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日本風狂人伝⑫ 稲垣足穂-「アル中、幻想、奇行、A感覚V感覚、天体嗜好・・」・

   

日本風狂人伝⑫
            2009,7,02
 
稲垣足穂-「アル中、幻想、奇行、A感覚V感

覚、天体嗜好・・・

 
                                       
 
                                           前坂 俊之

 
稲垣は晩年、総入歯になって若返ったが、「総入歯は寝る時にはずしてもいいが、入れ眼は手違いになると大変だよ」と次のような話をした。
ある義眼の人が酔って帰り、寝る時にいつものようにはずして、枕元のコップの水に入れた。夜中にノドがかわいて、コップの水を飲み、義眼も一緒に飲み込んでしまった。
病院にかけ込み、医者が浣腸をしましょうと、尻をまくると、ちょうど肛門にひっかかった目ににらまれて、先生は「キャー」と言って卒倒した。
 
 足穂は原稿にはことのほかうるさかった。誤字などあると、原稿をつっ返した。「絵は音楽を聴きながらでもみえる。音楽はよそみしていても聞ける。文は読んでしまうまで、相手を束縛する。それだけ努力しなければならない。誤字に気がつかないとはもってのほかだ。誤字が三字あったら、原稿を読まないことにする」
 
 足穂は酒が入ると、毒舌がますますさえわたった。金子光晴らとの鼎談で、文学の師・佐藤春夫のことを聞かれて、「(亡くなる前)会ってません、喧嘩しちゃったから。佐藤春夫は何しに東京へ出てきやがった。家を建てるためか、菊池寛のラッパ卒やないかと、書いたわけ。(笑)そしたら佐藤さんが、「もうキミとは会わん」と門前払いをくらいました。龍之介、漱石、鴎外なんて連中、みんな何か欠けてます。本物の文学者じゃないですね」
 
室生犀星は「田舎のハンコ屋」、宇野浩二は「田舎の指物師」、武者小路実篤は「バカが大きくなって手がつけられない」川端は「千代紙細工」、永井荷風は「三味線ひきのスネもの」、小林秀雄は「テキ屋、夜店のアセチレンのニオイがする」。新しいところでは「吉行淳之介、安岡章太郎なんてのは、もたれ合いでマスかいているようなもの」、「大江健三郎は一種の知的ゲイ」、と文学者をメッタ斬りした。
 
 昭和の初め、足穂は一〇年あまりフトンなしで暮らしていた。一〇銭か二〇銭でフトンをクズ屋に売り払って、ショウチユウを飲んでしまい、あとはタタミの上で寝ていた。冬の京都の底冷えのする寒さで、体中がヒビ割れ、腰骨のあたりの皮膚もザラザラとなり、「ここで大根おろしができるな」「エンピツのシンもとげますな」足穂と自嘲した。タオルの代わりに、飼っているネコで体をふき、ネコをしぼった。こうすればお互いにきれいになるというわけだ。また、フンドシを愛用していた。フンドシほど便利なものはない。フロに行くにもタオルはいらない。夏は汗ふきに使え、冬はマフラーになる。ナプキンにも使える。こんな便利なものはないとパンツを嫌っていた。
 
昭和一二(一九三七)年頃、足穂は東京牛込横寺町に住んでいたが、街角の映画のビラを引きちぎって、これを細長くたたんで、原稿の下書き用にしていた。エンピツは道に落ちているものを拾い集め、石けん箱にためていた。下書きができると、原稿用紙にインクで清書したが、脱稿するとインクビンをすかし、減っている分は水を足して質屋に持っていき、金にかえ、一杯飲んだ。
 
温泉旅行や食物、旅などの細々とした原稿依頼が、返信用切手同封でよくきた。「こんなものはぼくの仕事ではない」と一切書かず、返信用の切手だけ水に浮かして、きれいにはがしてはとっておいた。
 そのたびに妻・志代は「ど偏屈な。切手をはがしておくくらいなら、チョット書けば助かるのに」と腹を立てた。
 
