百歳学入門(155)文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉
百歳学入門(155)
私は新聞記者時代に春秋の叙勲の取材を何度かしたことがある。主に政治家、経済人、公務員、各種団体の長など,功なりとげた人物が年功序列的に、国から褒章が出るわけだが、もらった人は『ありがたがる人半分』、あとは「さしてありがたくもなく、ただし断るわけにもいかず」といった感じであった。
自由を信条としている知識人、学者、芸術院会員の中にも『学士院会員』「芸術院会員」になるために、運動し、裏から手を回すひともあるらしいが、まして文化勲章ともなると、熱心に運動してでも欲しがる人が多いといわれる。
福沢諭吉の『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』を至言と心得え、このあとに「天は人の上に人をのせて、人を造る」などと放吟したものだが、福沢の「独立自尊」の精神こそ、自らの信条として、「強く、正しく、美しく」人生を生きたいと願いながら、トボトボ、フラフラ、ずっこけながら歩んで来たが、今や日暮れて道遠しで、タイムアウトに寸前である。
そんなわけで、熊谷翁の生き方にますます共感する。
元祖ス-ローライフの達人・「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)③
『(文化)勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。
ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。
かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、
そんなことは一切きらい』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/18517.html
この国の文化風景の中で、熊谷翁は全く稀有な超俗な人、純粋無垢なそれこそ『強く、貧しく、美しい』稀有な人であろう。まさしく、奇人,稀人ナンバーワンである。
文か勲章といえば、もう1人の奇人、超俗の人、永井荷風にふれないわけにはいかない。
荷風の文化勲章受賞は昭和二十七年だった。理由は「温雅な詩情と高邁な文明批評と透徹した現実鑑賞のニ面が備わる多数の創作を出し、江戸文学の研究に新分野を拓き、外国文学の移植に業績をあげ、近代史上に独自の巨歩を残した」ということだった。
日本風狂人伝(23) 日本『バガボンド』ー永井荷風散人とひそやかに野垂れ死に ③
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3635.html
日本風狂人伝(22)日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と楽しく 野垂れ死に ②
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3636.html
当時、千葉県市川に住んでいた荷風は、新聞記者にこう言っている。
「そんなことウソだろう。勲章なんてうれしくない。感想なんかないよ」(「読売新聞夕刊」昭和27年10月21日)
「うれしいかって~ それはうれしいが、受賞に行くにも焼けて洋服(モーエソグ)も黒いクツもないから夕方デパートに行って注文するよ。借りて行くわけにもいかないからね。賞金は貯蓄しておいて生活のために使うよ。生活に追われながらいいものは書けぬからね」
(「朝日新聞千葉版」昭和27年10月21日)
以下、濱川博「現代のアウトサイダー」浩文社、昭和50年3月刊によると、こう書いている。
芸術院会員を断った荷風のことだから、文化勲章も一蹴するのでは……。当時の文部官僚も、世間のおおかたもそう見ていた。最初は文部省の受賞候補者リストにも上っていなかった。
下駄ばきで浅草のストリップ劇場をうろつく『四畳半襖の下張』の作者に、頭のかたい官僚には、受賞の対象と考えられなかったのだろう。しかし、選考委員の間で強く荷風を推す意見が出て、受賞が決ったといういきさつがある。
「文学は糊口の道でもなければ、栄達の道でもない」と言った荷風の勲章ぎらい、官僚ぎらいは有名だった。北原武夫は、荷風の受賞をこう書いている。
荷風氏が勲章をもらったことは、大いに驚嘆に値する。恐らくだれしも荷風氏は勲章などは辞退するであろうと考えていたに違いない。もちろん筆者もそう考えていた一人である。
文学的価値から言えば、現代日本文学を圧する至宝であって、当然勲章に値するものではあるが、作風から言って勲章をやるぞなど言われたら、ふふんと冷笑するはずだと、だれしも考えるからである。
……伝え聞くところによると、勲章をもらった理由について、荷風氏は〝お金がもらえますからね″といって笑って答えたという。永井荷風勲章受賞の珍事を、荷風文学化した至妙の一言である。荷風氏の文学精神はやはりまだ衰えてはいない。
(「東京新聞」昭和27年10月22日)
