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日本リーダーパワー史(463)「西郷隆盛」論④明治維新で戦争なき革命を実現した南洲、海舟のウルトラリーダーシップ

   

 日本リーダーパワー史(463

「敬天愛人」民主的革命家としての「西郷隆盛」論④

<中野正剛(「戦時宰相論」の講演録>

―明治維新で戦争なき革命・江戸城無血開城を実現した西郷

隆盛、勝海舟のウルトラリーダーシップ(大度量)―

ー血で血を洗うシリア内戦や大量殺戮の各国内乱史

と比較すると、明治維新は世界史の奇跡である。

 

西郷南洲と勝海舟と福沢諭吉の≪痩我慢の説≫

 

 私は南洲翁五十年祭典の夜、旅館薩摩屋別荘の奥座敷で、純粋なる薩摩琵琶の唯一人音たる飯牟礼老の妙技に接することが出来ました。「墨絵」といい、「武蔵野」といい、この人の弾奏を聴いていると、戦国時代の武人に無常観を説き聴かせて、しい、妄執の念を去らしむるの趣きがあり、、音楽もまた情操教育の一種たる所以が首肯(うなず)かれました。

 

その「城山」の一曲に聴き入っている際、覚えず勝海舟が亡友南洲を悼むの感慨が会得されたように感じたのであります。それ達人は大観すより語り起して、十年役の勃発を「唯身一つを打棄てて、若殿原に酬いなん」と、あっさり片づけたところ、西郷は朝敵となる心はなかったとか何とか、七面倒臭く南洲びいきの言い訳するに比し、遥かに垢抜けがしているのであります。

 

「隆盛打見てはほぞ笑み、あな勇ましの人々や、亥の年以来養いし、腕の力をためしてみて、心に残ることもなし、いざ諸共に塵の世を、遁れ出でんはこの時と」の数句にいたり,感慨胸せまるものがありますが、この「亥の年以来養いし」については、私はしばしば先輩から異論を聴かされたことがあります。

 

いわく、西郷の心中は決してあんなものではない、あれでは全然謀叛を計画して子弟を教育していたようである云々と。

 

この一句は次の二句とともに海舟が高崎正風に添冊を乞うた時に付け加えられたものとも伝えられていますが、私はこれを非難する人々と正反対に、これらの数句こそ偽りなき海舟翁の述懐として、大いに味わうべきものであると思います。

 

勝海舟翁は南洲翁生前からの知己であって、その肝胆相投じたのはかの江戸城明渡しの際であったと申します。勝海舟は実に一世一代の大芝居を打った時に、南洲翁とは異る手段をとったのであります。

 

勝海舟は錦旗を擁して江戸城に迫り来る官軍に対し、三百年来養い来った腕の力を試みずして、深く日本の大局を考え、大いに四海の形勢を察し、錦旗に抗して骨肉相争うの不可なるを覚り、はやり立つ旗本八万を慰撫して、円満に江戸城を明け渡したのであります。

 

これがお陰で江戸の地は焦土となることを免れ、維新の大業は多くの血を流さずして成就せられたのでありますが、その立物たる勝海舟が、自己と反対の道を歩き、一万五千の子弟に一身を委ねて戦死した亡友西郷南洲に対し、何故に「亥の年以来養いし、腕の力もためしみて、心に残ることもなし」と詠嘆したでありましょうか。

 

福沢諭吉翁はあの濶大円満の大常識家でありますが、勝海舟の江戸城明渡しに非常の不平(?)を有せられ、有名な「痩我慢(やせがまん)の説」

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%98%A0%E6%88%91%E6%85%A2%E3%81%AE%E8%AA%AC

http://www.aozora.gr.jp/cards/001206/card45521.html

 

 

を公にして勝海舟を、詰問しておられます。

 

