前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『百歳学入門』(210)-再録『白銀に描く100年の夢のシュプール/100歳でロッキー山脈を滑った生涯現役スキーヤー・三浦敬三氏は三浦雄一郎の父』★『「世界一のスキー・ファミリー」の 驚異の 長寿健康実践法とは・』

   

 2015/03/29「百歳・生涯現役学入門」(108)

息子に受け継がれた100年の夢のシュプール

 

              浜名 純(ジャーナリスト)
100歳、ロッキー山脈を滑る

米国ユタ州ロッキー山脈にあるスノーバードスキー場。標高3400メートルの白銀の斜面を三浦敬三は、ゆったりとしたシュプールを描いて滑り降りてくる。2004年2月28日。長男のプロスキーヤー雄一郎、孫の雄大、それにひ孫の里緒ちゃん(四つ)も一緒だ。親子四代と“敬三ファン”150人が参加した敬三の100歳を記念するスキー滑走である。滑り終えた敬三は、「親子四代で滑れて幸せ。まだまだ元気なのであと何年滑れるか楽しみ」と話した。

古希の70歳にはエベレストのシャングリ氷河(五六五〇メートル)の滑降をし、喜寿の77歳のときはアフリカのキリマンジャロ(五八九五メートル)から滑った。

その三年後、傘寿の翌年の81歳にはヨーロッパアルプスの九〇キロの氷河を数日かけてスキー踏破した。さらに白寿の99歳のときは、フランスの氷河に挑戦、モンブランの中腹、氷点下二〇度の寒さをついて標高四〇〇〇メートルから滑走した。

そして、〇五年二月、101歳になった敬三は札幌市の「札幌テイネ」で開かれたスキー・スノーボード大会に参加、六キロのコースを滑った。その約一年後に死去するのだが、まさに生涯現役スキーヤーであった。

年間120日、スキー漬けの日々

 

体重50キロ。小柄のその身体のどこに元気のパワーが潜んでいるのだろうか。長男の雄一郎はこう語る。「父の健康法は巷によくある健康法とは違う。“健康のための健康法”ではなく、いつまでも夢を追い続けるための健康法なのです」。

敬三は「年寄りの冷や水と言われようが、年甲斐もなくと言われようが、そんなことは気にせず、目標に向かって積極的に進んでいくのです。私の場合はその目標がスキーでした。

ただスキーをしたいという願いから、食事法やトレーニング法を自分で考えてきたからこそ、今の私があるのだと思います」(『100歳、元気の秘密』詳伝社)と記している。“健康のためのスキー”ではなく、“スキーのための健康”というわけだ。

では、そんな敬三の晩年の日常を追ってみよう。11月、敬三のスキーシーズンが開幕する。恒例になったカナダのスキー場で足慣らしをし、帰国後は東京・練馬の自宅から札幌市郊外のテイネスキー場に居を移す。

毎日リフトの運転が始まるとともにゲレンデに飛び出し二時間ほど滑る。

午後は用具の手入れや雑誌などの原稿の執筆、休息にあてる。夕食後はナイターで滑ることもある。二月までテイネで過ごしたあとは東北のスキー場にしばらく滞在し、ヨーロッパのスキーツアーに出かける。敬三がツアーリーダーとして毎年開催しているもので、もう四〇回を超えている。

帰国後はさらに雪を求めて青森の八甲田や富山の立山で過ごす。滑り納めは五月下旬、年間一二〇日はスキー漬けの日々なのだ。

質素な食事、医者には行かず

オフシーズンはどうだろう。八歳年下の妻むつを亡くしてからずっと一人暮らしだ。敬三の食事は質素である。トレーニングもそうだが、なにも難しいことや特別なことはしていない。「一人暮らしだから料理も自分でつくるし、すべて自分でやっているので、凝った料理をつくるなどで手間をかけたくない」というのだ。ごちそうばかり食べていると逆に体調が変になるともいう。