荷風はこのとき72歳。後輩の志賀直哉や、谷崎潤一郎よりも遅い受賞であった。荷風散人と熊谷守一の二人の超俗的勲章ばなしは、どんな名優の名演技も、はるかに及ばない至芸というほかはない。
話を熊谷守一に戻す。
熊谷翁は幼少のころから「偉くなる」ことに反発してきた。自伝的エッセー『へたも絵のうち』に小学校時代の思い出が記されている。
先生が一生懸命しゃべっていても、私は窓の外ばかりながめている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がヒラヒラ落ちるのだとかを、あきもせずにじっとながめているのです。
じっさい、先生の話よりも、そちらの方がよほど面白かった。先生はしょっちゅう偉くなれ、偉くなれといっていました。しかし、私はそのころから人を押しのけて前に出るのが大きらいでした。人と比べてそれよりも前の方に出ようというのがイヤなのです。
偉くなれ、偉くなれといっても、みんなが偉くなってしまったらどうするんだと子供心に思ったものです」
木村定三氏は『熊谷守一作品撰集』に「熊谷さんの人間像」を次のように書いている。
『熊谷さんの物の考え方も、こと芸術に関しては、人間の上に権威者としての人間を認めないのである。神や仏から〝お前は偉いから褒美をやろう″といわれたならば、熊谷さんも有難くもらうであろうが、同じ人間から〝お前は偉いから褒美をやろう″といわれても少しも有難いという気になれないのである。』どこまでも精神の自由を貫こうとする熊谷さんの面目がここにある。
(以上は濱川博「現代のアウトサイダー」浩文社、昭和50年3月刊から引用させていただいた)
関連記事
-
-
百歳学入門(66)世界一の伝説の長寿者は?スコッチの銘酒『オールド・パー』のレッテルに残されたトーマス・パー(152歳)
百歳学入門(66) 「<世界一の伝説の長寿者は!?> スコッチの銘酒 …
-
-
『オンライン講座・日本リーダーパワー史(1232)』-桂太郎の研究➂『日露戦争を勝利に導いた戦時宰相』★『桂太郎と孫文との秘密会談に同席した戴李陶の『桂太郎論』(1928年)』
2011/08/29 日本リーダーパワー史( …
-
-
★人気リクエスト記事再録『百歳学入門(201)』<知的巨人たちの往生術から学ぶ③>『一怒一老 一笑一若 少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食多岨(たそ) 少衣多浴 少車多歩 少煩多眠 少念多笑 少言多行 少欲多施』<渋沢秀雄(90歳)>
『知的巨人たちの往生術から学ぶ』③ 朝日の[天声人語]の名コラムニストの荒垣秀雄 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(224)/★『世界天才老人NO1・エジソン(84)<天才長寿脳>の作り方』ー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功の11ヵ条」(下)『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの 全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」』
』 2018/11/23 百歳学入 …
-
-
<健康長寿の名言>『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(1870~1966、九十五歳)の養生法から学べ』
『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(1870~1966、九十五歳)から学 …
-
-
世界の最先端テクノロジー・一覧 ④『フェイスブックは「人生の幸福度を下げる」米研究結果』●『「勝手にWindows10」騒動、MSついに屈服? 「更新回避法」を動画で紹介する事態に』●『Twitterが140文字制限の緩和を正式発表』●『「プログラミング界のライザップ」で本当に人生が変わるのか体験してきた』●『最も危険なパスワード 利用者数は依然トップ』
世界の最先端テクノロジー・一覧 ④ … フ …
-
-
百歳学入門(30) 『歴史有名人の長寿と食事① 天海、御木本幸吉、鈴木大拙、西園寺公望、富岡鉄斎、大隈重信
百歳学入門(30) 『歴史有名人の長寿と食事エピソード① 前坂 俊 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(131)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル・平櫛田中翁(107歳)の気魄に学べー『いまやらねば いつできる わしがやらねば だれがやる』
知的巨人たちの百歳学(131) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル …
-
-
知的巨人の百歳学(148)-世界最長寿の首相経験者は皇族出身の東久邇稔彦(102歳)
世界最長寿の首相経験者は皇族出身の東久邇稔彦(102歳) ギネスブックの首相 百 …
