<日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究② 「日露開戦前に児玉源太郎を参謀次長に引っ張り出し「無隣庵会議」にも参加
·
日本リーダーパワー史(476 )
<日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究② >
◎<日露戦争開戦前に、児玉源太郎を参謀次長に引っ張り出し、
対ロシア戦を秘密協議した「無隣庵会議」にも参加していた
『明治国家の大参謀』怪傑・杉山茂丸の証言は・・・」
前坂俊之(ジャーナリスト)
① 日露戦争勝利の第一の要件は陸軍では山県有朋、川上操六参謀総長らの戦略、海軍では山本権兵衛の戦略と小村寿太郎ら外務省の外交戦略とが三位一体で調和し、緊密な連絡により『元老会議』などで、総合調整1本化して、参謀指揮命令系統をトップダウンでスピーディーに行ったこと。
② このためには強力で総合判断力をそなえた適材適所の人材の配置が必要だが、明治の諸葛孔明といわれる川上操六、田村恰興造、児玉源太郎が見事にバトンタッチされて、陸軍参謀総長(次長)となって、国難に最強の布陣を引くことができた。こうした人材を早くから海外留学によって、勉強させて養成してきた明治初期の人材育成の取組、システムに学ぶ必要がある。
③ 杉山茂丸については明治史の教科書には登場しない人物である。登場しないというか、無視されてきた人物である。とくに右翼、大陸浪人,玄洋社のメンバーとして、歴史学では抹殺されている人物だが、この中にトップシークレットの「無隣庵会議」に、山県、伊藤、児玉の影の参謀として、1浪人ながら登場しているように、明治史の主要な事件の陰には杉山の存在があると言われたほどの重要人物である。
④ 杉山の軌跡の解明なくしては明治権力史の構造はわからないといっても過言でない。その杉山は明治政府のインテリジェンス(情報諜報機関)長官的な役割を果たした。杉山は玄洋社の頭山満との盟友関係をバックに、その抜群の行動力、コミュニケーション力、交渉力をいかしてアメリカのCIA長官、大英帝国の諜報機関(SIS)、イスラエルのモサド、ソ連、ロシアのKGBなどに比肩する役割を果たしたが、彼は自らを「モグラ」としょうして政治世界の地下で暗躍したのである。
この大きいモグラを追跡しないことには、明治史の影の部分は検証できない。
以下は『明治軍事史』よりの引用である。

内務大臣兼台湾総督だった児玉中将が大山元帥の同意を得て参謀本部次長の要職に就かれたことは、時局の重大性を暗示させるものにして、大山元帥か充分に児玉中将の識量を認め、その人物を好まれたことによるものだと信じる。
日露戦争の全期間にわたり、大山元帥が総司令官として児玉総参謀長に満幅の信頼を置き、万事、総参謀長に任かせられたのはこのように、人物関係が根本基礎の一つであったと思う。
又、児玉総参謀長の側においても、このような信任を受けたからといって、いささかも専断の処置に出ることなく、重要の問題は必ず総司令官の決裁に待つことを常とし、両者の関係は一層、円満適当に保持されたのである。
(写真は満州での児玉源太郎と杉山茂丸)
大山元帥夫人がかって「主人は児玉さんとあなた( 尾野)が一番好きな方」と自分に語られた一事は、この間の消息を充分に裏書きするに足るものと思う。
元帥の眼中には全然藩閥等の顧慮なく、公平無私に重要の人事を処理せられたことは前に田村次長補職の場合に見るも明かである。
当時、薩摩出身の有力者間には次長の後任として極力、薩系の伊地知幸介少将(第一部長)を推したるも、大山総長は断然之を斥け、「次長は自分が使ふのでその適任者は田村の外にない」との決意を以て、田村少将(総務部長)を起用せられたり。これ元帥か直接自分に語られたる直話なり。
●〔以下は杉山茂丸の談話である〕
◎児玉次長補職の経緯
田村怡与造(たむら いよぞう)参謀本部次長の訃電が、在京都無隣庵の山県侯に達したとき、自分はたまたま山県の許に居合せたり。山県は右の電報を手にして大いに落胆の表情でがあった。
杉山は「日本は第二の諸葛孔明を失えり。然れとも第三の孔明あり。以て用ゆるべきにあらずや」と述べると、山県が意味を問うた。杉山茂丸は。
「第一の孔明は川上操六。第二の孔明は田村恰興造、今や二将軍逝く。第三の孔明は児玉源太郎なり。自分は日清戦争の時、後方における児玉の働き振を充分に熟知す(当時、児玉は陸軍次官)。
田村の後任は児玉をおいて、他に之を求むべからす」と。
山県侯はこれを諒とせるも、当時、児玉は内務大臣として桂内閣の重鎮であったため、とにに角出京の上、話し合おうとなった。自分も山県候に随って上京せり。
児玉は大山元帥の下なれば、喜んて働くべき旨を申出て、内務大臣は桂総理が兼ね、児玉の次長補職、急転実現を見るに至ったのである。
★秘密結社を杉山、児玉、桂の3人で結んだ
これより先、児玉は明治三十一年以来自分と共に秘かにロシアとの戦争を誓い、三十四年、桂内閣の成立に際てはし、児玉がその産婆役を勤め、桂もまた秘密結社に加わり三十六年四月、ロシアの満洲不撤兵はますま「対ロシア問題解決」の機運を促進したのである。
