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日本リーダーパワー史(622) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑯ 『川上操六参謀本部次長がドイツ・モルトケ参謀総長に弟子入り、 ドイツを統一し、フランスに勝利したモルトケ戦略を学ぶ②

   

 日本リーダーパワー史(622

 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑯

『川上操六参謀本部次長がドイツ参謀本部の

モルトケ参謀総長に弟子入り、

ドイツを統一し、フランスに勝利したモルトケ戦略を学ぶ②

                                                   前坂 俊之(ジャーナリスト)

大山陸軍大臣から3ヵ月の期間延長をみとめられた川上らは、より一層精力的に調査、実践に当たった。そして、帰国が迫った。

3月24日 午後2時30分、王宮に参内して皇后に謁見せらる。

4月7日 ドイツ陸軍大臣を訪問し、告別の辞を述べる。

4月11日-ドイツ軍団長ハアヴ、師団長ハアンチ、旅団長コープ、参謀総長モルトケ、参謀次長ワルデルゼに面会して各々送別の辞を述べる。

14日 午後2時半、皇太子に謁見せらる。帰途、ウインテルリンデンにおいて、乃木・石黒・伊地知・楠瀬・豊平と共に撮影す。

6月14日 午後4時、神戸に到着。15日、神戸より乗船、翌16日帰京した。

川上のドイツ滞在は1887年(明治20)1月より翌21年6月の間の1年半だったが、川上は欧州の最新知識と新たな抱負を胸に日本に帰り陸軍参謀本部の大改革と最強の陸軍作りに取り組んだのである。

川上が弟子入りしたモルトケの「必勝の戦略」「インテリジェンス」とは何か。

モルトケとはいったい何者か!

モルトケは(1800~1891)はプロシヤで没落しかけた古い貴族の家に生まれ、五十八歳で参謀総長に就任。普墺(プロシアーオーストリア)戦争で完勝し、ドイツを統一に導いた。

ドイツ参謀本部が生まれた直接の引き金はナポレオン戦争でありその背景にあるのは徴兵令である。ナポレオンは確かに戦いの天才だった面もあるが、彼が勝った最大の理由はそれまでの傭兵制を徴兵制度に変えて何十万人という大軍隊を手足のごとく動かしたことである。

ナポレオンは師団制度も考え出したのだが、その師団制度でも、ナポレオンがうまく使いこなしたのは数万にすぎない。そのため、初めのうちは勝っていたが、五十万という大軍を擁してロシアへの遠征するとなると、これはナポレオン一人の手に負えないので、いくら天才でも敗北する。優秀なスタッフが指揮官の周りにはたくさん必要となった。

ナポレオンという超リーダーに対し、訓練された均質の、質のいい将校団で対抗したのだプロイセンの参謀本部システムである。ナポレオンは、ついに最後までプロイセンには勝てなかった。

首相ビスマルク(1815~1898)は「ドイツ統一」の大ビジョンを掲げ、広い視野と巧みなリーダーシップにより、モルトケと協力してこの念願を達成した。

ドイツ参謀本部は、モルトケ(1800~1891)の時代に黄金時代を迎えるのだが、

ビスマルクという、天才としかいいようのない、すばらしいビジョンを持ったリーダーと、モルトケとスタッフという『インテリジェンス頭脳』の黄金のコンビが誕生した。これが大ドイツ統一を達成したのである。

ビスマルグのビジョンは「ドイツ帝国の統一」だったが、そのためには、どうしても戦わなければならない戦争が二つあった。それは普襖戦争と普仏戦争(プロシアーフランス)だが、戦争を短期勝負で切り上げること、他の国から干渉を招かないことが最も大事であると、ビスマルグは考えた。

そのためには、全部、一面戦争でなければならない。なぜなら、ドイツは、国境の障害がどこにもない平原が大部分である。東部戦線はロシア、オーストリアに開いているし、南はフランスに開いているから、多両戦争をやったのではドイツは絶対不利になる。このことをスタッフ参謀本部はよく知っていた。

だから叩く相手が決まったら、敵側が同盟を結ばないように外交綱を張りめぐらし、ドイツが勝てば第三国から干渉が入るから、干渉の入るひまのないように片づける。そして、そのために軍事面はモルトケにすべてを任された。

