前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(174 )-『生死一如』★『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60,70/洟垂れ娘への応援歌」②『105歳小倉遊亀(おぐらゆうき)女流日本画家)『老いて輝く。60代までは修業、70代でデビュー、100歳現役』』●『105歳、最後の長岡瞽女(ごぜ)の②)『すべて神様、仏様のお導き、すべてを受け入れ許すことで自分も救われる』

   

 百歳学入門(174 )-『生死一如』★

『百歳天女からの心に響くメッセージ』―

60,70/洟垂れ娘への応援歌」②

 

106

  • 島津久子(1898年08月08日~2005年5月15日)昭和天皇の5女貴子さんの義母。

山階鳥類研究所理事長島津久永〈ひさなが〉さんの母。保護司として長く活動し、日本更

生保護女性連盟名誉会長。エッセイストとしても知られ、著書に「梅のしるしと」「星に

花に愛」「深山に白く」などがある。

 -----------------------

 105

  • 小倉遊亀(おぐらゆうき)(18953月1日~2000723日)女流日本画家。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E9%81%8A%E4%BA%80

日本美術院の画家安田靭彦の門を叩き、岡倉天心、横山大観らの先輩、後輩と深い絆を結ぶ。

70歳代で「径」「舞妓」「姉妹」などの代表作を発表、80代では「天武天皇」などの歴史

肖像画の傑作を描いた。上村松園に次いで女性画家としては2人目となる文化勲章を受章。

 

百歳名言①)『老いて輝く。60代までは修業、70代でデビュー、100歳現役』

女流画家の第一人者である。七十歳代で『径』『舞妓』『姉妹』などの代表作を発表、八十代で『天武天皇』などの歴史肖像画の代表作を制作した。

五十代はまさに画家としての基礎体力作り、精進に費やした日々であり、自身、人生で最も充実したのは七十歳代であり、八十代でも衰えることがなかった。

『情熱さえあれぼれば年齢の壁など乗り越えられる』ことを身をもって示した。

 九十代半ばで体調を崩してから、絵筆を執らなくなった。居間に座ってぼんやり庭を眺める日々、ある日、ハッと気づいた。

(百歳名言② 『梅は何ひとつ怠けないで、一生懸命生きている。私も怠けていてはけない』

 

101歳」で再び絵筆を握った。

それからは身近にある花木や果物を好んで描くようになる。「物みな仏」であり、自分は生かされているという謙虚な気持ちを片時も忘れなかった

普通に生きることの難しさを知ってから、普通に生きる美しきや素晴らしさがしみじみと描けるようになった。

 

(百歳名言③)「何も持たぬと嘆く人でも、天地の恵みは項戴しているではないか」

 

89歳の時に「生きているっていうことは、昨日の自分に一歩つけ加えて、今日は何か一つ新しいものがなくちやならないと思う」

(百歳名言④)「だから、勉強は怠れないですね。こっちの目、レンズが死んだら駄目です。

いつも磨いておかないと」

(『小倉遊亀画室のうちそと』読売新聞社/小川津娘子共著、1984年刊)

 

(百歳名言⑤)「絵は一生の大事業である。思いつきや、面白さだけで出来るものではない。

片時も心をはずすなである。時間を大切にしなくちゃプロにはなれない」

(一九七三年某月某日、日記)(『画室の中から 続』中央公論美術出版、1979年刊)。

 

(百歳名言⑥『生きるということは、人さまのために 己れを捨てることである。没我の精神とは愛にはかならない。生きるとは愛の実行にはかならない」(同書)

―――――――――――――――――――――――――

105

  • (小林ハル1900年1月24日~2005年4月25日、105歳)

最後の長岡瞽女(ごぜ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9E%BD%E5%A5%B3

Wiki小林ハル

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%83%8F%E3%83%AB

このWikiは素晴らしい。ハルさんの伝記そのものである。これを読んでいただければ春さんのすべてわかる。

ハルさん生後三ケ月で白内障を患い失明。5歳に菅女として入門。筆舌に尽くしがたい過酷な荒修行と旅放浪が、強靭な肉体と精神力を培うことになる。晩年は養護老人ホームで瞽女唄全曲録音の作業に携わる。無形文化財、黄綬褒章、第36回吉川英治文化賞を受賞。

