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香港返還1年・香港メディアはどうなったかー言論の自由は漸次消滅

   

<『マスコミ市民』1998年9月号NO357>に掲載
香港返還1年・香港メディアはどうなったかー言論の自由は漸次消滅―
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)
一九九七年七月一日、香港はイギリスから中国に一世紀半ぶりに正式に返還された。中国に復帰しながら、今後五〇年間は香港の自由な現状をそのまま維持していくという、世界史でも稀な「一国二制度」という条件による返還だが、果たして香港ほどうなっていくのか。
共産主義・中国にやがて呑み込まれてしまうのか、それとも香港の繁栄は続き、中国の香港化が起きるのか。世界の目が香港に注がれたが、返還後一年余が過ぎた香港の現状はどうなっていくのか。
新聞記者出身のマスコミ学者で組織した『香港マスコミ調査団』(団長・鳥井守幸帝京平成大学教授ら七人)の一員としてこの九月はじめに、香港のマスコミ各社や関係者を訪ね、返還一年後の言論の自由、マスメディアの現状について調査した。
以下はそのレポートである。
Ⅰ 深刻なセルフ・センサーシップ(自己検閲)
香港はもともと近代ジャーナリズムを生み言論の自由をかちとったイギリスによって統治されていたため、人口比では世界でも一、二を争うたくさんの新聞、雑誌が発行され、メディアが自由で激しい競争を繰り返しているところとして知られる。
また、「共産中国」の動きをいち早く伝える『香港情報』『スクープ』によって、世界に向けての中国の出窓、中国情報の発信基地としての役割も高い。これまで中国への返還、一国二制度がうまく機能するかどうかの判定は香港の「言論の自由」が守られるかどうかにかかっている、との見方が一般的であった。
最初にたずねたのは『香港記者協会』である。ここには香港の新聞、雑誌、テレビに携わったりしているフリージャナリストら約八〇〇人が加盟している。
「香港以外の各国で、香港メディアを称賛しているのは、言論の自由を守るためにたたかっているからだろうと思う。私たち記者がジャーナリズムの自由、言論の自由を重視しているのは香港の発展のために、それが基礎となるからだ」
と開口一番、笑顔で話した香港記者協会の蓼建明主席はこう説明した。
「みなさんが関心をもっている香港返還後の言論の自由だが、この一年間大きな変化は目に見えてはない。強調しておきたいのは表面上の目に見えない変化ではなくて、これは返還一年前から進行していたことだが、深刻なのは記者の「セルフ・センサ
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ーシップ」(自己検閲)=メディアのトップや記者が書くべき記事を恐れて書かないことが一層進んでいることだ。北京政府の顔色をうかがい、恐れて書かないケースが増えている」という。
香港の『明報』記者が中国側に逮捕され懲役十二年の刑が下った事件があった一が、これで香港メディアは恐れをなしてしまった。北京には法律はない。彼らが気に入らなければ逮捕する、と震え上がってしまった、という。
『セルフ・センサーシップ』のさらに具体例を上げると、一九八九年六月四日の天安門事件を見てみれば、よくわかる、と蓼建明主席はこう説明した。
「最初、香港のメディアは天安門事件について、『大虐殺』と呼んでいたが、北京は反革命分子の暴動だとの言い分を変えていない。返還が近づくにつれて、香港のメディアはいつの間にか『6・4事件』と北京側のいう表現に変えてしまった。北京との摩擦を恐れてこの中立的な表現に変えてしまった」
「香港の新聞はまだ『人民日報』にはなっていないが、今うそを書いている。確かに、返還後大きな問題はないが、問題はどこにあるのかではなく、『載せられない記事』『載せない記事」にこそある』
家主席のいう『明報』の事件とは返還が近づくにつれて、言論の自由がどぅなるか、香港のメディアが神経質になっていた矢先に起きた。
