前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(84)大宰相・吉田茂(89歳)の政治健康法②「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられるか」

   

 百歳学入門(84

 

大宰相・吉田茂(89)の晩年悠々、政治健康法とは②

 そのジョークは終生かわらない「こんな面白くない

<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるか」

 

『別刷歴史読本』「晩年長寿の達人たち」07年11月号

 

                    前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 吉田のジョークは終生、変わらなかった。

 

1964年(昭和三十九)11月、赤坂離宮での観菊会に出席。昭和天皇から「大磯は、暖かいだろうね」とのお言葉を賜った。「はい。大磯は暖こうございますが、私の懐(ふところ)は寒うございます」と答えると、天皇はキョトンとしたまま。従者の説明に天皇もやっと意味を了解し、二人は大笑いになった。

 

最後までユーモア精神

 最晩年の一日のスケジュールは朝十時に朝食、ひと休みして庭を散歩、付き人と江ノ島などをドライブし、午後一、二時の昼食は来客との会食、昼寝一時間、夕方散歩、夕日を楽し楽しむ。七時ごろ夕食、九時頃までテレビを見る、午後十時前に就寝となっていた。

 

 吉田はフロ好きだったが、晩年は看護婦たちが心臓の悪化をおそれて入れさせなかった。主治医が、腰をかけたまま両方から持ちあげられるイスに吉田をすわらせ、そのままフロの中に入れたこともあった。

 同じ年、人に支えられて歩くのをきらった吉田は階段の上り降りもできなくなった。そのため、邸内にエレベーターを作ることになった。しかし、「来客がうるさくて失礼だ」と吉田がしばしば工事を中断させ、ついに完成しないまま亡くなってしまった。

「白足袋宰相」として有名だった吉田は「患者としてはまことに立派な人だった」と、日本医師会会長を長く務めた武見太郎はその著『武見太郎回想録』(日本経済新聞社 1968年)で次のように証言している。

吉田はすべて、自分の知らないことは専門家にまかせるという非常に割りきった考え方をする人だったが、病気についてもそうであった。

 

「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるか」

 

 総理大臣当時、いやな問題が起こると、血圧が2030すぐにとび上がった。あるとき、非常に重大な問題で頭を悩まして、気分が悪いというので血圧を測ったら、最高230で最低が120もあった。そこで武見が、煙草と酒を減らすように注意すると、「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるものか」といった、という。これが武見に対するたった唯一の抵抗だった。

 

ある日、これからマッカーサーに会いに行くというとき、血圧を測ったら200を越していた。自分でも少しは気分が悪いというので、降圧剤を注射して、あと塩酸パパペリンを注射して見送った。三十分ほどして帰ってこられ、マッヵーサーと話していたら声が出なくなった。マッカーサーが非常に心配して、すぐに帰って医者に見せろというので帰ってきた、とのことであった。血圧の動揺のひどいときは、50ぐらい動くことがあり、総理大臣の職務がいかに激務であるかがうかがわれた。

 

武見医師がかけつけると「臨終に間に合いましたナ」

 

1966年(昭和418月、2日ほど胆石のような発作の激痛が起こり、三日目に左肩を貫通するような痛みがでてきた。大磯からの連絡で武見がかけつけると、もう声がカスれていて、呼吸も苦しそうであったが、武見の顔をみるや、吉田は「臨終に間に合いましたナ」といって笑ったという。武見は医者になってから何百件も駆けつけて行った先で相手の患者から、こんなあいさつをうけたのは初めてだった、という。

 

この吉田は心筋梗塞で入院した時、娘の和子が見舞いに行って、冗談交じりに、「ヤーィ、とうとう腰が抜けちまったじゃないの」と、からかった。すると、吉田はベッドに臥せたまま「なアに、腰が抜けたんじゃない。やっと、腰がすわったんだ」と言い返して、二人して大笑いになった。

 