 

(百歳名言 ➀)『一度聞いたら一度で覚えろ。私どもは、これを字に書かないでおいて

    文句から節まで一緒に覚えていったもんだ。寝ても起きてもそのことだけを考えて、

     余計なことを思わないようにしてきたものだった』。

 

(百歳名言 ②)『すべて神様、仏様のお導き、すべてを受け入れ許すことで自分も救われる』

(百歳名言 ③)つらいときはじっと我慢して、神さま仏さまのお力を待つのだ。』

(百歳名言 ④『どんな虫にも魂がある』

(百歳名言 ⑤)『どこに行ってもいくつになっても、いろいろな苦労はあるものだ、でも、

どんなにせつなくても、心のうちは神さまや仏さまが見透かしておられる。』

 

 - 人物研究, 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
知的巨人の百歳学(144)ー「玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の長寿法『1日玄米、菜食、1食。食はねば、人間は長生きする』

    2015/03/28/百歳学入門(54)記 …

no image
日本敗戦史(48)日本兵残酷物語「内務班」,召集令状「赤紙」1枚(約100円)で消耗品として戦場で大量死。映画「二等兵物語」を見て戦争の実態を勉強しよう

日本敗戦史、終戦70年(48)   「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ ニュース・ウオッチ(180)』『BBCの速報で、男の子退院の記事「未成年の保護養育義務」を報道』●『舛添氏の「公私混同金銭感覚」ー世界の東京の顔に『この破廉恥・悪人ズラ』では都民は眠れない→「悪い奴ほどよく眠る」

『F国際ビジネスマンのワールド・ ニュース・ウオッチ(180)』 ①『BBCの速 …

no image
オンライン講座/『終戦70年・日本敗戦史(142)』★『開戦1ヵ月前に山本五十六連合艦隊司令長官が勝算はないと断言した太平洋戦争に海軍はなぜ態度を一変し、突入したのかー「ガラパゴス総無責任国家、日本の悲劇は今も続く」

2015/08/17 /終戦70年・日本敗戦史(142) <世田谷市民大学201 …

『オンライン/国難突破力講座』★『敗軍の将・勝海舟の国難突破力⑥ 『金も名誉も命もいらぬ。そうでなければ明治維新はできぬ』  <すべての問題解決のカギは歴史にあり、明日どうなるかは昔を知ればわかる>

           …

『Z世代のための 欧州連合(EU)誕生のルーツ研究」③』★『欧州連合(EU)の生みの親・クーデンホーフ・カレルギーの日本訪問記「美の国」③★『子供心に日本はお伽話の国、美しさと優雅の国、同時に英雄の国であった③』

2012/07/06  日本リーダーパワー史(275) 前坂俊之(ジャ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(135)/記事再録★『山県有朋から廃藩置県の相談された西郷隆盛は 一言で了承し、即実行したその日本史上最強のリーダーシップ①』(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))★『行政改革を毎回唱えながら、中央省庁再編、道州制、都道府県市町村再合併、財政削減などなかなか進まない、リーダーシップ不在の日本沈没政治』

 2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録   …

日本リーダーパワー史(719) 来年は大政奉還150年 ー明治最大の奇人、超人とは『西郷隆盛の弟・西郷従道です』日本海軍の父・山本権兵衛を縦横無尽に 活躍させた大度量、抱腹絶倒の大巨人で超面白い!①

  日本リーダーパワー史(719) 来年(2017)は大政奉還から150年 わが …

鎌倉稲村ケ崎から見た七里ヶ浜の白波と富士山絶景(2023年1月28日午前9時)
知的巨人たちの百歳学(172)記事再録/「みんなで『百歳学入門』へ・超高齢社会を元気に長生きする『長寿脳』を鍛えるために』★『『定年なし、年齢差別なし、老人観の全く違う米国では65~74歳はベビーオールド(赤ちゃん老人)、75~84歳まではリトルオールド(小さい老人)、84~94歳はヤングオールド(若い年寄り)、95歳以上がリアルオールド(真の高齢者)』』

  2009/06/06 /みんなで『百歳学入門』へ &nb …