足穂はネコと聖書と広辞苑は片時も離さなかった。「くだらない本を読むより、この本が楽しい」と広辞苑を読みふけり、ノリもテープもきかないほどポロポロになっていた。「捨てるのももったいない」と夫人が言うと「ほんなら、これを三升ほどの水に入れ、一合ぐらいになるまでせんじつめて、そのままではきつすぎるので、それを二、三滴落として、薄めたものを売りに行けばよい。文学青年にはよう効くで!」
 
昭和四四年(1969)年に『少年愛の美学』が第一回日本文学大賞を受賞した。夫人はまた、拒否するのではとビヤビヤしていたが「小説ならお断りするが、エッセーだからお受けする」と受賞した。
「選考委員(中村光夫、三島由紀夫、伊藤整ら)に感謝の念なんておきませんよ。アイツらよくここまできたなという感じ、川端康成にノーベル賞を出した委員より、この委員の方がエライ!」とほめた後、「授賞式?、出んよ。授賞式なんて猿芝居、川端なんてスウエーデンの皇帝ですか、あんなのにペコペコしやがってミットモナイ。それに飲みや、けんかするからナ。・・」(「週刊文春」44年7月14日号)と毒舌を続けた。
 
72歳の昭和47年8月、京都伏見区桃山町の住居が火災にあって全焼した。燃え上がる火の手を悠然と眺めながら「新建材はきれいな色で燃えますねぇ」と感心し、火事見舞いに対して「災難だって、バカ言っちゃいかんよ。これは幸福です。吉兆です。火事なんて、いくらでもある交通事故と同じ社会現象にすぎない」とケロリとしていた。
 
 
3人奇人作家の対談、「稲垣足穂×金子光晴×田中小実昌」(「週刊読売」1973年九月1日付)でも、すでに酒が相当まわった足穂の毒舌が一番きつい内容を紹介すると・・
 
<夏目淑石、森鴎外、芥川龍之介、佐藤春夫なんて本物の文学者じゃない>・・・・
 
金子 稲垣さんネ、佐藤さんとはお会いになってますか、死なれる前に。
 
稲垣 会ってません、喧嘩しちゃったから。佐藤春夫は何しに東京へ出てきやがった。家を建てるためか、菊池寛のラッパ卒やないかと、何かへ書いたわけですね。(笑)そしたら佐藤さんが、「もうキミとは会わんことにしよう」といったんです。門前払いをくらいました。芥川龍之介、夏目漱石、鴎外なんて連中、みんな何か欠けてます。本物の文学者じゃないですね。
田中 (びっくりしたように) はァ、そうですか。                    
稲垣 おかめ、般若、ヒユーヒユドンドン、雉のクソ掻き、烏賊のキンダマ、威張ってけるがイカントモシガタイ手合いですよ。今の日本の詩人とおんなじで、字は並んでいるが、詩といえるような代物ではない。自分自身の言葉が一言もない。
金子 ……喧嘩しましたか、佐藤と。
稲垣 あんなインチキな奴アーないよ。
田中 でも、先生には佐藤春夫さんのこと、お書きんなったもの、ありましたね。
 
稲垣 ぼくは最初の弟子でしたからな、はじめは。十九の秋から、佐藤先生の家に何かの寄付をもらいにいって。うん、ばくの名を聞くと、二階からダダグッと駆け降りてきて、よく来たッてどなりやがったわ。
 時事(新報)に、ちかごろの文士はつけ上がってる、特に春夫は生意気な奴だ、なんて書いたすぐ後だったですからね。どの面下げてきやがった、てえわけでしょう。マアマアといって結局、寄付はもらってきちゃったが。(笑)しかし、晩年は足がフラフラになっちゃってね、何かの会の帰り道、ぼくが連れて帰ってやった覚えがあります。罪滅ぼしのつもりでね。
内田百閒ネ、鯛でてんぷらなんかつくる奴、あいつとも喧嘩ですよ。百の親類か何かの女の人の仲人を頼まれてやったんだ、佐藤がね。そしたら、なぜぼくに言いわんかって百閒が怒ったのです。
それから荷風とも喧嘩でしょう。だから、あの人は佐藤春夫のことをいつも佐藤傭斎と書いていますよ。谷崎潤一郎とも喧嘩です。
 

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