前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人たちの百歳学(126)『野上弥生子』(99歳)「私から見るとまだ子供みたいな人が、その能力が発揮できる年なのに老いを楽しむ方に回っていてね」

      2018/11/01

 

 知的巨人たちの百歳学(126)

『野上弥生子』(99歳)の95歳の時の証言ー

『私は、自分で本当に自信のあるものはほとんどないの

『もう私は95歳でしょう、私なんかから考えると、まだ子供みたいな人が、いろいろ老いを楽しんでいてね、まだまだその人の能力が発揮されるに違いないと思うのに」

 

野上弥生子の『山荘閑談』(『図書』1985年6月号)」より転載させていた。

この談話は『野上彌生子』発刊直後の一九八〇年七月八日、北壌井沢の野上山荘で収録したものである。聞き手は毎日新聞社学芸部松本享子氏と小社全集編集部宇田健である。

 -この6月から先生の全集が出はじめましたけれどども、明治四〇年から今日まで長い間の先生のお仕事がはじめて集大成されるわけですね。

 

私は、自分で本当に自信のあるものはほとんどないのと、長い間に書いた、初めのものは何としても幼稚でね。全集といったものを世に送る勇気なんでないんで、もし私が、校正から何から自分で目を通さなければならなかったとすれば、片っ端から直したくなったでしょうね。本にしたくなくなって、「もうやめましょう」ということに、きっとなったと思うんですよ。

ところが幸か不幸か、私がこの通りに、どうやらボケはしないっもりでいるんですけれども、目だけは、皆さんにお目にかかったって、ほかの方と見間違えたりして、そんなものですから、校正から何か目を通すことは初めっから諦めたんですの。

書くときは私は一生懸命で、自分のできだけの精魂を尽くして、その点は自分で出鱈目はしなかったと考えているんですけれどやいくらその人が一生懸命書いたところで、書いたものというのは、その人の才能によるわけですから、思うようにいくときもあれば、どうも思うようにいかないときもあるし。

しかし、とにかく何でも約束して、そのために書きなぐったということはしなかったつもりなんですよ。

もう私は95歳でしょう、この頃,テレビなんか見ても、絶えずお年寄りのことが問題にされますよね。結構なことだと思うんだけれども、私なんかから考えると、まだ子供みたいな人が、いろいろ老いを楽しんでいてね。

まだまだその人の能力が発揮されるに違いないと思うような人が、だんだん楽しむほうになっちやって……。

よく笑い話にするんですけれども、95歳の現役作家なんていう人がヨーロッパにもあるのかしら、と。ないとすれば、それだけがとりえだろうと。嫌な仕事はしないという我ままがゆるされたのは私の幸せだったんですから、それを何とか生かさなければと思って。

 ——-母親として子育ての仕事をなさりながら、一方で作家活動をつづけられたというのは大変ご苦労だったと思うのですが・・・

でもね、ほっつき歩いているようなことをしなければ、十分にできますからね。

私はドイツ語なんかは子供と一緒に始めたんですよ。法政に関口(存男)さんというドイツ語の達人がいて、その人の教科書を用いて、そして法政のドイツ語の先生が家庭教師に来てくれて、子供が大学に行くとドイツ語は、をうやって始めたわけ。

それで「母さんも」と、一緒に始めるのね。関口さんは文法をとってもやかましく言うものですから、

四、五年年前、フランス語をやろうと思って、テレビのフランス後の先生で、半分役者かなんかの、アンリ・バタイユという人ですか、あの人がとても上手で、やりとりがとてもお芝居がかっていて面白くて、あれで私はフランス語をずっと。

そうすると今度はまた欲が出て、中国語をテレビや勉強して、それが体に、目だか何かにさわって、それでもう……。

―何にでも興味はあるんですよ。それでもこの頃は新聞でも活字の羅列でね。いままでは午前書けば、午後は読書と決まっていたのに、いまの私はそれができないでしょ。だから、まとまったものをほんとにじっくり読むということがなくなって…利子生活よ、その意味では。

 

いまは何時頃にお目覚めなんですか。

もとはとても早くて六時頃には起きてたんですよ。子供たちを学校へやるから一一緒に食事をして、すっかり全部していましたけれどもね。いまはもう自分一人でわがままできますから、寒いときは八時までも寝ていますよ。

 

————毎日原稿2枚をお書きになるそうですね。

2枚いけば上等。そしてあけの日は、また消しちゃってね。消すんじゃなくて、張り紙をするの。私は万年筆だけれどもインクを使うので、インクの壷と糊の瓶をおいてあるのよ。

ときどきペンを糊の瓶につけることあるので、そばにはそれを拭くきれをちゃんと置いておかない〟二、三字でも消すのは嫌で、小さい.ハサミがあって、その通りに、きちんと張り紙するの。茂吉郎が糊を買ってくれる役目なんだけれども、私があんまり使うので、「母さんは糊なめるんじゃないですか」と、ときどきそんな冷やかし言うくらい。

 

