前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉜』◎BBCのネルソンマンデラ弔文記事“武闘派から一転、 聖人君子の道へ”②(12/5)

   

 『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉜』

 

BBCのネルソンマンデラの弔文記事“武闘派から一転、

聖人君子の道へ”(12/5)―「南アフリカに内戦を齎さず、アパ

ルトヘイトを廃止させ、多人種民主主義政治を導入した元大統領」②

  http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-22892784

<F国際ビジネスマンのコメント>

 

 

1.      BBCのネルソンマンデラの弔文記事で周辺情報も集め、大変勉強になりました。

  NYTに匹敵する世界取材網です。昨年11月にBBC
  トンプソン会長がNYTの社長に就任していますが、文
  化がかなり似ているのでしょうね。

2.      筆者のFergal Keane氏は、1990年〜1994年迄

BBCの南ア駐在通信員として、マンデラ氏の27年間

の獄中生活からの釈放を手始めに、アフリカ民族会議

ANC)の議長就任、アパルトヘイト根幹法(人口登録法、

原住民土地法、集団地域法)の廃止、ノーベル平和賞受賞、

南ア初の全人種参加選挙と大統領就任など、

マンデラ氏の政治生活絶頂期に密着取材をしている。

BBC切っての南ア通と言われている。



  http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-22892784

 

“武闘派から一転、聖人君子の道へ”

 

  http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-22892784

 

 

 2013/12/5  BBC   by   Fergal Keane

       “ Obituary  :    Nelson Mandela “

        “  訃報  ネルソン・マンデラ“

 

ネルソン・マンデラ氏を間近に見た者にとって、彼は生まれながらにしてリーダーとしての振る舞いをいつもしている様に見えた。

 

以前彼の監獄の同房者で長年の友人、Ahmed Kathrada が言っている様に、“彼には王家に生まれて、誰もがリーダーシップを意味するものと心得ているセンスが、常にあった。”

アフリカ民族会議を率いて、最終的には政府を指揮する迄になったマンデラは、27年間の投獄の最中でも、何事にも屈しない彼独自の威厳と自信に満ちた一際目立つセンスを表現していた。

 

 

彼の基本的な信条は、1964年のサボタージュ活動に対する彼の演説の中に、最も良く表現されていた。“ 私は白人の支配と戦っている、そして黒人の支配と戦っている、”と言う。

 

“私は、民主的で自由な社会、そこでは全ての人々がお互いに調和の中で、平等の機会を得て、生活する、その様な社会の理想を大事に育てている。それが、私が生き甲斐とし成し遂げたいと思う理想である。若し必要であれば、いつでも私が自分の命を捧げる用意の或る理想である。”

 

Rolihlahla Dalibhunga Mandelaは1918年に生まれ、Eastern Cape,TranskeiにあるQunu村で育った。彼は、Thembu族の王家に直結する一家族の13人の子供たちの一人であった。

 

彼はメソジスト教の学校へ送られた、そこでネルソン名を与えられた。彼は勤勉な学生で、1939年にはFort Hare 大学に入学し、この大学はその当時、アフリカ・ナショナリズムの培養センターであった。

 

彼は、1956年に反逆罪で逮捕され、起訴された。裁判が5年間続いた後、マンデラ氏は釈放された。しかし今日迄ANCは活動を禁止され、彼の仲間のOliver Tamboは追放されていた。

 

結局彼に27年の獄中生活を強いる事になった。

彼はケープタウン港にある監獄、Robben島の石灰石の石切り場で労働に従事した。そこでは白い石の上にギラツク太陽が、彼の両目に回復不可能なダメージを与えた。彼はケープタウンの外にあるPollsmoor刑務所にいる時、肺結核に罹った。そしてVictor Verster の刑務所農場に監禁されていた時、彼は初めて政府の大臣たちと対話した。

 

