前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(641) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(34) 明石元二郎のインテリジェンスー対ロシア破壊工作をどのように進めたのか 『明石工作」(落花流水)の全容ーレーニンは協力者となったのか⑤

      2016/01/16

日本リーダーパワー史(641)

日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(34)  

 <明石元二郎のインテリジェンスー対ロシア破壊工作

をどのように進めたのか

『明石工作」(落花流水)の全容ーレーニンは

協力者となったのか⑤

 前坂俊之(ジャーナリスト)

 

この連載の前回、田中義一は『レーニン、スターリンにあったのか』という記事を掲げた。田中義一伝には『ロシアの革命党のボルシェヴィキ,メルシェヴイキなどのメンバーと接触があったことがある』と本人が語り、伊藤博文へ『早期対ロ開戦論』をとなえて、叱責されて『退職願』をだし、ロシア革命に身を投じたいと悩んだことも告白している」

この伝記では『レーニン、スターリン』と直接接触した事実は具体的には記載していないが、「その可能性は大いにあり」と田中の偵察・諜報旅行の日程を詳細に記述して推測している。諜報について、具体的な人名を挙げて記載することは一般市販の書物ではありえないことなので、接点,面会の真偽のほどは定かではない。

<日本リーダーパワー史(639) 『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(32)田中義一はロシア国内を偵察・諜報旅行して、革命家・レーニン、スターリンに接触(?)したのか③http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/13460.html

陸軍参謀本部の川上操六参謀総長の対ロ諜報戦では以上の『田中工作』よりも『明石工作』の方が断然、知られている。

明石元二郎については、私も以下の本を出版し、明石がレーニンにあったのかどうかも含め再検証をしている。

新刊ー『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』

http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=2825

http://ameblo.jp/toshiyukimaesaka/entry-10780776385.html

明石工作とその報告書の全文はこの本の中で、紹介しているが、

レーニンとの接点についての部分を紹介する。

川上操六が手塩に育てた明石元二郎の協力者、その片腕となって活躍したのはコンニ・シリヤクス(1855一1924)である。

http://www.kaikosha.or.jp/_userdata/nichiro-akasi.pdf

シリヤクスは1855年(安政二)、当時まだロシア帝国の支配下にあったフィンランド・ヘルシンキの名家に生まれた。明治維新の13年前のことで、明石より九歳年上である。

父は国会議員で、親戚には法律家や高級官吏が数多くいた。子供のころは民族独立の悲願の交響詩を子守唄がわりに聞きながら育ち、大学法学部を卒業後、弁護士の資格を得る。

33歳の時、突然、妻子を残して世界一周の旅でアメリカに渡った。アメリカではジャーナリストとして活躍し、『アメリカ合衆国』、『移民の歴史』などの数多くの本を出版した。ここで祖国フィンランドの独立運動の革命家として生きることを決意する。

その後、明治26年(1893)から二年半、ちょうど日清戦争中のことだが、日本に滞在した。各地を訪れて日本社会と日本人を観察して、明治29年(1896)に『日本研究と素描』という本を出版した。当時のヨーロッパ人でも数少ない日本通だったのである。

その後、十年ぶりに祖国フィンランドに帰り、新聞記者としてヘルシンキの新聞で働き、反ロシア、独立連動を執筆し、フィンランド人の徴兵強化問題などでは徹底した反対の論陣をはった、いわば、独立運動のリーダー的存在になっていった。

1901年(明治34)、ロシアはフィンランド語の使用を禁止してロシア語を公用語とし、議会、集会を禁止、フィンランド国内でのロシア人の商売の自由を強要する法律をつくった。シリヤクスは先頭に立って反対し、オフラーナ(ロシア帝国の秘密警察)から追われる身となり、ストックホルムに逃れて、反ロシアの地下工作を秘密裏に続けていた。

フィンランド憲法党(カストレン党首)、ロシア社会革命党(エスエル)中央委員イエノフ・アゼフ、ポーランド国民党(ドムスキー嘗)ら、反ロシア運動の諸戦線と幅広い連携を構築していた。

そこへ1904年(明治37)2月、日露開戦のニュースが飛び込んだ。

日本びいきのシリヤクスは大喜びした。日本とフィンランド、反ロシア運動家の連携を視野に入れながら、次なる一手を模索していたその時、明石からのアクセスが飛び込んできたのである。

