昭和天皇の長寿の秘訣は? その食事と健康法は・・・
『別刷歴史読本』「晩年長寿の達人たち」07年11月号
昭和天皇の長寿の秘訣は? その食事と健康法
<在位期間六十二年余で歴代天皇では最長の記録>
前坂 俊之
歴代天皇のなかで、昭和天皇は八十七歳八カ月と最長寿である。その生涯は明治三十四年(一九〇一)から昭和六十四年(一九八九)まで、在位期間も六十二年余と歴代最長記録となった。
世界史でも例のない激動の二十世紀に、東洋の一小国だった日本は大日本帝国にのし上がり、戦争、敗戦、廃墟から再び経済大国としてよみがえる奇跡の逆転を演じた。日本の歴史の中で、奈良時代(八十四年)、安土桃山時代(約三十年)、明治時代(四十四年)、大正時代(十四年)などと比べても、昭和時代がいかに長かったかがわかる。 わずか二十歳で摂政殿下として公務を担った昭和天皇は、二十五歳で即位し、昭和二十年の敗戦時は四十四歳だった。それから半世紀。まさに「戦争と平和」の時代を、戦前は現人神(あらひとがみ)として、敗戦直後は戦争責任論も
出たが、その後は象徴天皇として、日本の復興と発展に大きく貢献してきた。その生涯は前半と後半では百八十度変わり、一身にして二生、三生を送る波乱万丈の人生を歩んだのである。
世界史をみると、歴代王朝や為政者の栄枯盛衰は世の常だが、戦争に敗れながら、平和時に再び国をそれ以上に発展させ、長期間にわたってそのままトップに君臨した例はない。その意味では世界史の中の一つの驚異であり、天皇位にあり続けることによる何重ものストレスを、いかに克服したのか、その強靭な精神力と健康長寿の秘訣が注目される。
昭和天皇の長寿の秘訣は一体どこにあったのだろうか。
七十九歳の時の宮内庁記者会との会見(昭和五十五年九月二日)で、昭和天皇は「昔から言っているように、腹八分目、食事を余計にとらず、規則正しい生活をすること。医者の意見をよく開くことと、歩くことだ」と答えている。
八十歳、傘寿となった際にも「八十歳といっても特別考えることはないね、七十九歳から一年たったというだけだよ」と淡々と語り、「(健康法について)特に、秘訣はない。しいていえば、柳に雪折れなし、という言葉があるように、自然のまま無理をしないことだ」と答えた。
また、在位六十年を迎えた八十五歳の時には「医者の意見を尊重し、腹八分目の食生活、適度の運動をして、規則正しい生活につとめること」と同趣旨の回答をしている。
質素で庶民的を食卓
もともと天皇家の食生活は、食で健康を目指す「食養学」に基づく。「身土不二」(環境と体は不可分であり、土地のものを食べるのが健康の源)「一物全体食」(一つのものを丸ごとすべて食べる)という自然食品的な思想、オーガニック(有機栽培)である。
天皇家の食材は御料牧場(栃木県塩谷郡高根沢町)などから調達される。この牧場で馬、乳牛、羊、豚、ニワトリなどが飼育され、敷地内には搾乳場、肉加工場などがある。水田のほか野菜栽培用の農場もあり、オーガニックで一貫している。
食事のメニューはどうなのだろうか
朝食は午前八時からで、昭和天皇はいつもきちんとネクタイと上着を着て、皇后とともに食事される。朝食は毎日変わらず洋食メニュー。オートミールかコーンフレークスに、火を通した野菜料理、サラダの盛り合せが一品。これに独自の「カルグルト」(天皇家独特の、牛乳から脂肪分を除いた乳酸飲料)と、御料牧場で丹精こめた特製牛乳を毎日飲まれていた。これに、ピーナッツや銀杏を必ず三粒食べるのが習慣だったという。
昼食は正午から、夕食は午後六時からと決まっていたが、和食と洋食のほぼ交互のメニューとなっていた。昼が洋食であれば夜は和食、昼が和食なら、夜は洋食になる。一般的には天皇家の食卓には毎日ご馳走が並ぶと思われがちだが、そうではない。
ご飯は白米ではなく、長く麦入りのご飯だった。太平洋戦争中から 戦後のきびしい食糧難に心を痛めて以来、自身で希望されて、それを続けていた。
食べ物や料理の好き嫌いを口にされない天皇だが、どちらかというと、うなぎ、天ぷら、中華料理など、あぶら濃いものを好まれた。中でもサッマイモ(宮中では「きいも」という)やジャガイモ、サトイモなどのイモ料理がお好き。レタスの煮込みなど野菜も大好きで、同牧場で特別栽培されたシイタケの「すり身揚げ」や「シイタケとイカのいため煮」なども好まれた。