●無隣庵会議では
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%84%B0%E8%8F%B4
http://www.c20.jp/1903/04murin.html
同年四月二十一日の「無隣庵会議」は即ちその第一歩であった。
この、日伊藤は伊勢神宮に参拝して、京都に来り。
桂太郎首相と小村寿太郎外相は大阪より来て合流し、山県公ら四名は同庵階上の一室において対露問題に関する長時間の密議を逐けて、児玉と杉山は呼ばれて同席階下の別室にその成行を待っていた。
この会議の結果、日本は戦争を賭するも、完全に朝鮮を領有する事を最小限の基礎とし、ロシアと談判を開始する方針を内定したが、児玉と自分は大いにその決議の安価なるに驚いたり。
かくくのような経緯の下に、対ロシア強硬主義の児玉が参謀本部枢要の職に就き、戦争指導の一中心となったのは、偶然にではない。
日本リーダーパワー史(475)<日本最強の参謀は誰だったのかー「明治国家の大参謀
」杉山茂丸の研究①>
http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2434
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(169)名将・川上操六(27)『イギリス情報部の父』ウォルシンガムと比肩する『日本インテリジェンスの父』
日本リーダーパワー史(169) 空前絶後の名将・川上操六(27) <川上は『イ …
-
-
現代史の復習問題/「延々と続く日中韓衝突のルーツ➉』記事再録/中国紙『申報』からみた<日中韓のパーセプションギャップの研究>』⑦『1883(明治16)年3月5日付「申報』の『琉球人の派閥分裂を諭ず』』
2014年6月30日『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパ …
-
-
<裁判員研修ノート⑩>冤罪を生み続ける構造は変わったのか―裁判官・検察官・警察官の冤罪天国の実態は?
<裁判員研修ノート⑩> 冤罪を生み続ける構造は変わったのか― 裁判官・検察官・警 …
-
-
日本経営巨人伝⑧朝吹英二ーー三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹英二
日本経営巨人伝⑧朝吹英二 三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹 …
-
-
日本リーダーパワー史(412 )『財政改革の巨人・山田方谷から学ぶ』<歴史読本(2012年8月号)に掲載>
日本リーダーパワー史(412 ) 『財政改革の …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉕『大日本帝国最後の日 (1945年8月15日米内海相の不退転の和平と海軍省・軍令部①
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉕ 『大日本帝国最後の日― (1 …
-
-
『オンライン/百歳学入門講座』★『百歳長寿名言』★『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』(彫刻家・北村西望102)★『いつ何時(なんどき)でも怖れないで死を迎えられる』(徳富蘇峰94歳)』★『楽隠居は絶対にしてはならない』(渋沢栄一 91歳)』
2012/03/08 百歳学入門(34)再録 『前坂 …
-
-
日本リーダーパワー史(648) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(41)国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(2)『ただ堪忍すべし』福沢諭吉(明治28年6月1日 時事新報〕
日本リーダーパワー史(648) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(41) …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(100)記事再録/「脱亜論」でアジア侵略主義者のレッテルを張られた福沢諭吉の「日清戦争開戦論」の社説を読む」④『道理あるものとは交わり、道理なきものは打ち払わん』★『現在の日中韓の対立、紛争は125年前の日清戦争当時と全く同じもの』
2014/06/07 /日本リーダーパワー史(510) 記事転載 ◎< …
-
-
日本リーダーパワー史(860)ー記事再録『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー 福沢諭吉の教えー『英才教育は必要なし』(上)
記事再録『日本リーダーパワー史』(335)2012年10月22日 『リーダーをど …
