前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人②ハリウッドでトップに立った国際スター・早川雪洲

   

1
2004、12,1
世界が尊敬した日本人②ハリウッドでトップに立った国際スター・早川雪洲
前坂 俊之
アメリカ人の2大魂といわれるメジャーリーグ野球(MBL)とハリウッド映画。
昨年はイチローが八十四年ぶりに年間最多安打記録を更新してMBL の頂点に立っ
たが、ハリウッド映画百年余の中で日本人としてトップに立ったのは早川雪洲のみで
ある。
昨年、「ラストサムライ」で渡辺謙がアカデミー賞助演男優賞候補になったが、早川は
数多くのハリウッド映画に主演して、人気ナンバーワンとなり、一時期、『聖林(ハリウ
ッド)の王者』と呼ばれた。
早川雪洲は明治二十二年(一八八九)八月、千葉県安房郡七浦村(現千倉町)で漁
業網元の子として生まれた。
一七歳の時、千倉の沖合で米国客船「ダコタ号」(二万トン)が座礁、米国人船客を英
語が得意だった雪洲が通訳して世話をした。これがきっかけで米国に渡り、明治四十
二年七月、シカゴ大学に留学し、法制経済を学んで卒業。大正二年(一九一三)にロ
サンゼルスに遊びに行きリトル・トーキョーで芝居小屋に入った。
あまりに下手な芝居には強引に座長を口説き、自ら脚本、主演して徳富蘆花の『不如
帰』を演じ大当たり。続いて「タイフーン」という芝居を作ったが、これが米映画界の大
物プロデューサー、トーマス・インスの目にとまり、ハリウッド映画界入り。このころは
サイレン(無声)映画全盛時代である。
次作の巨匠セシル・B・デミル監督「ザ・チート」(一九一五年)で雪洲はハリウッドでの
地位を不動にした。
早川扮する日本人の金持ちプレイボーイが借金の形に女性に焼きゴテを当てるショッ
キングな内容。この役でそのエキゾチックさと強烈なセックス・アピールで一躍で女性
2
の人気アイドルとなった。
雪洲が現れると米女性フアンが何重のもとり囲み、水溜まりがあれば、女性たちがわ
れ先に着ている毛皮のコートを雪洲の前に敷き積めるといった人気ぶり。
当時、チャップリンが週給一万ドルについで、雪洲は八千ドルをとり、矢継ぎ早にハリ
ウッドの巨匠や監督作品に出演した。二〇世紀最高の美男といわれたイタリア人俳
優・ルドルフ・バレンチノを上回ってハリウッドの人気ナンバーワンに輝いた。
その莫大なギャラーで大正八年(一九一九)、ハリウッドの一角に東洋風の四階建
ての大邸宅『グレンギヤリ城』を建て、盛大なパーティーを連日開いた。
当時、地元のカリフォルニア洲などで日本人移民を締め出す排斥運動や反日移民法
がわき起こっていたため、雪洲は日本人をよく知ってもらいたいとの願いを込めて豪
華なパーティーを開催し、チャップリンやセシル・B・デミル、ダグラス・フェアバンクスら
ハリウッドの名士が集った。
早川の王侯のような派手な生活ぶりはハリウッドでも群を抜き、伝説化していった。
反日移民法がさらに強くなった一九二二年に雪洲はハリウッドを去ったが、それまで
にパラマウント映画や自己のプロダクションで合計22本のハリウッド映画を製作、主
演した。
以後、ニューヨークで舞台を続け、ヨーロッパにわたりロンドン、パリで舞台や映画に
活躍した。全盛期に世界の有名人が集うフランス・モンテカルロのカジノで一晩に50
0万円(現在では100億以上)も負けてニュースになったこともあった。
第二次大戦後、雪洲は日本を舞台に日本映画にも登場し、再びハリウッドからお呼
びがかかり復活した。
アカデミー賞を総なめした『戦場にかける橋』(一九五八)では助演男優賞候補にもな
った。昭和四十八年(一九七三)十一月、八十七歳で亡くなったが、大正時代から約
半世紀以上にわたり、米国、英国、フランス、ドイツ映画などに約70本と日本映画20
本以上にに主演した日本で唯一の文字通り国際スターであった。
3
しかし、早川は日本の映画史からは忘れられた国際スターであった。
雪洲が活躍したハリウッド映画は日本では国辱映画、反日映画として上映禁止となっ
たり、大部分は見ることが出来なかった。
早川の演技力も表情のない大根役者と,日本では低評価で、外国では評価は真っ二
つ。日米対立と戦争の歴史の中で翻弄された、まさしく悲劇のスターであった。
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(110) 爆笑! 頭山満・出口王仁三郎・縦横談(『キング』1935年(昭和10)年5月号掲載

  日本リーダーパワー史(111) 頭山満氏・出口王仁三郎氏・縦横談( …

no image
<日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究② 「日露開戦前に児玉源太郎を参謀次長に引っ張り出し「無隣庵会議」にも参加

 ·    &n …

no image
日本リーダーパワー史(407)『今,勝負でしょ!安倍内閣は最強のリーダーシップ発揮せよ④『東京オリンピック開催決定で』

 日本リーダーパワー史(407) 『今,勝負でしょ!安倍内閣は最強のリ …

日本リーダーパワー史(386)児玉源太郎伝(8)川上、田村、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職した。

 日本リーダーパワー史(386) 児玉源太郎伝(8) ① & …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変③』- 『ドイツ、ロシア、フランス、イギリスらの清国侵略に民衆が立ち上がった義和団事件が勃発』★『清国侵略の西欧列強(英国、ドイツ、フランス、ロシアら)の北京公使館は孤立し、敗北の危機に陥り、日本に大部隊の出兵を再三、要請した。日本側は三国干渉の苦い教訓からなかなか出兵に応じず・』

 明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変③』- 7月6日、日本政府は「 …

no image
日本リーダーパワー史(503)勝海舟の外交突破力を見習え⑤『三国干渉』くらい朝飯前だよ』②

  日本リーダーパワー史(503)   &nbsp …

no image
知的巨人の百歳学(126)『天才老人/禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』➂★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』

 記事再録/百歳学入門(41) 『禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』 …

no image
★『アジア近現代史復習問題』・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む] (5)「北朝鮮による金正男暗殺事件をみていると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」●『他を頼みにして自らから安心す可らず  』 (「時事新報」明治27年5月3日付)★『支那帝国の中心は既に腐敗した朽木に異ならず、地方も各省もバラバラの施政で、日本の封建時代の末路と同様に亡国の状態だ』

 ★『アジア近現代史復習問題』・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(4) ー「 …

『オンライン講座/ウクライナ戦争と安倍外交失敗の研究 ➅』★『だまされるなよ!と警告したのに、見事に騙されてしまった安倍外交の無惨完敗』★『 ロシアは一を得て二を望み、二を得て三を望む恫喝・強欲・侵略国家なので、対ロシアで日本のハードパワー(武力)を示さずして 協調することは彼らの思うツボの侵略に同意することになる』(ロシア駐在日本公使・西徳二郎)』』

     2016/10/17  日本リ …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ㉑』★『日本の政治家で最も少ないグローバルな戦略をもった経済政治家の先駆者(三井物産中興の祖・同上海支店長)―山本条太郎①』『三井物産上海支店長時代でロシア情報を収集し、日本海海戦でバルチック艦隊を偵察・発見させた。その後、政治家となった山本条太郎の活躍がなければ日本海海戦の勝利はなかった』

2011/12/14 日本リーダーパワー史(223)記事再録  前坂俊之(ジャー …