前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人の百歳学(125)- 世界が尊敬した日本人/東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95)②『禅の本質を追究し、知の世界を飛び回る』

   

2013年9月22日記事再録/

 世界が尊敬した日本人  

 

東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95)

<歴史読本(平成129月号)に掲載>

               前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授) 

 

〔きびしい環境で育った信仰心〕

 明治・大正・昭和の思想家のなかで、もっとも長い国際体験を有し、東西の宗教を、禅を媒介して融合しようとしたのは〝Daisetz Suzuki″(鈴木大拙)であり、世界の宗教界に重きをなした。文明の衝突と混乱が続くいまこそ、鈴木大拙の存在が大きくがクローズアップされている。

 鈴木大拙(本名貞太郎) は、明治三年(一八七〇)十月、加賀国(石川県金沢市本多町) の医者の末子に生まれた。父は幼いころに亡くなり、母が苦労しながら育てたが、その母も二十歳のときに亡くなる。宗教心の強い土地柄とそうした家庭環境があいまって鈴木の信仰心を培養した。

 

のちに哲学者となる西田幾多郎とは中学の同級生だった。二十歳で上京し早稲田大を経て、東大哲学科に進み、鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演のもとで参禅した。

二十五歳のとき、釈宗演か「大拙」の居士名を受ける。明治二十六年、釈宗演がシカゴの万国宗教会議に出席する際、大拙は通訳を兼ねて渡米した。

このとき知り合ったポール・ケーラスの著書『仏陀の福音』を和訳し、彼に招かれて明治三十年に、米イリノイ州の東洋思想の出版社編集部員となる。

 ここでケーラスと『老子道徳経』などを英訳し、みずからも『禅と日本文化』などの英文著書を出版して欧米の人々に禅と東洋思想をはじめて紹介した。

米国には通算十三年間滞在し、ヨーロッパでの世界宗教会議にも出席して仏教、禅について講演するなど東洋の宗教を世界に紹介して明治四十二年に帰国した。

〔禅の本質の究明〕

 明治四十四年、東洋思想を西欧世界に翻訳することを志していた米国女性のビアトリス・レーンと結婚し、その十年後の大正十年(一九二一)、五十一歳で大谷大学教授に就任した。

ここで英文季刊誌『イースタン.ブディスト』を創刊し、以後二十年間、夫人とともに研究出版を続けた。昭和十一年(一九三六)には文部省から派遣されて英国オックスフォード大学、ケンブリッジ大学などで禅の講義を行い、国際的に活躍を続けた。大拙は英語の達人で、原稿を見ることなく江戸っ子的な巻き舌の英語で講演を行ったという。

 西田幾多郎の哲学のエッセンスは「絶対矛盾的自己同一」といわれるが、大拙は伝統的仏教の教義や戒律を否定し、なにものにも囚われない精神的な自由「即非の論理」こそ「禅」の本質とした。「私は私である」という意識の同一律を否定し「私は私でない。故に私なのだ」、「私が私であるのは、私が否定されて初めてわかる」 と主張して、それを 「即非の論理」と名づけた。

そしてその宗教的意識を「霊性的自覚」とよびその後『日本的霊性』(昭和十九年)、『禅と日本文化』(昭和二十三年) などの代表的著書を発表した。

〔知の世界を飛び回る〕

 1945年(昭和二十)八月、日本は敗戦し、GHQ(連合軍総司令部) に占領された。このとき、すでに大拙は七十四歳。ここで欧米に空前の東洋思想、禅ブームが巻き起こり、「ダイセツ・スズキ」 は一躍、世界的な注目を浴びた。大拙の仏教著書百冊のうち、英文著作は二十三冊にものぼり、欧米への最大の仏教普及者として、大拙禅について世界中から講演依頼が殺到した。

 

 昭和二十五年からの八年間、大拙はニューヨークに暮らし、全米各地の大学で禅を講義して回った。大拙による 〝zen″ブームは米国の宗教、思想、ポップカルチャーにまでおよび、ビートルズからスティーブ・ジョブスまで幅広い人びとに影響を与えた。

 

