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日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究③伊藤博文の政友会創設にポンと大金をだし、金融王・モルガンを煙に巻く

      2019/04/14

 日本リーダーパワー史(477)  

 

<日本最強の参謀は誰か「杉山茂丸」の研究③>

 

伊藤博文の政友会創設にポンと大金をだし、

金融王・モルガンを煙に巻いた明治国家のプランナー

怪傑・杉山茂丸の正体は・・・」

 

           前坂俊之(ジャーナリスト)

 

 

杉山茂丸は明治、大正時代の政治家で作家・夢野久作の父。元治元年(1864)福岡で生まれた。十四歳でルソーの「民約論」を読んで自由民権思想に影響される。


十六歳で「日本は赤子が猛獣の檻の中に入るようなもの。日本を救うために杉山家の一軒を潰すくらいは当然の代償で、そのつもりで楽しみに生きてください」と父を説得して家督を相続し、以後、国事に奔走する。


藩閥政治の打倒を目指し、明治十八年(1885)、伊藤博文を暗殺しようと面会し、逆にその人格に打たれて後に親交を結んだ。玄洋社の頭山満と盟友関係を結ぶ一方で、貿易業を営み上海、香港などに渡航、国際感覚を磨いた。


約十年間で玄洋社の同人とは別行動によって、伊藤、山県有朋の元老や桂太郎、児玉源太郎、寺内正毅、後藤新平、明石元二郎らの巨頭と深く交わり、「政界の黒幕」的な地位を築き上げて、縦横無尽に活躍した。明治、大正、昭和の歴史的事件の陰には必ずといっていいほど、杉山の存在があった、といわれた。


「魔人」と呼ばれる理由


杉山が最も活躍したのは日露戦争で、桂太郎、児玉参謀長とあい通じて、戦争遂行に「影の参謀役」として活躍する一方、外資導入のために金融王・モルガンを動かして、日本興業銀行の創設を献策したり、日露戦争後は児玉の依頼で満州鉄道創設の立案をし、後藤新平を総裁にすることなどもお膳立てた。


また、茂丸は日韓合邦を背後で推進したり、台湾統治を調査研究して台湾銀行の創設の政策を進言した。郷里の福岡のためには博多港の築港を企画して、会社を設立し、関門海峡鉄道建設についてもいち早く政府に実現を働きかけるなど先駆的に活動した。伊藤、山県などからその功績に対して、地位につくよう働きかけが再三あったが「浪人は自分の本領」として生涯受けなかった。

明治、大正の政財界の裏面で歴代宰相や元老、政治家を人形使いのように自由自在にあやつり、明治国家をデザインした杉山茂丸はナゾに包まれた人物である。当時の新聞、雑誌にも「政界の黒幕」「策士」「国士」「ほら丸」「謀士」「怪傑」「怪人」
「怪物」「魔人」-と、さまざまなレッテルがはられている。「もぐら」を自称していた杉山は、黒子に徹して地下深くに穴を掘り、歴史を義動させた。時々、地表に顔を出した
が、その行動の点と線をたどると、巨大な軌跡が浮かび上がってくる。

 

稀な弁舌、雄弁家


茂丸は日本では稀な弁舌、雄弁家のケタ外れの怪物で、その構想は奇策縦横、大風呂敷だったことから、名前をもじって 「ほら丸」とあだ名された。ただし、ホラはホラでも尋常一様ではなく、伊藤博文、山県有朋、松方正義、桂太郎らの政界の巨頭が「まるで電気にかけられた」ようにコロリと茂丸の魔力の虜になった、という。

 

朝日新聞副社長の下村海南は茂丸が亡くなった際の追悼文の中で、次のように書いている。


「その口舌は、座談においてまさしく蘇秦、張儀そこのけで、六尺に近い巨躯を擁し、堂々、人を威圧する魁偉な容貌と、どこまでも相手を魅力し、説服せねばやまぬ長広舌は、硬軟とりまぜて千紫万紅談論風発停止するところを知らず」(昭和十年七月二十七日付)

また、その奇策縦横ぶりについても「元来、臍から瓢箪を出し、その瓢箪からまた駒を出す仙人的奇術に巧みな男」とも誓えられている。


杉山は玄洋社の頭山満の片腕として宰相の間をわたり歩き、政策を進言し、情報をつなぐ政治屋として行動しているが、大陸浪人や国士のスケールをはるかに超えた国際通であり、経済的な深い知識を備えていた。


このため、政治分野と同時に、日本興業銀行の創設、台湾銀行の設立・経営、満鉄設立など経済面にも深くかかわった。
茂丸は「経済の神様」といわれた松方首相のところを度々訪れ、経済、金融政策について議論をふっかけた。当時、茂丸は三十二、三歳で一国の総理からみれば全くの若造だが、松方が真剣に耳を傾けたところを見ると、その並々ならぬ経済通ぶりがうかがえる。

金融王・モルガンを煙に巻く


金融王・モルガンとわたり合い、外資を導入して日本興業銀行を創設することにかんして、杉山は明治三十一年(一八九八)、一片の紹介状も持たず単身渡米して、各国の元首でも容易に会えないといわれた世界最大の金融業者のモルガン商会のJP・モルガンに面会した。