 ー-『迷路』は二〇年間にわたって書きつがれたのですが、構成が建築のようにきちんとしていますね。基盤がしっかり作もれている、その土台の秘密は何なのだろうと考えるのですが……。

それはね、書いている間に必然性というものができるでしょう。その必然性の追求というものをどこまでもやっていけば、下に土台を据えれば、どうしたって壁が必要だしその壁をつくろうとすれば丈夫な壁にしたいし、またその壁にどんな彫刻を施そうかというふうに、そうしなければならないようにしていけば、自然にできあがるんじゃやないですか。

土台なまず据えつけるということは、必要ですけれども。だからいまもう一度それを書けと言われても私にはできない。

私は実際、本当に自信ないのよ。いっぺん満足して、威張ってみたいけれども。どうやらものになっているというのは『秀吉と利休』あたりしかないんじゃないでしょうか。

私は、女性の作家なんていうポーズができなかったのよね。だって部屋だってありやしないから。子供たちが学校へ行くと、その後の部屋を占領しかり、主が留守になれげその審斎を使ったり……。だからその当時よく、立派な書斎できちんと座って書いていらしたりする女の方なんか見ると、うらやましかった。

あの頃ちゃんとした書斎を縛っているのは紅葉とか鏡花、鴎外ぐらいなものでしょう。漱石先生の書斎だって子供たちがわあわあ騒いでいたりして…〕

だって先生の書斎は客間よ。先生の書斎は客間で、先生が書きものをなさるところへ、お弟子さんだってお客さんだって通すのよ。

百歳学入門(22) 作家・野上弥生子(99歳)の最期まで書き続ける努力

『今日は明日よりより善く生きる』

www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/3366.html

 - 人物研究, 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための日本近現代史の復習問題』★『徳川時代の身分制度(士農工商)をぶち破り、近代日本の扉を開いた民主主義革命家・吉田松陰の教育論から学ぶ①』

松下村塾で行われた教育実践は「暗記ではなく議論と行動」★『160年前に西欧によっ …

no image
★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★『ガラパゴス国家・日本敗戦史③』150回連載の31回~40回まで』●『『アジア・太平洋戦争全面敗北に至る終戦時の決定力、決断力ゼロは「最高戦争指導会議」「大本営」の機能不全、無責任体制にあるー現在も「この統治システム不全は引き続いている』★『『日本近代最大の知識人・徳富蘇峰(「百敗院泡沫頑蘇居士」)が語る『なぜ日本は敗れたのか・その原因』

★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★ 『ガラパゴス国家・日本敗戦史③ 』1 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(95)記事再録/『戦うジャーナリスト列伝・菊竹六鼓(淳)』★『日本ジャーナリズムの光、リベラリストであり、ヒューマニストであった稀有の記者』★『明治末期から一貫した公娼廃止論、試験全廃論など、今から見ても非常に進歩的、先駆的な言論の数々』

    2018/06/27 の記事再録 書評『記 …

日本リーダーパワー史(924)-人気記事再録『戦時下の良心のジャーナリスト・桐生悠々の戦い①』★『関東防空大演習を嗤う」を書いて信濃毎日新聞を追われる』★『以後ミニコミ雑誌『他山の石』で言論抵抗を続けた』

年1月26日記事再録  日本リーダーパワー史(33)戦時下の良心のジャ …

no image
日本リーダーパワー史(819 )『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉞『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力⑥』★『明治32年1月、山本権兵衛海相は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た。』★『この「大本営条例改正」めぐって陸海軍対立はエスカレートが続いたが、児玉参謀次長は解決した』

 日本リーダーパワー史(819 )『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」 …

日本リーダーパワー史(626) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳『ドイツ・参謀総長モルトケはメッケル少佐を派遣、日本陸軍大学校教官となり参謀教育を実践。メッケルの熱血指導が「日清・日露戦争』勝利の主因

   日本リーダーパワー史(626)  日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳ …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(105)』 「パリ・ぶらぶら散歩/オルセー美術館編(5/2日)④

ホーム >  湘南海山ぶらぶら日記 > …

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(227)/『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳(下)』-『その後半生は軍事評論家、ジャーナリストとして「日米戦わば、日本は必ず敗れる」と日米非戦論を主張、軍縮を、軍部大臣開放論を唱えるた』★『太平洋戦争中は執筆禁止、疎開、1945年10月に71歳で死亡』★『世にこびず人におもねらず、我は、わが正しと思ふ道を歩まん』

 2018/08/20 /日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリ …

『Z世代のための日中外交史講座③』★『日中外交を最初に切り開いた副島種臣外務卿(外相)のインテリジェンス③』★『日本で公法(国際法)を初めて読んだのは私』★『世界は『争奪の世界』で、兵力なければ独立は維持できぬ』★『政治家の任務は国益を追求。空論(平和)とは全く別なり』★『水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基立つ  』

  2016/11/16日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)記事再 …

『Z世代のため百歳学入門』★『平櫛田中(107歳)、鈴木大拙(96歳)の教え」★「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさい」(鈴木大拙)』

2024/06/02  記事再編集 <写真は25年5月7日午前7時に、 …