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知的巨人たちの百歳学(178)記事再録/『創造的長寿力の葛飾北斎(89歳)②』★「72歳で傑作『富嶽三十六景』の連作を発表、その巻末に 「私は6歳より物の形をうつす癖があり、70歳以前に描いたものは取るに足らない。73歳となった今やっと、禽獣虫魚(動物昆虫魚類)の骨格、草木を描けるようになった。90歳にして画の奥義を極め、100歳を超えると一点一格を生きた如く描ける神妙の域に達したい』と日々研鑽、努力を続けたのです』★『天才とは日々研鑽・努力の人なり』

   

 葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1

  • 創造力こそ長寿力

  • 前坂俊之(ジャーナリスト)

北斎のスゴイところは絶えず発展、進歩を目指して精進・研鱒を続け、晩年にますますその本領を発揮したこと,北斎は晩年の達人といえます。

1831(天保2)年、遠近法、デフォルメ、ダイナミックな構図という『北斎マジック』を集大成したもので、その驚異の動体視力で迫力ある波頭を描ききって、「あか富士」を加えた「冨嶽百景」(続編を含めて46点)を76歳で完成したのです。これは歌川広重の「東海道五十三次」と好一対をなす浮世絵の最高傑作と評価されています。

北斎は『富岳百景』を発表するに当たって、その奥付に「七十五齢 前北斎為一改招紺を改画狂老人卍筆=山沢印=」とわざわざ大書して、次のように書いています。

 「己6才より物の形状を写すの癖ありて、半白の頃(白髪まじりの頭髪のころ)より数々画図を顕すといヘども、七十年前画く所はやや実に取るに足るものなし。七十三才にして、梢(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故になお八十才にして益ます進み、九十才にして猶、其奥義を極め、一百才にして正に神妙ならんか。百有十才にしては一点一格にして、生るが如くならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまうべし。画狂老人卍述」と。

 つまり、「私は6歳より物の形をうつす癖があったが、70歳以前に書いたものは取るに足らない。73歳となった今やっと、禽獣虫魚(動物昆虫魚類など)の骨格、草木(植物)を書けるようになった。だから今後とも80歳にしてますます進み、九十才にしてなお画の奥義を極め、百才にして正に神の領域に達したいと思う。

百歳を超えると一点一格とも生きている如く表現する、願くば長寿の君子よ、私の言うことが嘘、偽りでないことをみてほしい」と言うのです。この言葉に70歳を前にした私は一瞬電気にふれたようなショックを受けた。何歳になってもさらなる高みを目指して日々、努力と精進を続けた北斎の不屈の闘志に感動し、涙が流れてきました。天才・北斎にしてこの言です。

  • 北斎の創造力の秘密は、その破天荒な奇行ぶり、ペンネームも30回以上変更

天下第一となり、齢七十のを超えてもなを日々研鑽、不断の努力を継続してきた。その毎日毎日の積み重ねこそが、北斎を画聖の域に到達させたのです。画業によって創造的長寿を達成した北斎の森羅万象への幅広い観察眼と徹底した描写力はレオナルドダビンチに匹敵するものといっても過言ではありません。

北斎の創造力の秘密は、その破天荒な奇行ぶりと、その結果としての長寿にあると思います。生涯93回も引っ越し、1日に2度越したこともあった。画業に適さない場所はさっさと引っ越した。ただし、引っ越し先は、彼が生まれた江戸の本所から、そんなに離れていない江戸の中に限られていました。

浮世絵師の作品の主体は木版画である。版元の助けなくしては作品にならないので江戸を離れては移り住むことはできない。天保六年頃の長野県・小布施をのぞいては、彼は九十回余も、江戸の中を転々と引っ越した。文献、書物が山ほどあって簡単に引っ越しできない学者や研究者や、植物学者の牧野富太郎のように植物の採集標本が大量にあって、簡単に引っ越しできないのとちがって、鋭い観察眼と卓越したスケッチカをもった北斎は身体一つでいつでもすぐ引っ越しできた。何よりも画業三昧できる環境を最優先した芸術家魂の放浪だったのです。

 

また宗理、「戴斗(たいと)」「画狂人」「卍」などのペンネームを30回以上もかえている。その真意は名前などには無頓着で、いかに良い作品作ることに集中したためでした。士農工商の身分差別、名誉、家柄、形式、伝統、家元、ブランドにガチガチに縛られていた封建時代の旧弊制度など近代人・北斎にはどうでもいいことでした。それ以上に画家の革命家・北斎にとっては打ち倒すべき敵だったと思います。彼のペンネームの変更、引越し、その生活態度の奇行はその表れです。北斎のペンネームの推移と、絵の作画年代を考察すると、北斎の描写力と観察眼の深まりを研究することができます。

 

春朗(安永八一寛政六)、群馬亭(天明五一寛政六)、宗理(寛政八一寛政十)、百琳宗理(寛政八一寛政九)、北斎宗理(寛政十)、可候(寛政十一享和三)、北斎(寛政十一一文政二)、不染居北斎(寛政十一)、辰政(寛政十一一文化七)、婁狂人(享和ニー文化十四)、簑狂老人(文化ニー嘉永三)、載斗(文化八一文政二)、青票(文化九一文化十二)、錦袋合(文化)、月痕老人(文政十一)、鳥一(文政三一天保五)、不染居鳥-(文政五)、藤原負-(弘化四一嘉永二)、坊(天保五一嘉永二)、また戯作名には、長和膏、魚傷、群馬事、時太郎可侯、穿山甲等がある。

 