魚料理では、意外とサシミ類が少ない。万一、生ものがお腹にさわって公務に差し支えてはとの配慮からで、生水も煮沸したもの以外は一切飲まれない。魚は小骨まで丁寧に抜いて出された。「目黒のサンマ」ではないが、サンマなどは姿のまま焼いて、天皇にご覧いただいたあと、側で小骨をとって出される。背の青いイワシ、アジなどもお好きだ。
また、お出かけの際には持参のサンドイッチが大好きで、特にイチゴジャムのサンドがお気に入り。果物ではリンゴ、スイカなど。逆に嫌いな昧つけが、酸っぱいもので、酢の物はあまり召し上がらなかったという。また、お酒は若いときから一滴も飲まれなかった。
昭和四十八年、七十二歳のときの侍医のメモが宮内庁大膳課に保存されており、それによると、「カロリーはそれほど必要ない。脂肪のとりすぎが問題であり、バター妙めの献立などについては減らす、食事後のお菓子類も控えること」などの注意書きがあった。
この方針に沿って、「脂肪分や塩分を少なくして、よりあっさりと味つけする」メニューとなった。そして、食事は一日約千六百キロカロリーに抑えられていた。
天皇のご年齢からいえばこの数字は妥当といえよう。腹八分を守っておられた天皇は、たいてい食事は三分の二ほどしか食べられなかった、という。
八十一歳の時の昭和五十九年の一年間のメニューが残っている。
年間でメニューの多かった順は、和食ではウナギの蒲焼、ワカサギのカラ揚げ、ウズラのたたき肉のつけ焼が各十六回で最も多い。副菜では、野菜の抽妙めの精進煮が四十四回、八方煮が三十二回など。洋食では牛繊肉焙焼(牛フィレ肉のロースト)の十二回、家鴨酒煮(合鴨の赤ワイン煮)の八回などで、大体において質素な食事であった(渡辺誠著『昭和天皇日々の食』(文蓼春秋、二〇〇四年)。
運動とスポーツと徒歩通勤
天皇自身は、腹八分の食事とともに、運動と、よく歩くことを心がけ健康長寿法の一つとして強調されている。
天皇はもともと植物や海辺の生物の研究などで知られる学究肌タイプで、スポーツマンというわけではないが、若い頃は、テニス、ゴルフ、水泳、乗馬、登山などあらゆるスポーツを楽しまれた。
皇太子時代の平成天皇と皇后の〝テニスの縁″は有名だが、昭和天皇とご一緒にテニスをされている姿をテレビ映像で何度か目にしたことがある。多忙な公務の合い間に適度な運動で体を鍛えて、気分転換にスポーツ、散歩、山登りなどを大いに楽しまれたのである。
お住まいの吹上御所から公務のため、風雨の強い日などを除いて、ほぼ毎朝歩いて皇居の宮殿まで向かう。樹木や野草の生い茂った静かな小道をたどり、周辺の四季折々に変化する木々や草花をゆっくり観察されながら十分ほどの徒歩出勤が日課である。皇居は都心のど真ん中にあるが、「むやみに人の手を入れぬように」との天皇の方針で、豊かな森と自然がそのままのこされている。
こうして、日々の散歩やウオーキングと同時に、ご静養で那須などにお出かけの際は、植物研究や観察のために、野山をよく歩かれる。
「那須では、ひまさえあれば植物の観察に出かけています。面白いから暑さも忘れるよ。長い時は五時間くらいも」(昭和五十一年八月、那須御用邸で会見した発言)というように、山歩きを楽しみ、植物の観察に没頭されて、これがストレスの発散にもなっていたのである。晩年になっても、その〝健脚ぶり″は驚くほどで、同行した側近や宮内庁記者たちも追いつけぬほどだった。
最晩年の昭和六十三年には那須御用邸に四十七日間滞在され、その間十七回も植物観察に出かけられた。体調がすぐれない場合も、植物の観察や散策のあとには元気になられた、という。
昭和六十二年九月に病に倒れて、腸のバイパス手術を受けてのち退院。その後公務に復帰されたが、翌年九月に再び病床について、百余日の樹病のあと昭和六十四年一月七日、十二指腸腺ガンのため崩御された。激動の時代とともに歩まれた八十七年八カ月の波乱の生涯は、歴代天皇では最長寿である。
(参考文献)
渡辺誠『昭和天皇 日々の食』(文芸春秋社、二〇〇四年)
松崎敏弥『昭和天皇ちょっといいお話』(ごま書房、1997年)
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