朝夕は玄米食、胚芽米を加えることもある。圧力釜で一回に三合炊く。食べる量は朝夕とも一膳ずつなので、これで三日間はもつ。

魚も骨のまま圧力釜で煮る。骨まで柔らかくなるので総入れ歯だがむしゃむしゃ食べられる。ビタミンDが豊富なキクラゲも必須の食材だ。煮干しの粉末と一緒にこれも圧力釜で煮てしまう。ついでながら煮干しの粉末は自家製で、カルシウムの補強とダシになる。

それに具だくさんのみそ汁、納豆。食事の最後には漬け物を食べる。最後に漬け物を食べると口の中がさっぱりするのだという。デザートには定番の「小豆あん」を食べるが、これも砂糖を入れて圧力釜で煮たものである。昼はサツマイモを電子レンジで温めて食べたりしている。酒は飲まない、いや、飲めない。

朝は簡単体操から始まる。起床すると首をゆっくり前後左右に傾けたり回したりし、次いで大きく深呼吸を繰り返す。ゴムのチューブを使った膝や腕の屈伸運動をし、四〇分ほどのウオーキングをこなす。変わっているのは「口開け運動」だ。大きく口を開けながら舌を思いっきり前に突き出す。

「口開け運動」

右側、真ん中、左側と三方向に舌を出すのだが、これを一五〇回程度繰り返す。この運動によって老人特有の口の回りの細かいシワや鼻の下のシワがほとんど出なくなったという。老人くさいシワをなくしたいというおしゃれ心から思いついたといい、デスクワークの合間にやれば気分転換にもなると皆に勧めている。老人には老人のトレーニングの方法があり、それは無理をせず徐々に、しかし毎日行うことだと敬三は言う。

ところで病気をしたことはないのだろうか。そんなことはない。それどころか何度か大病を経験している。

玄米食で治った。

まず北海道大学の学生時代に結核菌に冒され肺浸潤にかかり完治までの三年かかった。卒業後、青森営林局に勤めるようになってからは、スキーで右足や右肩の捻挫、打撲、アキレス腱損傷、腰の骨の骨折などを繰り返した。

七二歳のときは、フランスのスキー場で転び右足にひびが入った。七〇代後半には右手の小指が曲がらなくなり手術をしたし、八〇代後半には視力が落ち白内障の手術をした。人工角膜になったが吹雪でもスキーができるくらい回復した。同じころ前立腺肥大で頻尿となったが、これは玄米食で治った。

さらに九六歳のとき、二月に北海道のスキー場で転倒し、たぶん肋骨を骨折した。「たぶん骨折した」というのは、この痛みでは骨折に間違いないと思いながら病院へは行かなかったからである。そう、敬三はよほどのことがないかぎり病院へは行かないことにしている。妻のむつは階段を踏みはずして捻挫したことから札幌の病院へ入院した。

三か月の入院で、痴呆が出るようになったのである。「ベッドに横たわっている以外なにもすることがないという環境が痴呆のきっかけとなった。高齢者の長期入院は怖い」と敬三は思う。極力病院は避け、自分自身の治癒力を信じて治すという考えがさらに強まった。家には薬箱もない。

ただ、その代わり健康診断は毎年必ず受ける。「たぶん骨折」騒ぎが起きた96歳の秋も健康診断を受けた。そのレントゲン撮影で背中が圧迫骨折をしていることが判明したのだ。実に半年以上も経過してからである。大転倒で背骨の骨2つが潰れて変形し縮んでいたのである。

好きなことだけを自然体でやる

敬三は青森市で生まれ、北海道帝国大学林学実科に入学。スケートを始めたが氷が割れて池に落ちたことから興味を失った。それで代わりにスキーを始めたのがその後の人生を規定することになるとは、その時敬三も知る由はなかった。

敬三にとってスキーは趣味ではない。「極めるもの」であった。一〇〇歳になっても「もっとうまくなりたい」が口癖だった。一〇〇歳には一〇〇歳の理想の滑りがある。それを追い求めたのである。