一九九四年に中立紙の『明報』の席揚記者は中国本土を取材した際、金融関連ニュースをスクープしたが、それが国家機密漏洩罪にあたるとして中国当局に逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けたのである。
香港流の自由な取材や表現が、中国化されると不可能になるという記者たちの恐怖心がこの事件で一挙に吹き出した。それに中国への進出を目指す経営者の思惑もからんで、これが香港メディアのセルフ・センサーシップ(自己検閲)を一挙に加速して、中国批判を控える自己規制を強めた決定的な事件といわれる。
九七年一月に席揚は『明報』や香港メディアの度々の要求によって、やっと仮釈放されたが、返還を目前に報道の自由に大きなブレーキをかけてしまった。
Ⅱ 北京政府の顔色をうかがう
返還後丸一年で、具体的な中国政府からの介入はあったのだろうか。
蓼主席は「エミリー・ラウ事件」を引き合いに出した。香港の著名な民主活動家で、中国大陸への出入りを禁止されているエミリー・ラウ氏は、香港のプライバシー法に基づいて、民主活動家の個人データを集めているとされている『新華社』香港支社にデータの開示を求めた。
ところが、『新華社』は回答せず、プライバシー保護委員会は今年一月、検察当局に訴追を勧告した。この事件を報道したのは英字紙の『サウスチャイナ・モーニング・ポ
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スト』だけで、他の新聞やメディアは沈黙した。
「香港ではプライバシー保護法によって、訴えがあった場合は40日以内に回答しなければならないが、『新華社』は10月後にやっと《なし》と回答した。
これは北京の機関が香港の法律を明瞭に犯したケースで、実質上一国二制度はくずされたのと同じで、大きなニュースだが、取り上げたのは英字新聞の『サウス・モーニング・チャイナ』だけで、中国語の新聞は一字も載せなかった。
これは「セルフ・センサーシップ」そのもので、北京政府の逆鱗に触れるのを恐れて、メディアは自己検閲してしまった。香港の新聞の自由の問題は北京政府が抑えているのではなくて、香港のメディアが降参してしまっているのだ」と家主席は手厳しく批判した。
香港記者協会は毎年、年次報告書を出しているが、その九八年版『疑問の多い始まり』を見ると、返還後丸一年の香港マスメディアの問で何が起こっているか。こうした「セルフ・センサーシップ」の事例が数多く報告されている。
① 新彊ウイグル自治区の独立運動を 取材しCATV局の番組が北京に送られて、放送が無期限で延期になってしまった。
② 江沢民主席の訪米時の台湾独立要求デモのシーンで「台湾人は中国人ではない」としゃべった人の音声が消されてしまった。
③ 地上波テレビ局が放送した、昨年秋の江主席の訪米の際に行われたチベット独立運動の場面からチベット旗や独立運動の垂れ幕のカットが消された。
―などの、メディア側の自粛例が報告されており、報道の自由は明らかに後退している。また、こんな事件もあった。
今年三月初め、香港政府が出資している『香港電台』(RTHK) のラジオ放送に対して、香港を代表する親中派の言論人で中国全国政治協商会議常務委員(政協=国政助言機関)の徐四民氏(85)が「税金を使いながら政府を批判的に報道するのはケシカラン」と北京で発言して大きな波紋を呼んだ。
『香港電台』はもともとイギリス流の報道の自由によって、中国批判の放送をこれまで度々流していたが、この発言に対しては香港メディアからの反発と、「中国政府内部にも、徐氏の発言に共感する人が多い」と激しい賛否両論が起こった。
また、この四月、フランスを訪問した未踏基首相に対して人権抗議デモの質問をした香港人記者を、在仏中国大使館員が「そんなことを聞いたら二度と取材をさせないぞ」と怒鳴りつけて、プレスカードを取り上げるという事件も起こっている。
これには香港記者協会が抗議声明を出した。朱首相が翌日、陳謝したため一件落着したが、中国側の本音が思わず出たものと見られている。 3
Ⅲ 香港メディアの行方は、ゆでカエルか?
