山道をしばらく登ると来迎寺はある。』
初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2/23)-大原バ …
-
-
日本リーダーパワー史(639) 『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(32)田中義一はロシア国内を偵察・諜報旅行して、革命家・レーニン、スターリンに接触(?)したのか③
日本リーダーパワー史(639) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(32) …
-
-
★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊻★『児玉参謀次長が日露開戦と同時に命令したのは満州馬賊をシベリア鉄道の破壊工作に活用する 『特別任務班』の編成で福島に指示した。』★『青木宣純大佐を『特別任務班』隊長に任命』
★『明治裏面史』 – 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパ …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉗『来年は太平洋戦争敗戦70周年―『東條英機開戦内閣の嶋田繁太郎海相の敗戦の弁と教訓』
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉗ 『来年は太平洋戦争敗戦から7 …
-
-
『リモートワーク/外国人観光客への京都古寺動画ガイド』(2016 /04/01)★『日本最大の禅寺』妙心寺は見どころ満載,北門から参拝』★『退蔵院の枯山水の禅庭園を観賞、ワンダフル!』
★5外国人観光客への京都古寺ガイドー『日本最大の禅寺』妙心寺は見どころ満載,北門 …
-
-
日本リーダーパワー史(554)「日露戦争の戦略情報開祖」福島安正中佐④副島種臣外務卿が李鴻章を籠絡し前代未聞の清国皇帝の使臣謁見の儀を成功させたその秘策!
日本リーダーパワー史(554) 「日露戦争での戦略情報の開祖」福島安正中佐④ …
-
-
『日中台・Z世代のための日中近代史100年講座⑦』★『日本恋愛史の華』★「燁子を救うのか私の義務」と宮崎龍介〔大正10年10月22日 東京朝日〕
2015/01/01/NHK「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件/記事 …
-
-
『百歳学入門』(230)『わが鎌倉30年カヤック釣りバカ日記』懺悔録-海には毎回、大自然のドラマがあり、サプライズがあるよ!
2013/06/21の記事の再録 『鎌倉30年カヤック釣りバカ日記』懺悔録- …