前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

ジョーク日本史(8)世界的数学者・岡潔は『数学は情緒なり』の奇行の人なり〝奇人〝仙人〝現代のアルキメデス″とも呼ばれた。

      2016/04/12

ジョーク日本史(8)

 世界的数学者・岡潔は『数学は情緒なり』の奇行の人なり〝奇人〝仙人″〝現代のアルキメデス″とも呼ばれた。

 

(おか・きよし/1901一1978)数学者。和歌山県生まれ。世界の数学界で難問とされていた「多変数函数論」の中で未解決の三大問題を解き、話題となる。著書に『春宵十話』『日本のこころ』など。文化勲章受章。

文化勲章(1960年度)を受けた世界的な数学者、岡潔はその奇行、超俗ぶりから〝奇人〝仙人″稀代の奇人、〝現代のアルキメデス″とも呼ばれた。

岡は一九二五(大正十四)年に京大理学部を卒業、パリのソルポンヌ大学に留学してガストン・ジュリア教授のもとで研究、帰国後、広島文理大(現広島大)に勤め、昭和十三年に理学博士となった。フランス語で論文は書いてきた。

そのため日本の学界では知る人はすくなかった。だが昭和十一年から十七年にかけて、この間、世界の数学者がいどみながらも誰も解けなかったドイツのベンケ教授の出した多変数函数論についての三つの問題を、見事に解いてみせた。

研究が進むうちに生活は一層苦しくなり、家族五人のために土地や財産を次々に売り払い、ついに住む家もなくなり、村人の好意でやっと物置を貸してもらいそこに住んでいた。1945年(昭和20)の敗戦直後の食糧難の時代にはイモをつくり、イモをかじって飢えをしのぎながら、研究に取り組んだ。

この『多変数函数に関する研究』でやっと一九五一(昭和二十六)年三月、学士院賞を受賞したが、この時の生活ぶりはー。

掘立小屋の暮らし

物置を改造して板を張り、その上にタタミが六枚、そこで家族五人がセンベイ布団にくるまって寝る、という掘っ立て小屋同然のみすぼらしい暮らしぶりだった。受賞の夜は七輪で五、六切れのトーストを焼いて祝った。岡は受賞の感想を聞かれ、「イモをつくる研究が一番つらかったよ」と言葉少なに語った。

岡は三高、京大の学生時代に〝王将″で知られる坂田三吉と親しく、時には将棋を指しながら、イロイロ教わった。

岡の叔父が大阪で眼科医をしており、大変な将棋ファンで、坂聖二吉と親交を重ねており、医院にも三吉一門はよく訪れた。岡も同席し、観戦したり、指したりしたが、学問のない三吉は岡を尊敬し、一目おいていた。

三吉は「起きている間だけ考えていてはダメ。寝ても覚めても考える。すると、よい知恵がバッと出る」「思案はタケノコみたいなもので、大部分は土の中に埋もれている」と哲学的な話をし、岡もすっかり共鳴していた。岡の数学へ徹底して打ち込む姿勢の中に は、三吉の教えが生きていた。

岡の家には電話がなかった。「電話がないと不便だ!」と奥さんが何度も岡に電話局に申し込むようにいうと、きまって、「俗物!」と大きなカミナリが落ちた。電話など俗物の使う代物というわけ。岡は文明の利器とは一切縁のない男で、電話もかけられない。電気がヒューズがとんで消えても、自分で直せなくて電気屋を呼ぶ。ライターも石か油がなくなるとほうり出してしまって「やっぱりマッチの方がええ」と。

本を読むのをやめなさい

岡が一九三二(昭和七)年にフランス留学から帰り、郷里の紀見峠(和歌山県橋本市)の自宅で休養していた頃、岡は昼間でも雨戸を閉め切った真っ暗な部屋で、机の前だけ一〇センチほど開け、一日中考えにふけっていた。

当時、頭の中で考えることを〝実験の場″と称しており、熱心に本を読んでいる友人には「本を読むのをやめなさい。あなたには実験の場が与えられている」と忠告した。タバコとコーヒーが大好きで、飯も食べずに思索にふけっていた。

岡は日常生活には全くの無頓着で、ヨレヨレの背広にノーネクタイ。晴雨にかかわらず一年中雨グッをはいて大学に通っていた。

「雨グッは底がゴムだから、頭にひびかないから思考の妨げにならない。皮靴はフランスの木靴のようで、中から折れず、歩くと頭にひびく。ところが、雨グッ軽くて、足が自由になって、ヒモをしめる面倒がなく、安くて、こんな便利なものはない」というのがその理由。

背広でネクタイは「こんな野蛮なことはせん」としめない。着物を着ても、帯をしめない、「交感神経をしめつけるから」というわけ、ヨレヨレの背広で家に帰って風呂に入るまでは、着替えもしない。夜は着たまま寝床に入ってしまう。全くの無精そのものであった。

一年中等通して、雨グッにコウモリガサ、よれよれの背広にノーネクタイが岡のトレードマークであった。

 

こうした貧乏生活をしながら、本を書くようなお金になる仕事をもちこまれても岡はいつもあっさりと断った。「時間がもったいない」というのが理由。このため日本語の著書が文化勲章で一躍有名になるまでは一冊もなかった。数学には頭の中の思考を検証する鉛筆と紙、そして本が少しばかりあれば出来る。それ以外の器具はいらない。

絶えず数学のことを考えており、熱中していい考えが浮かぶと、散歩中だろうが、いきなり道端にしゃがみ込んで石や木を拾い、むつかしい数式を書き込んでは計算を始める。解けるまで、時間でも二時間でもしやがみ込んで計算しており、道行く人は何事かと驚いた。

路上に字を書くならまだしも、だれもいない道で突然、大演説を始めたり、小1時間も電柱に小石をぶつけたりしていた。

作家の藤本義一は岡邸に通って、二週間取材したことがあった。それによると、岡には精神的にプラスとマイナスの日が極端にあった。

マイナスの日の岡はイライラして二日中不機嫌であった。電話があると「非国民!」とどなったり、講演会に出かけていっても、マイクの前で「アッーアッー」とテストし「本日は晴天なり、本日は晴天なり」と言ったまま、講演は全くせず、サッサと帰ってしまったり、トホホ・・奇行が目立った。

 京都大学助教授時代のこと

講義のために数学教室に行くが、その手前に築山があり、そこの岩に小石を投げるのを日課にしていた。

小石がうまく、この岩にのっかると、そのまま教室に入って数学の講義を行ったが、五、岡六回やってうまくいかないと、Uターンして帰宅してしまった、という。

-九六〇(昭和三十五)年±月、文化勲章を受章した時、岡は思索に集中、興奮していた。その最中に文化勲章の騒ぎにまき込まれ、思索の糸は途切れてしまった。友人が「もう一度考え直したら」と言うと、「絶対同じ道は歩けない」とカンカンになって怒った。

文部省も岡の〝奇人変人″ぶりを聞き知っており、奈良女子大学長に事前に「本当に渡しても大丈夫か?」と念を押したという。

受章の報に、岡は「これで、定年後もアルバイトをしなくても、食べていける分だけうれしいね」と答えた。

雨靴以外はいたことのない岡が、たった二度だけ皮靴をはいたのは、文化勲章受章の時であった。「数学のもとになるのは頭ではない。情緒だ。数学は印象でやるもので、記憶はかえって邪魔になる。忘れるものはドンドン忘れて行く。これが極意です」と受章後に語った。

二月三日の文化勲章の授与式に出席するのがさあ大変。まさかゴム靴で出席するわけにはいかないので本人を説得して、皮靴をはかせるのに、一悶着。

岡は亡くなる前日に「まだ、したいことはいっぱいあるから死にたくない。しかし、しよせんだめだろうなあ。あしたの朝には命はないなあ。計算ちごた」ともらし、死ぬ二時間前から意識がなくなった。

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための<バカの壁>の秘密講座①』★『杉山茂丸の超人力の秘密「バカの壁」』★『違ったことを違っていると言えない奴を「馬鹿」という」

養老孟司氏の名著「バカの壁」(累計700万部突破)を再読して、面白かった。世界を …

日本リーダーパワー史(647)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(40)<国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、 三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(1)『臥薪嘗胆論』①<三宅雪嶺〔明治28年5月15日 『日本』〕>

  日本リーダーパワー史(647) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …

no image
『野口恒の震災ウオッチ②』東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧陵」の業績ーー復興策の生きた教材-

『野口恒の震災ウオッチ②』   東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(137)再録/-『太平洋戦争と新聞報道』<日本はなぜ無謀な戦争を選んだのか、500年の世界戦争史の中で考える>➀『大英帝国への植民地主義への道』★『ロシアの大膨張主義が日露戦争の原因』

     2015/08/13『世田谷市 …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 東アジア・メルトダウン(1069)>★『北朝鮮の暴発はあるのか』第2次朝鮮戦争勃発の危機が高まる!?(8/25→8/29)

★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 東アジア・メルトダウン(10 …

no image
 日中北朝鮮150年戦争史(41)『日中歴史復習問題』★「日清戦争の内幕ー中国人民軍(清国軍)もらった「売命銭」分しか戦わない、汚職腐敗軍隊。 中国3千年の歴史は皇帝、支配者の巨額汚職、腐敗政治であり、「習近平政権」(1党共産党独裁)にも延々と続いている。①

 日中北朝鮮150年戦争史(41)   日清戦争敗北の原因「中国軍(清 …

no image
記事再録/巨人ベンチャー列伝ー石橋正二郎(ブリジストン創業者)の名言、至言、確言百選②-『新しき考えに対し、実行不能を唱えるのは卑怯者の慣用手段である』★『知と行は同じ。学と労とも同じ。人は何を成すによって偉いのではない。いかに成したかによって価値あるものなのだ』

 2016年7月13日 /巨人ベンチャー列伝ー石橋正二郎(ブリジストン …

no image
日本メルトダウン・カウントダウンへ(902)『安倍首相の退陣すべきを論じる】③『米WSJ紙「役に立たない一時的救済」』●『増税延期の安倍総理に必要なのは 二枚舌でなく「謝ること」』●『日本の財政は主要リスク、信認喪失なら世界経済に波及=OECD』 

   日本メルトダウン・カウントダウンへ(902) 『安倍首相の退陣す …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊲」★『明石元二郎のインテリジェンスが日露戦争をコントロールした』★『情報戦争としての日露戦争』

インテリジェンス(智慧・スパイ・謀略)が戦争をコントロールする ところで、ロシア …

no image
『オンライン/日本経済150年史での代表的経営者の実践経営学講座』★『日本興業銀行特別顧問/中山素平(99歳)昭和戦後の高度経済成長の立役者・中山素平の経営哲学10ヵ条「大事は軽く、小事は重く」★『八幡、富士製鉄の合併を推進』『進むときは人任せ、退く時は自ら決せ』

  2018/05/12 /日本リーダーパワー史( …