「香港メディア対中国政府の報道の自由をめぐるさざ波」は以上のようなものだが、最後に「香港の言論の自由は今後どうなっていくと思うか」の質問に対して蓼主席は、こう答えた。
「メディア側のセルフ・センサーシップがこれからもどんどん蔓延していくと思う。ゆでカエルの故事がある。
いきなり熱湯に入れると熱くてカエルは飛び出すが、水に入れてじょじょに熱くすると気づかずにそのうち茹でられてしまう。中国政府もこの点に気を使って、返還後はあまり気づかれないようにやっていると思う。
もう一つ『金のタマゴを生むダチョウ』という比喩に香港は誓えられるが、恐ろしいことにこのガチョウは最後の最後に殺されてしまう」
このように「香港の言論の自由」に対して危機感を募らせる記者協会に対して、行政側だが香港特別行政区の海外首席新聞主任・べナルナルド・ロング氏は全く別の見方をしており、インタビューにはこう語った。
「香港では一日に一回のデモがあり、香港政庁に押し寄せてくるが、これも報道されている。天安門事件九年目で約四万人の集会があった。返還後何か変わったことがあったか、と問われれば『メディアはより批判的な目で政府を見ていることだ。確かに返還前は自己規制がメディア側にみられた。すべての報道関係者がかなり変わるのではないか、と危惧したことも事実だ。ところが、返還後、北京政府は全く介入しないことがわかった』と、ロング氏は楽観的であり、「返還後、メディア側が自己検閲して言論の自由が狭まっているのでは」という記者の質問に対しては、大きく首を振って否定した。
「ノーだ。そのように考えるのは私たちのほうが驚きだ。政庁への批判は前よりも大きくなっている。例をあげれば、香港新空港がダウンした際の批判は香港のメディアのほうが海外のメディアよりきびしかった。
北京政府がこれを抑制したという動きはなかった。株式市場への介入についても賛成、反対の意見がメディアから自由に表明されている。董建華行政長官のり-ダーシップに関しても手厳しい批判もある」
「メディア側が自己規制をやっているのかどうか、われわれはそれを実証するのはむずかしい。大陸で事業を展開している新聞は中国を批判できないかもしれない。確かなことは香港政庁への批判は返還後に増えたことであり、香港の選挙でもそういえる。
これは言論の自由であり、香港の事情はあくまで香港が統括しているので北京を批判しても筋違いだ。一国二制度が機能していることの証明にもなる」
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では、今後、『香港の中国化か、中国の香港化」か、どちらが強くなると思うかとの質問に対してはー
「香港政庁は中国政府の影響は受けないという自信がある。香港人はプラグマチスト、現実主義者だ。香港が世界の金融市場のセンターになりえたのは情報の自由、透明性が背景にあったせいで、政府が介入しないということで香港が発展してきた。報道の自由ほその点で香港人みんながどうなるか気にかけている」
長年、鋭い中国批判を売り物にしてきた香港を代表する硬派の政治経済雑誌の月刊誌『90年代』も、この五月号を最後に休刊に追い込まれた。
「中国からの圧力によるものではない」ときっばり否定した編集長の李恰氏は、「中国返還と商業ジャーナリズムの台頭によって、中国の民主化の論陣を張るという役割は終わった」と休刊の理由を説明した。
「私の見方は返還前後では言論の自由の約束ごとは変わっていない。自主規制が返還前より大きくなったことはない。
今までと同じ状態だと思う。自己規制について私は別の見方をしている。これはどこの世界にも存在する。あるマスコミと経済集団との関係で違ったものになる。香港の自己規制は特別なものがある。北京を意識して行われる自主規制だ。もう一つは香港基本法二三条である。
言論の煽動・国家転覆などの規定が盛りこまれ検討されているが、『煽動とは何を意味するのか、むずかしいし言論の自由と深くかかわっている』。この基本法は、まだ手がつけられていない。香港政府は将来とも長い間手をつけないといっていたが、中国政府は違うので判断できない。
私は言論の自由の代償は自由に対する永遠の警戒と思っている。香港人は永遠に警戒を続けなければならない」
Ⅳ 香港経済に暗雲、メディアへのテロが続発
香港の中国復帰の要因以外にも、香港返還時は絶好調で、香港経済の先行きはバラ色にみえたが、半年後に予想もしなかったアジアの通貨不安、金融不況に見舞われ、香港メディアも経済危機に直撃されている。
広告収入や購読者の減少、香港の二大新聞の価格引き下げ、新聞戦争激化による経済的な要因で、休廃刊に追い込まれる新聞、雑誌が相次いだ。
香港のテレビ局『亜洲電視』(アジアテレビ・ATV)では今年五月、親中国派の大手の実業家が株式の五一%を取得して、経営権を握ったが、「中国によるメディアの支配」と香港紙は書いた。 5
このほか、中国語の新聞の夕刊紙など数紙がつぶれ、メディアの淘汰が進んでいる。 言論の自由もこうした中で揺らいでいるが、「中国本土への文化センター的な窓口の役割を果たしている」という台湾の『光華新聞』文化中心主任・江素恵氏はこう語った。
