前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

片野勧の衝撃レポート(36)太平洋戦争とフクシマ⑨原発難民<下>「花だいこんの花咲けど」

      2015/01/01

  

  片野勧の衝撃レポート(36

 

太平洋戦争とフクシマ⑨

≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー

★「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」

 

原発難民<下>「花だいこんの花咲けど  ・・」⑨

 

戦争は2度と繰り返してはならぬ――。そんな思いから「福島県婦人教職員あけぼの会」(以下、あけぼの会)が編纂した出版物『花だいこんの花咲けど』(全3巻)。花だいこんの花は全国退職婦人教師のシンボルフラワーである。

 

この花の10粒の種を北京の紫禁城のほとりから持ち帰ったのは茨城県石岡市の山口誠太郎博士。1939年春。一兵士だった山口博士の目に映るのは、活気にあふれていた南京は戦火で廃墟と化し、崩れ落ちた城門と焼け跡、散らばる白骨ばかりだった。

彼は日本に帰る時、南京の紫金山の麓に咲いていた花の種を採取した。それは戦争の廃墟でたくましく咲く紫色の野生の花の種だった。

 

「もう二度と戦争は嫌です。日本に帰ったら、きれいな花を咲かしてください」

そんな中国人の願いがこもっていた花。1940年春、持ち帰った種を山口博士は自分の庭に蒔いたところ、紫色の小さな花が咲いた。

 

「これは中国大陸から持ち帰った花です。私はこれを紫金草と名付けました。この花の種をあなたの家の庭に撒いてください」。こう言って、花の種を親せきや友人に配り続けた。

以来、40年あまり、花だいこんの花は全国の町や村に可憐な花を開き、日中を取り結ぶ“平和の花”として育てられるようになった。

 

薄紫の小さな花。ひそやかに十字形の花弁を寄せ合って、つつましく咲く花で、なぜか小さな命のいとおしさを感じさせることから、「あけぼの会」のメンバーは「いのちの花」と呼んでいる。

私は、この話を聞いて、日本の首相官邸の庭にも、この花を咲かせてほしいと思った。「平和の花」なら、どこかに参拝するより、幅広い支持を得られるはずだから。

 

慣れない聞き取り取材

 

 “あの子たちはどうなってしまったのか……”

あけぼの会のメンバーは思い出すのも辛いと言いながら、ペンを執った。慣れない聞き取り取材だった。大陸に眠る兵士たちの墓地も訪ねた。「あけぼの訪中団」の彼女たちはその墓前で歌った。平成2年(1990)9月のこと。

夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる……

 

皆で声を合わせて歌いながら泣いた。夕焼けの空の下で肩を組んで歌う少年たちの姿が目に映ったのだろう。それは満蒙開拓の少年たちのいじらしい望郷の姿だったに違いない。

「教え子を再び戦場に送るな!」――。

 

『花だいこんの花咲けど』の編集に携わった人たちの多くは亡くなった。しかし、今も健在な人がいた。その中のひとり、福島県相馬市在住で元教員の梅田淑子さん。昭和7年(1932)生まれの82歳。

 

「当時、大田(現・南相馬市原町区)に住んでいて、空襲に遭いました。13歳の時でした。母と一緒に家の中にいましたが、怖かったです。被害は免れましたが……」

梅田さんは「あけぼの訪中団」の一員として中国大陸へ。印象記をこう綴っている。

 

「ぬけるような青空。満々と水を湛えて流れる松花江。ここで四十数年前、戦争の悲劇があったとは。さざ波が何かを語りかけているようだ。同行した二人の父と兄、そして罪もなく尊い命をなくした人びとに不戦を誓い、しばし冥福を祈る。涙がとまらず、ただ黙祷する」(『続々 花だいこんの花咲けど』)

 

――今回の津波被害はどうでしたか。梅田さんは答える。

 

「住まいは高台でしたので、直接的には津波の被害はありませんでした。しかし、近くまで津波が押し寄せてきて、心が凍るようでした。翌日からは被害の場所へは入れませんでした」

――政府や東電の対応についてはどう思われますか。

「憤りを感じます。汚染水は漏れているし、復興は何も進んでいませんから」

 

人間のつながりがバラバラに

 