 ついに最晩年が訪れた。

気分のいい朝は太平洋を望む別邸の高台までこりんと散歩し、ベンチに腰かけて、しばらく相模湾や富士山を眺めながら時間を過ごしていた。岳父の牧野伸顕(大久保利通の次男)は昭和二十年に八十八歳で亡くなっており、「やっと親父の齢に追いついたな」ともらした吉田は1967年(昭和四十二)十月二十日に亡くなった。

 

享年八十九歳。戦後初の国葬で送られた。

 

(参考文献)

麻生太郎『吉田茂の流儀』(PHP研究所二〇〇〇年)

『週刊読売』臨時増刊(昭和四十二年十一十五日号「国葬吉田茂」)

                                

◎<キーワード「吉田茂」に関連する記事>

http://maesaka-toshiyuki.com/tag/91

 - 健康長寿 , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン60/70歳講座/渋沢栄一(91)の見事な臨終の言葉』★『日中民間外交/水害救援援助に 尽力したが、満州事変の勃発(1931年9月)で国民政府は拒否した』★『最期の言葉/長いあいだお世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度はもう起ち上がれそうもありません。私は死んだあとも皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしないようお願い申します』

百歳学入門(234回) 「近代日本建国の父」渋沢栄一の名言② 1931年(昭和6 …

『オンライン/年中で一番美しい富士山を撮影する方法』★『外国人観光客への新幹線スピード富士山観賞法を教えます』ー三島から富士市内通過8分間

外国人観光客への新幹線スピード富士山観賞法ー三島から富士市内通過8分間 &nbs …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊲」★『明石元二郎のインテリジェンスが日露戦争をコントロールした』★『情報戦争としての日露戦争』

インテリジェンス(智慧・スパイ・謀略)が戦争をコントロールする ところで、ロシア …

no image
百歳学入門(54) 玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の長寿法『1日玄米、菜食、1食。食はねば、人間長生きする』

百歳学入門(54)    玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の健康長寿10 …

『安倍・トランプ蜜月外交を振り返る②』★『グラント将軍((米大統領)の忠告ー『琉球帰属問題で日清両国の間に事をかまえるのは得策でない』★『なぜなら介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」

2019/06/26 記事転載   前回に続いて、グラント将軍の明治天 …

no image
<百歳学入門(86)>宮武外骨の『人生70、古来稀ならず』 ―日本史の<百歳健康長寿者調査表>

 <百歳学入門(86)>   宮武外骨の『人生70、古来稀な …

『オンライン/鎌倉カヤックーカワハギ釣りバカ日記』(2012/10/27)★『10年前の鎌倉海は<豊穣の海>だった』★『「コツ」「カキン、グイッ」と一閃居合い釣り』★『鎌倉カヤックフィッシングー稲村ガ崎へパドル1万回、筋肉マン誕生だよ』

鎌倉カヤックーカワハギは「コツ」「カキン、グイッ」と一閃居合い釣り •2012/ …

世界最長寿120歳の泉重千代さんの養生訓』★『①万事くよくよしない②腹八分か七分がいい③酒は適量ゆっくりと④目がさめたとき深呼吸⑤やること決めて、規則正しく⑥自分の足で散歩に出よう⑦自然が一番、さからわない⑧誰とでも話す、笑いあう⑨歳は忘れて、考えない⑩健康はお天とう様のおかげ』

2009/06/19    2025/04/25記事再編集 …

no image
★『オンライン百歳学入門動画講座』★『鎌倉カヤック釣りバカ人生30年/回想動画記』/『母なる鎌倉海には毎回、大自然のドラマがあり、サプライズがあるよ!

私も今年はどうやら古希(70歳)らしい、ホント!、ウソでしょうと言いたくなるよ。 …

『大創業者の100歳長寿経営学』/グリコの創業者 江崎利一(97歳)『 「私の座右銘は、事業奉仕即幸福!。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る」』

    2012/03/12  /百歳学 …