前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『動画ハイライト!地球温暖化で海は今や死滅寸前、魚は逃げた。5年前の鎌倉海がなつかしいよ』★『鎌倉カヤック釣りバカ日記(8/29)逗子マリーナ沖でサバが 入れ食いに、本日もまた大漁なり

   

 

 2015/08/31鎌倉カヤック釣りバカ日記(8/29)記事再録

<8/29午前6時半、逗子マリーナ沖でサバが入れ食いに、本日もまた大漁なり>

サバといってバカにしちゃおしまいよ、キス竿で30センチの暴れん坊のサバクンを釣ってみな。竿がおられるよ。スリル満点!、それにしめサバにも、サバのフライでも煮付けにも食べても最高にうまいしね。

8月29日午前5時半から、この夏最後のカヤック釣りに出ましたよ。30年バカの1つ覚えの鎌倉材木座から川越名人と一緒に鎌倉海にgo-,go -GOじゃ。

外は気温23度と、寒い寒い。秋風、北風8mのお出ましじゃ。今年の鎌倉海は久しぶりのサバちゃんのお出まし。つい、1週間ほど前は2号のハリスを連続ぶちキラレて、こちらの頭がぶち切れたよ。よし幾三、じゃなくて、よしみとれとモトス5号、ハリス3号をかってきて、サバクンと綱引きじゃ、

2年ぶりに鎌倉のワシの自然海中公園はにサバちゃん、イナダ、アジちゃんの回遊魚のパレード、お祭り合戦が戻ってきましたわ、わいわいにぎやかよ。

この日の魚果はサバの入れ食いに、アジ、イシダイ、川越名人はカワハギ釣りとの2刀流で、カワハギ(28センチ)3枚と、絶好でした。釣りと筋トレは短時間勝負。この日も8時にストップしました、釣り過ぎはダメ、じいさんばあさん②人のちょっぴりおかずで十分、骨までしゃぶって、がりがり食べて、カルシューム補給も十二分じゃ。これから楽しみじゃ。

 

 – 健康長寿湘南海山ぶらぶら日記

 - 健康長寿, 現代史研究, IT・マスコミ論, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
よくわかる日中韓150年戦争史ー「約120年前の日清戦争の原因の1つとなった東学党の乱についての現地レポート』(イザベラ・バード著「朝鮮紀行」より)

まとめ「東学党の乱について」各新聞の報道 イザベラ・バード著、時岡敬子訳「朝鮮紀 …

no image
『2014世界各国/サプライズ、面白ニュース⑦』「オランダ」「フランス」「ロシア」3国―なぞなぞミステリー⑦

 『2014世界各国/サプライズ、面白ニュース⑦』   ヨー …

no image
産業経理協会月例講演会>2018年「日本の死」を避ける道は あるのか-日本興亡150年史を振り返る③  

   <産業経理協会月例講演会> 2013年6月12日&nb …

no image
人気リクエスト記事再録 『百歳学入門(186 )』-百歳長寿社会へのお手本『世界ベストの画家・葛飾北斎(90歳)の創造力、晩年学こそ長寿力』★『北斎こそ世界を席巻した「ジャポニズム」「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖である』

2011年1月15日執筆<超高齢社会のモデル> 世界ベストの画家・葛飾北斎―90 …

no image
世界/日本リーダーパワー史(909)-米朝首脳会談(6/12日)は「開催されるのか」×「延期になるのか」★『北朝鮮、米朝首脳会談の中止を警告、一方的な核放棄要求に反発』×『 米副大統領、北朝鮮に警告「トランプ氏をなめるな」』

米朝首脳会談(6/12日)は「開催されるのか」「延期になるのか」   …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ(15)リスボン国立古美術館ー日葡(日本・ポルトガル)の交流の深さを実感

『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ(15)』   <ポルトガル・ …

no image
『オンライン/鎌倉ウインドサーフィン動画』★『鎌倉材木座の青春の輝き』(2020/11/22)★『太陽がいっぱいの青い海にカラフルでキラキラ輝くウインドサーフィンの美しいチョウチョの舞が見えた。

鎌倉材木座の青春の輝き(2020/11/22am11)-太陽がいっぱいの青い海( …

『世界漫遊/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編」(5/3日)⑥『「ピカソはオルガ・コクローヴァーの完璧な無表情と平静さを湛えた美しさを数多く肖像画に描いている』

  ‏  2015/06/01  『F国 …

no image
速報(264)◎『(文部科学省は)何の責任も取らないまま、この程度の事故で収まったと言い続けている (小出裕章)』ほか3本

  速報(264)『日本のメルトダウン』   ◎『3月13日 …

『オンライン/藤田嗣治講座』★『1920年代、エコール・ド・パリを代表する画家として、パリ画壇の寵児となった藤田は帰国し、第二次世界大戦中には数多くの戦争画を描いたが、戦後、これが戦争協力として批判されたため日本を去り、フランスに帰化、レオナール・フジタとして死んだ』

ホーム >  人物研究 > &nbsp …