監獄は彼の人生の最盛期を奪い取っていた。そして彼の家族生活をも奪い取っていた。彼の子供たちとの関係は緊張を強いるものだった。ウィニー・マンデラとの結婚は離婚で終わっている。

 

その様な状況の中で、もう一方のリーダーは、敵だけを非難する気にさせられていたかも知れない。しかし、マンデラ氏が話し出した時、彼は、聞いている我々皆を吃驚させた、“我々の国民を殺しているANCのメンバーがいる、我々は真実を直視しなければならい。我々の国民は、暴力を行使する他の組織にも同じ様に含まれる、罪の無い国民の死体の上で、自由に向かって登ることは出来ない。”

 

 

ANCは分かり易い明快な勝利を勝ち得ていた。ステージでは、ネルソン・マンデラが彼に最も近いアドバイザー達に囲まれ、ダンスをし、群衆に向かって手を振って挨拶をした。彼は、自分の夢を見る為に生きて来た一人の男の開放的で寛大な笑顔で、満面に笑みを浮かべていた。

 

http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-22892784

 

 - 人物研究 , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑩」★『1889年4月6日の『申報』☆『日本は東洋の一小国で.その大きさは中国の省の1っほど。明治維新以後、過去の政府の腐敗を正し.西洋と通商し.西洋の制度で衣服から制度に至るまですべてを西洋化した。この日本のやり方を,笑う者はいても気にかける者はいなかった』

   2014/08/11 /★『中国紙『申報』からみた『日 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ(54)』建築家・坂茂氏の講演に感激「名利名声、蓄財を超越した使命に 奉仕する」こと

  『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(54 …

★『巣ごもり動画用(30分)』★『鎌倉カヤック釣りバカ日記の<アシと羽根のはえた古代魚ホウボウ(43㎝)を釣った巻>を上映』★『ホウボウのさばき方・料理法・おいしい鍋を食べる男の台所も』

           …

no image
世界/日本リーダーパワー史(956)-「桜田義孝五輪相のお笑い国会答弁とゾッとするサイバーセキュリティーリスク』★『国家も企業も個人も死命を分けるのは経済力、軍事力、ソフトパワーではなく『情報力』である』★『サイバー戦争で勝利した日露戦争、逆にサイバー戦争で完敗した日米戦争』

世界/日本リーダーパワー史(956) ★『サイバー戦争で勝利した日露戦争、逆にサ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(121)/記事再録☆/『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー福沢諭吉の教育論は『英才教育は必要なし』★『勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめる』

      2012/10/2 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊳』★『 児玉源太郎の無線・有線インテリジェンス戦争』★『日露戦争最大の勝因は日英同盟の中の極秘日英軍事協商(諜報(スパイ情報)交換)である』★『諜報同盟(ファイブ・アイズ「UKUSA」(ユークーサ)にはインテリジェンス欠如の日本は入れない』

 日露戦争最大の勝因は日英軍事協商(諜報交換) 日露戦争でこれまで余り …

『創造力こそが長寿となる②』★『葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人に選ばれた』(米雑誌ライフ、1999年特集号)②』

北斎は1760(宝暦10)年9月、江戸本所割下水で石工の子に生まれた。本所はもと …

日本リーダーパワー史(537)三宅雪嶺の「日英の英雄比較論」―「東郷平八郎とネルソンと山本五十六」

 2015/01/15日本リーダーパワー史(537)記事再録 &nbs …

no image
★5『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分(9/3)』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園③』1150年前に建てられた5重塔(国宝)の燦然と輝く、建築美の極致

『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』 『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』― …

『オンライン/明治維新講義』★『 初代総理大臣で日本最初の英国留学生の伊藤博文による『明治維新を起こした英国密航でロンドン大学の教授の家に下宿したこと』★『 なぜ、ワシは攘夷論から開国論へ転換したのかーロンドンでタイムズ紙で下関戦争が始まると知り『日本が亡びる』と驚いて、帰国してきた経緯を話そう』・・>

    2011/07/03 &nbsp …