「言論の自由度が広がったとか、狭まったとかいう問題ではない。香港政府に対する批判は無罪、北京政府に対する批判は有罪という感じで、北京政府に対しての批判は少ない。メディアは敏感な問題を避ける。北京政府は具体的にどこが悪いとかはいわないが、メディアは自動的にそれに合わせる。香港の新聞の北京批判派やコラムニストは追い出される傾向がますます強くなっている。
もう一つ香港のマスコミが恐れているのは北京ではなく、暴力である。『アルバート・チャンの事件』で本人が自分の非を認めたのは大きなショックであった。暴力は記者にとって脅威である」
アルバート・チャン事件は八月一九日、中国批判など歯に衣をきせぬラジオの辛口の評論家として著名な鄭経翰(52)=(アルバート・チャン)が香港で刃物を持った二人組に襲われて、重症を負った事件である。
鄭が司会を務めるラジオ番組に出演するためにラジオ局に入るところを襲われ、手足など全身6ヵ所を刺されて、一時出血多量で重体になったが、命は何とかとりとめた。この事件はマスコミ関係者や市民に大きなショックを与えた。
マスコミ関係者を狙ったこうした言論へのテロ事件はこのところ連発しており、九六年にも時事評論家や雑誌経営者へのテロが2件起こっている。
鄭の事件の犯人はまだ捕まっていないが、背後に中国の影があるのか、個人的な私怨によるものなのかはわからないが、鄭は「今後、ラジオへの出演を中止する。私の批判的な発言にも悪いところがあった」と述べ、記者たちの言論表明への恐怖心を刺激して、ますます萎縮、慎重にさせる結果を引き起こしている。
Ⅴ 自己規制と北京政府の狭間で揺れる動くメディア
香港の二大大衆紙の一つで、反中国派の代表紙『リンゴ新聞』は「香港の言論の自由は『リンゴ新聞』の生存がそのバロメーターになる」と言われている。
その社長・羅燐社長はこうした点について「共産党はメディアを党の宣伝機関としか考えていない。統治するための道具としか見ていない。香港のマスメディアはイギリスからの言論の自由を学んできたので、批判の役割の重要性を知っている。
返還後も自由は変わっていない。政府がコントロールするのはむずかしい。メディア側がセルフ・センサーシップをすると読者が逃げてしまう。われわれは読者のための新聞を作っている」と語った。 6
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今回のメディア関係者からの取材で一番強く感じたのは「中国政府は言論に介入する前に、メディア側の動きを注視している」ということであり、これに対してメディア側がセンサーシップ(自己規制)して、北京の顔色をうかがう」という両すくみ現象である。
メディア研究家で中立的な立場の香港中文大学のポール・リー教授は結論的にこう指摘した。
「言論の自由はなくなっているとはいえない。中国政府からのメディアへの介入はみられない。ただし、介入は認められないが、市民の関心を非政治的な問題に向けようとしている。
メディアにおける非政治化が起きている。これにセンセーショナリズムが香港のメディアの大部分に起きており、中国政府の思惑と一致して、中国政府への関心を低めているといえる」と前置きして、こう述べた。
「一つの例は返還前に第14回全人代の会議で香港の記者が議長のスピーチの内容をスクープし、中国当局に数カ月間拘留されたことだ。この事件は、香港のメディアでは大騒ぎとなった。第15回全人代でも2社の記者がマル秘情報を入手して捕まったが、香港メディアは批判しなかった。同じような事件なのに、返還前と後ではガラリと変わってしまった。自己規制が働いたのであろう」
「返還後、ニュースソースが少なくなったことも事実だ。反中国の意見を堂々と発表する人がいなくなった。ラジオ関係者で厳しい意見を吐く人物(アルバート・チャン)もいたが、テロにあった。中国政府からの圧力はないが、ジャーナリズムが恐怖心をもっているといえる」とも指摘した。
私は、今回の取材で、返還前には予期しなかったアジアの経済危機が香港を直撃して、香港メディアも荒波をかぶっており、言論の自由の危機はこれにとってかわるわっている、との印象を受けた。
香港を代表する新聞人、マスコミ関係者のいずれもが、口をそろえたのは返還後一年余りは目に見える大きな変化はないが、メディア側のセルフ・センサーシップはより敏感になっているということだ。
重要な問題が報道されない傾向が強まり、北京政府の態度に過敏になって中国情報をスクープする香港ジャーナリズムの強さが次第に失われつつあることも事実である。今はまだ、政治的な季節ではないが、再び第二の『天安門事件』のような事件が起こった時、香港メディアは、中国政府の圧力をはね返して敢然と報道するだろうか、その点が大いに気になった。
(調査は98年9月)

 - IT・マスコミ論

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