北斎は常に安住せず、努力、研鍵を続けて-歩一歩高みを目ざして、前人未到の境地にたどりつき世界の絵画史上に残る『冨嶽百景』を完成した。北斎芸術の頂点がこの『富嶽三十六景』です。これを当時の西欧芸術と比較すると、セザンヌは風景をこのような円や角と捉えるようとした。セザンヌはデカルト的に自然を観察して構成しょうとしたが、その形が、特に角が勝ちすぎて、絵に面白みがない、と言われている。

ピカソはそのセザンヌ的なものを形と色のみで絵画を構成し、それが抽象芸術の誕生につながった、という。これを比較すると、北斎はすでに西欧近代絵画の先をいっており、セザンヌやピカソ以上のところがある-と高く評価する専門家もおます。「ライフ」の「世界の100人」の画家に選ばれた理由もこのあたりにあると思われます。

  • 『画家は長寿、作家は短命』確かに、長寿の画家は多い。ピカソ92歳、シャガールは90歳、ミロも90歳。ミケランジェロ89歳、モネ86歳、マティス85歳、ダリ、マティスは85歳、ドガ83歳、ゴヤ82歳だが、これよりさらに上を行く画家がいる。ティツィアーノは99歳です。ティツィアーノは十六世紀に活躍したイタリア・ルネサンス期の画家で、没年はわかっているものの、生年については諸説あり、一説では八十六歳頃に世を去ったとも言われている。

日本を例にとると、長寿画家、彫刻家らは百歳以上も山のようにいる。

107歳・木彫家、書家・平櫛田中(107)風景画家・豊田三郎(107)歳、日本画家・小倉遊亀(105)、日本画家・片岡球子(103)彫刻家・北村西望(102歳)、画家・森田茂(102)、日本画家・奥村土牛(101)、画家・中川一政(97)堀文子(100)、「岩橋英遠(97)洋画家・福沢一郎(94歳)日本画家・秋野不矩(93)横山大観〈89〉ら数え切れない。

 

画家はボケずに長生きできるのは、絵を描くという行為は左右大脳半球にまたがって多くの部位を使う。脳の司令塔といわれる前頭葉の血流量が増えて活性化するので、アマプロを問わず絵を描く人はボケにくいともいわれる。

さて、北斎に話を戻そう。

北斎は『富嶽首景』をかいた際、八十、九十と進み、百十歳まで生きて、ますますよい絵をかくと豪語した。そしてその後も続々『千絵の海』『百人一首乳母が絵説』など、死ぬまで彼は休まず、次々と新しい仕事をした。

 

 北斎はつねに現状に満足することなく、前へ前へと進もうとしたことがわかる。老後の安穏など、北斎には無縁だった。ひたすら絵を描くことだけを考え、日常生活には頓着しなかった。いつも藍

染の木綿を着ていたし、酒や煙草はたしなまず、食事も煮売屋の惣菜ですませていた。ただ、引越しだけはおっくうがらずに繰り返し、生涯に九十三回も転居している。

  • 衰えぬ創作意欲

  晩年の北斎は、三女のお栄と暮らしていたが、彼女も絵師で、画号を「応為」(おうい)と称した。北斎が彼女を「おーい、おーい」と呼んでいたことから、そのまま画号にしたともいわれる。

お栄もまた北斎に似て、ものごとに無頓着なタイプ。だから炊事や掃除などはほとんどしない。家のなかにゴミがたまり、悪臭を放つようになると、やむなく鍋や釜・蒲団・絵の具などを大八車に積み、引越しをしたといいます。平生は蒲団も敷きッ放しで、眠くなれば、昼夜を問わず、そのままに寝る、覚めるとまた絵を画く。家の中は掃除するということがない。

天保十年(一八四九)、八十歳のとき、本所石原から近くの達磨横町へ転居したが、まもなく火事にあい、焼け出された。それまで描きためていた大切な画のすべてが灰になり、さすがの北斎も気落ちした。それでもあきらめず、転居先で徳利を割って絵皿代わりに、さっそく給を描きはじめた。

 嘉永元年(一八四八)には浅草聖天町の小さな借家に移ったが、北斎はすでに八十九歳である。翌年になっても創作の意欲は衰えず、「雨中の虎」などの肉筆画をものにした。

1849年(嘉永元)北斎は88歳だが、体は元気でよく歩いていた。目もよくて、画を描く時だけに眼鏡をかけて、密画を描いていた、という。しかし、高齢による肉体の衰弱はいかんともしがたく。やがて風邪をこじらせ、床についた。死の淵をさまよいながらも、「天がもし、わたしにあと十年の命をあたえてくれるならば……いや、せめてあと五年の命をもたせてくれるなら、本物の絵師になれるのだが……」と意欲は最後まで衰えなかった。

 お栄も懸命に看病したが、そのかいもなく翌年四月十八日、89歳の北斎は帰らぬ人となった。

生涯現役を貫き90歳近い長寿を達成できたのは、生活も貧乏も世俗もすべてなげうって創造の神に達した「画狂人・北斎」の執念そのものだったのです。「100歳元気時代」「超高齢少子化社会」に生きるわれわれの素晴らしい手本ですね。

画に限らず、時間を忘れて何かに集中する、研究、創造することによって、いっのまにか長寿を達成する。創造的な長寿者が、日本の歴史の中には数多く存在します。創造力こそが長寿をつくる好例(高齢)なのです。医者の不養生という言葉がありますが、若い医者のクスリや医療のアドバイスもよいものですが、実際に長生きした元気な「センテナリアン」(百歳人)からこそ実践したそのアドバイスを得ることは重要です。創造力こそが長寿力になると思います。

 

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