 九十歳のとき、インド政府の招きを受け渡印。さらに九十四歳で再び渡印、渡米するなど、最後まで西洋と東洋の思想の架け橋を果たした。

 まさに知の世界を自由に飛び回る仙人のような、禅の悟りを実践、布教する超人的な活躍ぶりである。

 仏教の世界的な流れをたどると、インドで生まれた仏教を中国へもたらしたのは唐の時代の三蔵法師(六〇二-六六三) である。これが日本に伝えられて、日本仏教、禅が発展したが、鈴木大拙はこれを一三〇〇年後に西欧世界に伝えたと.いう意味で 「現代の三蔵法師」 とたとえられている。

  1966年(昭和四十一)七月、大拙は九十五歳の生涯を閉じた。最期の言葉は「ウッドユー・ライク・サムシング?」に対して、「ノー・ナッシング・サンキュー」。「生死一如」(しょうじ いちにょ) 生死を越えた老師の姿がそこに見えた。

 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/日本議会政治の父・尾崎咢堂による日本政治史講義②』ー『売り家と唐模様で書く三代目』②『80年前の1942年(昭和17)の尾崎の証言は『現在を予言している』★『 浮誇驕慢(ふこきようまん、うぬぼれて、傲慢になること)で大国難を招いた昭和前期の三代目』

    2012/02/24 &nbsp …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑮』★『『ニューヨーク・タイムズ』(1895(明治28)年1月20日付』★『朝鮮の暴動激化、東学党の乱、各地の村で放火、税務官、住民を殺害』★『朝鮮王朝が行政改革を行えば、日本は反乱鎮圧にあたる見込み―ソウル12月12日>』

2011/03/16 2018/02/05/『ニューヨーク・タイムズ』「東学党の …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(154)再録/『昭和戦前の大アジア主義団体/玄洋社総帥・頭山満を研究せずして日本の近代史のナゾは解けないよ』★『辛亥革命百年⑬インド独立運動の中村屋・ボース(ラス・ビバリ・ポース)を全面支援した頭山満』★『◇世界の巨人頭山満翁について(ラス・ビバリ・ボースの話)』

 2010/07/16  日本リーダーパワー史(7 …

no image
日本リーダーパワー史(765)ー『今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均らをバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した 福沢諭吉の理由がよくわかる②』★『金玉均や朝鮮独立党のメンバーを族誅(罪三族に及ぶ)して、 家族、親族、一族の幼児まで惨殺、処刑した。福沢は社説『朝鮮独立党の処刑』と題して、過酷、苛烈な処刑を野蛮国と激しく批判した』

    日本リーダーパワー史(765) 今回の金正男暗殺事件 …

no image
Surf Live Kamakra チャンネル『美しい海の鎌倉』―台風21号でビッグウエーブが次々襲来、19,20日がピークになるよ。

Surf Live Kamakra チャンネル『美しい海の鎌倉』―   …

no image
日本リーダーパワー史(978)ー「米中貿易5G戦争勃発」★『五四運動から100年目、文化大革命(1989年4月)から30年目の節目の年。その五四運動百周年記念日の数日後に米中関税交渉が決裂したことは、「歴史の偶然なのか、必然なのか」気になる!?』

「米中貿易5G戦争勃発」 米中関税交渉はついに決裂し5月13日、米国は第4弾の追 …

no image
日本リーダーパワー史(379)児玉源太郎伝(2)●『国難に対してトップリーダーはいかに行動すべきかー』

  日本リーダーパワー史(379) 児玉源太郎伝(2)   ●『国難に対してトッ …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(63)』『外国人感銘させる日本の「おもてなし文化」●「セウォル号は韓国の自画像」

    『F国際ビジネスマンのワールド・ …

no image
<日本最強の外交官・金子堅太郎④>『武士道とは何かールーズベルト大統領が知りたいー金子の名スピーチ④』

<日本最強の外交官・金子堅太郎④> ―「坂の上の雲の真実」ー 『武士道とは何かー …

  日本リーダーパワー必読史(746)歴代宰相で最強のリーダーシップを発揮したのは第2次世界大戦で、終戦を決然と実行した鈴木貫太郎であるー山本勝之進の講話『 兵を興すは易く、兵を引くのは難しい。』★『プロジェクトも興すのは易く、成功させ軟着陸させるのは難しい』●『アベノミクスも、クロダミクスも先延ばしを続ければ、 ハードランニング、亡国しかない』

  日本リーダーパワー必読史(746) 歴代宰相で最強のリーダーシップを発揮した …