微かにその大意を覚えていますが、ざっと次のような主旨であります。

いわく、「あなたが江戸城を明け渡されたのは、大義名分上、また日本全局の打算上、言い訳を承ればもっとも千万のことであります。しかしその説を極端に敷衍して行きますと、非常に強大なる外国が日本を武力で威しっけることがあった時に、痩我慢してこれと戦うよりは、頭をさげてこれに屈した方が世界の平和、人類の幸福のためになる場合があるかも知れません。

 

しかしさようの場合、たとえ道理は叶わぬでも、力は及ばぬでも敢然として抵抗することが日本男児の痩せ我慢ではありませんか。この痩我慢がなくなれば、世界は余り意地張りのないものになりはしませんか。

 

錦旗を擁する禁に尊王愛国の精神があれば、幕府方にも憚(はばかり)ながら自己の抱懐する尊王愛国の手段があったはずです。

 

しかし冷静に公平に人間以上の神様の心になって、彼我の言い分を考えてみて、薩長に譲り、徳川三百年の武も試みもせず、おめおめ城を明け渡すことが、真実の忠君愛国なりと判断して、立派に痩我慢をお捨てになったのでありましょう。もし真にその通りなら、人間では及びもない神様のような貴方に敬服します。

 

しかし私の武士道はそれにあやかりたいとは思いません。あなたが旗本8万の健児を提げて、江戸城を枕に討死しておられたら、我が国の物質上の損害は大でありましょうが、武士のために気を吐き、日本人のために精神を鼓吹し、西洋諸国をしてこの民族侮るべからずと思わせたではありますまいか。

 

私には貴方のお気持は想像がつきかねる。どうか飾らないほんとうのところを承りたい、この文を公開してもご支障はありませんか」と。

 

原文を持ち合書芸が、大意はこんなものであったように記憶しております。これに対し勝海舟の答えもまた振るっています。

 

いわく、「私の行動は私の方寸にある、世の批評は世人の勝手である。しかし昔から天下の高処にある大人物でなければ、学者読書人の批評に値しない、不肖の行動を貴方のような偉い学者から批評していただくことは、私も光栄の至りだ、公開も発表も一切ご随意である」と。

 

もっと簡単なもっと含蓄のある文句できびきび答えてあるのは、さすがに海舟翁であります。南洲翁が達人なら、海舟翁もまた別個の達人であります。海舟翁は彼の幕府の逆境に処し、天下の大勢を慮り思い悩み、考え尽して、遂に江戸城明け渡しを断行せられたことは、けだし非常の大勇を要することで、慷慨悲歌、決を一時に取る者の企て及ばないところであります。

 

その海舟翁が非常の節を全うして、明治の昭代に伯爵となり、大臣となり、藩閥の外に居然たる一勢力をなしたのでありますが、その行蔵の跡を自ら顧みられると、「心に残ることもなし」というさっぱりした気持にはなり得られなかたでありましょう。

 

海舟翁の眼に映ずる旧幕臣の凋落、世道人心の変化、夜関わにして独り孤灯に対する時、果していかがの感慨を催されたでありましょうか。ただ身一つを打すてて若殿原に酬いなんと、潔よく城山の露と消えた亡友南洲が羨ましかったのではありますまいか。

 

海舟は海舟の信ずるところによりて南洲と同じ行きかたはしなかった、自ら信ずることすこぶる厚きにかかわらず、「ああ亡友南洲は、あれで心に残ることもないであろう」と詠嘆せられた心持はいかがであったでしょう。

 

                                つづく

 

 日本リーダーパワー史(461「敬天愛人」民主的革命家としての「西郷隆盛」論③

<中野正剛(「戦時宰相論」の講演録より>―日本での王陽明学の始祖は中江藤樹であり、熊沢蕃山―大塩平八郎―佐久間象山―吉田松陰―高杉晋作―西郷隆盛と引き継がれ、明治維新、日本の近代民主革命が達成された。http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2383

 
日本リーダーパワー史(460)「敬天愛人ー日本における革命思想源流の陽明学の最高実践者
「西郷隆盛」論・
中野正剛著

 

http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2381

 

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