座右の銘は「探求一筋」

定年後の第二の人生は、決して「余生」ではないし、好きなことだけを自然体で続けろ、と説いた。

〇六年一月五日、多臓器不全で死去した。雄一郎は「父は一〇一歳まで心からスキーを楽しんだ。父の生き様を見て私は七〇歳でチョモランマに挑戦した。一〇〇歳には一〇〇歳の夢があること、チャレンジし続けることの素晴らしささを教えてくれた。遺志を受け継ぎ一〇〇年の夢のシュプールを描きたい」と語った。

以上は「晩年長寿の達人たち』(生涯現役の秘訣)別冊歴史読本
2007年11月号掲載

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中北朝鮮150年戦争史(25)『南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展するのか』★『中国は壊滅的打撃受け、今までの発展が水の泡に 米中開戦のシミュレーション、ランド研究所が公表』●『「中国への対応は日本が決めること」と米専門家 エスカレートする中国の尖閣侵入、米国はどう見ているのか』●『日本の甘い対応に増長する中国、危うし東シナ海 自民党は「一触即発」事案を検証し、法改正につなげ』

  日中北朝鮮150年戦争史(25) 南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展する …

 『 新選/ニッポン奇人・畸人・貴人・稀人・伝伝伝』② 『泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・』●『封筒が手を離れてポストの底に落ちても、まだ安心出来ない。原稿がポストの周囲に落ちていないだろうかと不安に襲われて、三回はポストの周囲を回わり、最後にもう一度振り返って見る』

 『 新選/ニッポン奇人・畸人・貴人・稀人・伝伝伝』② 『泉鏡花・幻想文学の先駆 …

『オンライン講座/財界巨人たちの長寿・晩晴学①』★『渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―『<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>』★『晩晴は人生そのものを第一義とし、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』

  2012/12/29  百歳学入門( …

★『 オンライン講座/世界一成功した外交術<日露戦争勝利の秘密> 金子堅太郎の最強のインテジェンス(⑨終』★『日英同盟なのに英国は日本のために働かない』●『ポーツマス講和条会議始まる』★『大統領に条約案をみせて相談、ー『償金やめて払い戻し金に』●『談判決裂を心配したル大統領―3人委員会をつくる』

2017/06/28日本リーダーパワー史(837)(人気記事再録) 『外交交渉の …

no image
岩切徹が斬る昭和戦後芸能史>『美輪明宏こそ稀人』『三島由紀夫、川端康成、志賀直哉』『 吉永小百合の人気』

<岩切徹が斬る昭和戦後芸能史>   『美輪明宏こそ稀人、本物のアーティ …

no image
日中リーダーパワー史(932)-『軍事論、軍事研究のない国は亡びる」★『現在の米中貿易戦争、北朝鮮との紛争は130年前の日清戦争への経過と同じパターン』★『平和とは次期戦略情報戦の開始である(福島安正)』

日中リーダーパワー史(932)-   米中貿易戦争が激化し、米朝会談で …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ回想録③』★『パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編④」★『ピカソが愛した女たちーその多種多様、創造的インスピレーションには本当に圧倒されますね』』

2015/06/15  『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッ …

『オンライン講座/死に方の美学』★『中江兆民「(ガンを宣告されて)余は高々5,6ヵ月と思いしに、1年とは寿命の豊年なり。極めて悠久なり。一年半、諸君は短命といわん。短といわば十年も短なり、百年も短なり」★『森鴎外、一休禅師、大西良慶、熊谷守一の往生術』

  2010/01/21/百歳学入門②ー知的巨人たちの往生術 …

no image
日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の証言③『明治の外交ー日清戦争、三国干渉から日露戦争へ』★『ロシア朝鮮支配の陰謀・奸計で山県外交手玉にとられる』

   日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の …

no image
日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』

  結局、幕府側の交渉役の土井利厚生https://ja.wikipedia.o