南相馬市鹿島区鳥崎は津波で呑みこまれ、ここに住む教え子たちは亡くなった。また今年(2014年)3月、母校の真野小学校が閉校になった。津波で被害を受け、災害危険区域に指定。さらに原発事故によって住民はもとより、子供たちも避難を余儀なくされて140年の歴史に幕を閉じ、鹿島小学校と統合。梅田さんの証言。

 

「本当に泣けてきます。鳥崎には友達や親せきの家がありましたが、今はだれもいません。原発事故によって教師仲間もバラバラになりました。当時、着の身着のまま、どこへ行ったのか分からず悔しい思いをしました。戦争中も同じでした。人間のつながりがバラバラにされたのですから。しかし、その後、『あけぼの会』の教師仲間の消息

が全員、わかりました。なかには10回も避難先を転々とした人もいたそうです」

 

梅田さんの口調には、ふるさとと教師仲間への尽きせぬ思いがにじんでいた。

 

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

                               (つづく)

 

 

 

 - 現代史研究 , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(207)> 『7年ぶりに、懐かしのアメリカを再訪,ニューヨーク めぐり』★『2階建バスツアーでマンハッタンを一周』ブルックリンブリッジを通過、 イーストリバーを右手に、国連ビルを見上げ、 トランプタワーを見て、セントラルパークに向かう』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/07/am8)   201 …

no image
日本リーダーパワー史(357)●『東西冷戦の産物の現行憲法』『わずか1週間でGHQが作った憲法草案 ④』

日本リーダーパワー史(357)                &nbs …

no image
 ★『アジア近現代史復習問題』福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(7)「北朝鮮による金正男暗殺事件をみると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」●東学党の乱に対して『速(すみやか)に出兵すべし』★『計画の密ならんよりも、着手の迅速を願う』★『念に念を入れて緩急の時に狼狽せざるよう、 意を用いるは当然のことだが、あまり念入りに過ぎては,かえって時機を失い、 折角の用意も実用をなさずして徒労に帰して、失敗を招く』(教訓)『兵は拙速を貴ぶ』

★『アジア近現代史復習問題』・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(7) 「北朝 …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(154)』 『イスラエルに魅せられて再訪(2016/1)」レポート(4) 『ベエル・シェバ(Beer Sheva)から死海(Dead Sea) を目指す』死海に到着し、ソドム山を見上げながら、創世記に伝わる「ロトの妻の塩柱」の異様に驚く。

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(154)』  『イスラエルに魅 …

no image
速報(305)『日本のメルトダウン』☆★<チェルノブイリの『内部被曝の衝撃』とはー『福島の子供たちはどうなるのか!』>

速報(305)『日本のメルトダウン』   <チェルノブイリの『内部被曝 …

no image
速報(350)『日本のメルトダウン』尖閣問題の一段のエスカレートは避ける』『過去を忘れるものは両目を失う』(ソルジェニツィン)

              速報(350)『日本のメルトダウン』 &n …

no image
速報(213)『「脱原発世界会議」in 横浜1日目』『さよなら原発、バイバイ!原発のない世界の創り方』

速報(213)『日本のメルトダウン』   『「脱原発世界会議」in 横 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(188)記事再録/近代のルネッサンス的巨人・日中友好の創始者・岸田吟香は『230年ぶりに上海に住んだ最初の日本人』★『ヘボンと協力して日本最初の和英辞典を出版、毎日新聞主筆、目薬屋、汽船、石油採掘、盲人福祉など10以上のベンチャービジネスを興した巨人』

 2013/01/29  日本天才奇人伝④記事再 …

no image
知的巨人の百歳学(163)/ー人気記事再録/『笑う門には福来る、ジョークを飛ばせば長生きするよ』★『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』 ③ 吉田首相は五次にわたる内閣で、実数79人、延べ114人の大臣を『粗製乱造』した。その『吉田ワンマン学校」で、「果たしてステーツマン(真の政治家、国士)を何人つくったのか?」

2016/02/10/日本リーダーパワー史(663) 『昭和の大宰相・吉田茂のジ …

no image
日本敗戦史(50)マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『なぜ日本は敗れたのか』②リーダー不足と力量不足

  日本敗戦史(50) マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『な …