その得意の弁舌で一億三千万ドルの融資を引き出すことに成功する離れ業を演じた。


この時のやりとりも茂丸一流である。交渉がまとまった際、茂丸はその内容を覚書にしてほしいと依頼すると、モルガンは突然大声で怒りだし「私がイエスといったのだぞ」とテーブルをドンと叩いた。


部屋の空気は一瞬、凍りついた。通訳らも契約破棄か、と青くなった。しかし、茂丸は平気の平座。


「もう一度、テーブルを叩いてください。そうすれば、その昔が日本まで聞こえるでしょう」とタンカを切った。
「私は日本政府と関係ない一介の観光客にすぎない。その私が世界のモルガンに会えて、日本にとって大変有り難い工業開発の条件をいただいた。その声、音を日本政府、国民に聞かせたい。私はあなたがイエスと言った言葉を信じるとか、信じないとかの資格のある男では有りません。私の希望としてはあなたがテーブルを叩く音よりも、あそこにいる美人秘書のタイプライターの音なのです」


これには、さすがのモルガンも参って、文書をタイプさせ、茂丸に手渡した。この手のエピソードには事欠かない。


政友会の創設に暗躍


この年、杉山は児玉源太郎(その後、陸軍大将)と二人で、日露戦争を遂行するための秘密結社を作った。


「国論を統一し、小政党分立を大政党に組織し、その代表に伊藤を置く。山県が反対すれば、引きずり下ろす」ことを申し合わせた。これに、桂太郎(その後首相)も賛同して、三人の秘密結社が出来た。

杉山は伊藤に政党を作らせるために、知り合いの実業家に十万円を「伊藤存命中は秘密にしておく」という条件で用意させて、大磯に伊藤を訪ねて、いつも机の横に置いてあるカバンの中に金を入れた。


伊藤は杉山に「金はまだ必要ない、持って帰るように」と再三言ってきたが、杉山は放っておいて、その後は一度も大磯に行かなかった。
「清廉潔白な伊藤は、金を私することはない。政党の準備金に必ず使う」との杉山の見通しどおり、明治三十三年八月、伊藤は政友会を創設して代表となり、杉山の策はマンマと当たった。


こうして政治の枠組みが出来上がったが、その後の日露戦争の遂行、勝利、講和の陰の参謀役としても杉山は大きな役割を果たしていく。


伊藤が日英同盟よりも日露同盟に内心傾いていることをキャッチした杉山は児玉、桂と話し合い、伊藤をロシアに交渉に行かせて、それをテコに英国の方から積極的に日英同盟を結ばせ、伊藤を「戦死者第二号」に祭り上げることを仕掛けた。


日英同盟の締結によって伊藤は面目丸潰れとなった。腹を立てた伊藤は多数派の政友会を擁して、桂内閣と正面衝突し、日露戦争直前の政府の軍備増強を拒否した。
弱り果てた桂は辞表を提出したが、杉山は一計を案じ、伊藤を説得して枢密院議長に棚上げして、政友会を西園寺公望に引き渡させて、桂を思いとどまらせる方策を山県に進言して、これが成功する。


日清・日露戦争の影の参謀」


日露戦争の講和は明治三十八年三月の奉天陥落によって、今が潮時とみた児玉参謀長が上奏したものというのが定説だが、この背後にも杉山がいた。
奉天陥落から間もないある日。茂丸のところに知り合いの米ジャーナリストが現れ、ドイツ参謀本部がある軍関係者の情報として日本の戦争遂行能力についての取材があった。作戦行動案が具体的に記されていた。

 

軍機漏洩とみた茂丸は直ちに児玉に経過を知らせ、講和すべきという4000字にのぼる暗号電報を打ち、山県、桂にも伝えた。児玉はすぐ軍状報告のため一時帰国、山県が満州で現地の各司令官に講和を伝えることに決定した。


七月、山県は極秘裏に満州に渡った。民間人では杉山一人が同行し、前線本部では参謀以外には一切入室禁止の満州軍総司令官・児玉の部屋に枕を並べて泊まり、戦後の満鉄経営の方策なども茂丸に任せられた。


満鉄のプランナー


レーニンによるロシア革命の成功や明石元二郎の工作の裏面にも茂丸の存在があった。茂丸は親しい宮崎民蔵(宮崎滔天の兄)をフランスに送り込んで、レーニンに会わせて工作し、児玉と打ち合わせて明石を秘密工作員として、ヨーロッパに派遣、日露戦争を有利に運ぶためにレーニンの革命を助けたのであった。


いわば、日清戦争、日露戦争は影の参謀の茂丸の手のなかでグランドデザインされたといっても過言ではなかった。


長男で作家の夢野久作は「近代快人伝」の中で「茂丸はいつも右のポケットには二、三人の百万長者をしのばせ、左のポケットにはその時代の政界の大立者四、五人はしのばせて『政治は道楽だ』といいながら、自在にあやつった」と書いている。


確かに、茂丸は神出鬼没、縦横無尽に活躍しており、その行動は波潤万丈である。しかし、自らをモグラにたとえた茂丸は裏方に徹しており、「その日暮らしが一番性にあっている」として、「其日庵」と称していた。


日本が再び日中、日米戦争という大戦争に突入しょうという前夜の昭和十年(一九三五)に七十二歳でなくなった。その最期の言葉が「後のことは知らんぞ」であったというのはなんとも象徴的であった。

 

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