モルトケの戦略とは・・・

①   兵站から第一に注目したのは技術革新であり、その最大眼目は鉄道である。陸軍省の管轄下に鉄道を敷き、来るべき普墺戦争に備えて、兵隊を自分の作戦通りに動かせるように自分で鉄道配置まで行った。国境に向かう鉄道が、オーストリアには一本しかなかったが、プロイセンは五本も作り、戦争と同時に大量派兵を可能とした。

②  当時のオーストリア軍というのは、ナポレオンにも勝った強い軍隊だが、開戦して七週間でプロイセンに完敗した。こんな見事な勝ち方はナポレオン以上と言われた。

➂ 軍人はウィーンへなんなく入ったが、ビスマルクは戦争目的は十分達したので、これ以上オーストリア側を痛めつけるのはかえってマイナスになると判断した。ビスマルク、モルトケは軍隊を止め、ウィーンに入れなかった。その結果、他国の介入を未然に防ぎ、徹底して追い詰めなかったオーストリアとの関係もその後うまくいった。

④モルトケは、ビスマルグが戦争に口を出すのを嫌った。モルトケはビスマルクを完全に信頼し、政治にはいっさいロをはさまない。政治で多面戦争を避け、一面戦争をさせてくれたビスマルクを尊敬していた。

⑤ 次の普仏戦争のときも、モルトケはフランス国境に向けてずらりと鉄道を敷いた。軍隊が鉄道で自由に動くときに、要塞で固定するのは愚策である、要塞戦術を否定した。

⑥ こうして普仏戦争が始まったが、今回もあまりにも完勝しすぎて、王様を捕虜にしてしまい、フランスと降参交渉をする相手がなくなってしまった。しかもパリには民兵軍がたてこもってしまった。

ビスマルグは、イギリスやロシアの動向が気が気でなく、早く戦争を終結させたいのだが、モルトケや参謀本部スタッフは勝利に酔いしれていた。ビスマルグにとってはフランスがドイツ統一に口出ししないでくれればいいので、プロイセン軍がパリを落とさないで帰れれば、よかったのだ。

それをパリに入ってしまったものだから、フランスのドイツに対する恨みは骨髄まで達し、結局それが第一次大戦の原因になったのである。これはモルトケの失敗ケースであった。(日本軍は日中戦争では南京を攻略して虐殺の問題を起こしたが、中国にとって首都南京が外国軍に陥落させられたのは初めてのケースであったことは、歴史の教訓事例になる)

クラウゼビッツの戦争哲学から学び、「戦争の目的は敵軍の殲滅、領土の獲得ではない」とのナポレオンの戦略をより近代化し、「戦略、作戦を一人の天才が考えるのではなく、組織として機能する方式にかえて、徹底した参謀教育と組織機構の充実したドイツ参謀本部の創設した。

①鉄道、電信、通信などの最新技術を応用、開発し、兵力集中、動員、兵站整備、軍需物資の輸送、ロジスティックスの重視をスピーディーに行う。

②銃砲火器の開発、高度化と歩兵砲兵を一体化した。

③平時からインテリジェンス活動(スパイ、情報収集、調査分析活動)を徹底し、開戦前までに入念な戦争準備を行い、開戦すると先手必勝でのぞむ。

④これらを統合したシステマチックな作戦計画を参謀が策定する。このために優秀な参謀を集め教育する参謀本部を軍の中枢部として設置して、総合的な戦略、作戦の立案、実施するのがモルトケ参謀総長の方式であった。

川上はドイツ参謀本部付となって、動員、準備、戦術、作戦の講義とドイツ陸軍の組織、訓練、情報活動まで、その手の内を見た。

モルトケ自身からの参謀総長心得の講義もあり、「軍、軍首脳部は、政治の党派や潮流から絶対に独立していることが必要である。参謀本部は、平時でも陸軍省から離れたものにしておかねばならぬ。スペイン、フランス、ィギリスでさえ軍行政が政治とからんで妨害を受けたことが何度もある」とシビリアンコントロール(政治家介入)を排除した統帥権独立を実践していた。日本軍もこの制度を導入したのである。

モルトケは孫に噛んで含めるように講義し、最後に出る言葉は決まって、「はじめに熟慮。おわりは断行」であった。

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