このシリヤクスの経歴をみると、ヨーロッパでは数少ない目本通であり、ロシアの暴政への敵愾心と祖国への愛国心、革命への熱い情熱を考えれば、明石がシリヤクスとめぐり合い、一心同体で謀略工作に取り組んだのは運命的な出会いとさえ感じる。

二人の共同作業は『落花流水』(明石工作の秘密文書)にもあらわれている。

『落花流水』の前半部分の第一節「ロシアの歴史」、第二節「ロシアの土地および農制、州郡会『ゼムストヴオ』」、第三節「虚無主義、無政府主義、社会主義の起因、学説、活動」、第四節「ロシア国内の不平党(反政府党の類別」などのロシアに関する部分のネタ元はシリヤクスである、とパブロフ・ペドロフ共著、左近毅訳『日露戦争の秘密』(成文社、1994年)ので左近毅氏はあとがきで指摘する。

二人がロシアへの武器搬入の工作を展開していた一九〇五1905年(明治38)秋、シリヤクスはニューヨークで『ロシアの革命運動』(フィンランド語からの英語版、366頁)なる本を出版した。この本の第十六章以降の部分は、『落花流水』とそっくりという。

シリヤクスがこの本を明石に提供し、『落花流水』に使われたのではないかというのが左近氏の推測である。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
終戦70年・日本敗戦史(131) 日本を滅ぼしたキーワード「満蒙はわが国の生命線」関東軍の下剋上、 謀略によって再び満州事変を起こした

終戦70年・日本敗戦史(131) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

『百歳学入門(202)』<100歳社会の手本―葛飾北斎に学ぶ -「創造力こそ長寿力」★『70歳以前に画いたものは取るに足らない。八十歳にしてますます精進し、九十才にして奥義を極め、百才にして神技となり、百才を超えて一点一画を生きているように描きたい』(画狂老人述)

100歳社会の手本―葛飾北斎に学ぶ ―「創造力こそ長寿力」 私は富士山マニアであ …

『Z世代のための日本風狂人列伝②』★『 日本一の天才バカボン・宮武外骨伝々②』★『予は時代の罪人なりは超オモロイ!で、マルチ作家、ジャーナリスト、風刺漫画雑誌発行者、明治期最大の百科事典派、パロディストだよ、ホント! 』

    2009/07/12 &nbsp …

[ 知的巨人たちの百歳学(143)』★『世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに登録された昭和天皇の叔父の東久邇稔彦(102歳)』★『終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言後に54日間で、首相を辞任」★『敗戦の責任をとって直宮家以外の皇族は全員皇籍を離脱すべきだ、と主張』★『1947年10月の皇室改革で皇籍離脱し、やっと念願の庶民になった。』

2015/12/12 知的巨人たちの百歳学(143)記事再編集   前 …

『リーダーシップの日本近現代興亡史』(223)/★「世界天才老人NO1・<エジソン(84)の秘密>とはー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功10ヵ条」★『 生涯の発明特許数1000以上。死の前日まで勉強、研究、努力 を続けた生涯現役研究者ナンバー1』

 2014/07/16  百歳学入門(93) &n …

no image
記事再録/『世界史の中の日露戦争』㉚『開戦1ゕ月前の『米ニューヨーク・タイムズ]』(1903(明治36)/12/31)の報道』-『朝鮮分割論』(日本はロシアに対する「緩衝地帯」として朝鮮を必要としている。半島全体が日露のいずれかの支配に帰さなければならない。分割は問題外だ)

2017/01/09  『世界史の中の日露戦争』㉚『開戦1ゕ月前の『米 …

no image
百歳学入門(184)ー「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中(107歳)』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさいとの鈴木大拙師の教え』

 百歳学入門(184)  『六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百か …

no image
日本リーダーパワー史(111)初代総理伊藤博文⑦ロンドンで下関戦争を知り急きょ帰国ー『国が滅びる』

日本リーダーパワー史(111) 初代総理伊藤博文⑦ロンドンで下関戦争を知り急きょ …

no image
速報(392)『日本のメルトダウン』 動画座談会『アベノミクス①日本の製造業は復活か、日中軍事衝突は起きるのか』

速報(392)『日本のメルトダウン』     &n …

no image
終戦70年・日本敗戦史(132)「大阪朝日」は軍部、在郷軍人会、 右翼などからの攻撃と不買運動を受けて、新聞部数が減少、社論を180度転換し、満州事変支持、満州独立論に賛成した

終戦70年・日本敗戦史(132) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …