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『中国紙『申報』からみた 『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプションギャップの研究』㉚「中日和合し難し」

      2015/01/01

  

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史

日中韓のパーセプションギャップの研究

 

 

以下の新聞記事を読むと、中国人の思考形式、中華思想と

西欧列強(日本も含む)のパーセプション(認識)ギャップ
(思い違い)がどんなに深いかがよくわかる。

 

地球の五大州を眺めると,ただアジア州だけが最も広大であり,アジア諸国の

うちただ中国だけが土地が広大で物資も豊富だ。その他の朝鮮,琉球,タイ,

ヴェトナムなどの小国は,皆弾丸やほくろのようなものであり.貧弱でほと

んど自立不可能だ。中国と依存し合い外国の侮りを防ぎ,国威を伸張する

ことができるのは,日本をおいてはかにあろうか。

 

 

 

1887(明治20)年88日 光緒13年丁寅619「申報」

 

 

「中日和合し難し」

 

 

 

527日,日本の大阪地方で失火があり,中国人の子供が連れ立って見にいき,京町でたまたま夜店に出くわしたところ,たちまち町のやくざにぶつかり,因縁をつけられた。やくざの1人は,手にしていた西洋式の仕込杖を抜き放ち.子供の腹を刺そうとした。

 

子供は恐れて逃げ.ごろつきはしつこく追いかけた。中国人がそれを見つけて刀を奪ったところ.やくざはかえって手下を唆し,警察署に訴えさせた。次いで日本の巡査がその中国人の店にやってきて,盛んにどなり散らしたので,呉廷棟という者が抗弁したところ,逆にやくざに殴られて負傷した。翌日巡査は調べによって事件の内情を知り,再び呉の家にやってきて「やくざたちのうち3人はすでに逮捕しました。

 

即刻処断する予定です。昨日は失礼を犯したが,今はこちらの間違いがわかったので,壊したものを賠償したい」と言った。しかしながらこれは言糞だけでなんの役にも立たず.今になっても実行されたことを聞かないのはどういうわけだろう。

 

また日本人は中国人を軽侮して,中国人と見ればすぐ「南京」と呼ぶ。「南京」

とは,訳せばカボチャのことだ。23か月前中国人が,日本人によっていたずらに弁髪を切られた事件があり,2回にわたって警察署に通知したが.いまだに1人も処罰していない。

 

このことは,本紙がすでに詳しく報じたところだが,その原因を明らかにして再び論ずることとする。ああ中国が日本と互いに依存し助け合おうとすることは,思うに食い違ってばかりいて難しいものだ。

 

地球の五大州を眺めると,ただアジア州だけが最も広大であり,アジア諸国のうちただ中国だけが土地が広大で物資も豊富だ。その他の朝鮮,琉球,タイ,ヴェトナムなどの小国は,皆弾丸やほくろのようなものであり.貧弱でほとんど自立不可能だ。中国と依存し合い外国の侮りを防ぎ,国威を伸張することができるのは,日本をおいてはかにあろうか。

 

中国は以前は西洋諸国と交通せず鎖国自守し,王者の統一の尊厳を尊ぶに十分だった。そして属国が先例により朝貢し代々国を保っほかは,ただ日本の使節と往来し,常に誼を通じていた。このことを歴史上に詳しく見てみると.始皇帝が方士の徐福を遣わし,幼い男女を従え海上で霊丹を求めさせたのが,その交通の始りだ。

 

漢の中元2年【57年】,すなわち垂仁天皇の86年になって,日本人は漢に使者を通わした。日本の平和の使者は・このときから中国にやってくるようになった。それ以来ずっと往来が続いた。日本の風俗は仏教を尊ぶため,僧侶を使者とすることが多かった。思うに中国では千教百年の間に王室や制度がしばしば変ったが,その間ずっと和親が続いて1度も戦いを交えたことがなかった。

 

わが清朝は道光末年より外国と通商を始め.日本人もこれをうらやみ,しだいに中国を訪れる者が出てきた。その後同治10年目871年]729日.李倍相が日本使節伊藤と天津で和約を結び,通商貿易において初めて相互に往来できるようになった。

 

その2年後の明治6年に,日本政府は維新の政治改革を実行し,ついに以前の古い慣習を一新し.何においても西洋のやり方に基づくことに知恵を尽くし余力を残さず.衣服装飾は西洋風,武器は西洋式,戦法も西洋流とした。

 

外見ではその富国強兵政策は着々と効果があがっているように見え.その到

達度は格段の違いに見える。しかし識者が見れば.その軍政がまだ備わらず,その財政もまだ十分でなく,官吏の風紀はまだ修まらず,知識人の気風はまだ正されず,農地はまだ広がらず,民衆の心もまだ上と通っていないことがよくわかる。

 

いい加減にまにあわせ.うわべを取り繕い,西洋のやり方の外見だけ踏襲すること,むやみに他国の文明を取り入れ外面を飾っているだけで.その本質は通っておらず,その精神も生かされていないのだ。ああ西洋のやり方に倣っていても,その結果はこの程度なものなのか。日本人の心を顧みると,すでに驕ること甚だしく「わが国が西洋に倣い始めたのは,中国に10余年も遅れていた。

このとき中国はわずかに23割しか習得していなかった。わが国は西洋の長所を集めて,全く西洋と同じだ。どちらが凌駕し得ない堂々たる大国といえようか」。

 

そこで初めて台湾の戦役を起こして試したところ,果たして中国はその愚かな行為に対して戦費を賠償してやった。これより琉球,朝鮮,長崎と常に事件を起こし.中国を困らせてきた。中国はその譲るべきものは譲り,絶対譲れないものは争ったが.それは大国の体面を保とうとしただけだ。

 

日本人は誤って中国には全く力量がないと思い込み.常に事を起こしては欺こうとしたのだ。

子供が火事見物することなどは,やくざが刀を抜いて脅すほどのことはないはずだ。やくざは責めるに足りないが.巡査は公職にかかわるのだから,規則を知っているべきだ。

 

それなのに呉のひと言で突然その家でわめきたてるとは,いったい何事だろう

か。巡査は失礼を犯し器物を壊したので弁償を願い出た。このわずかな数言はすこぶる道理に近いが,ただ空言に託しているに過ぎない。このやり方は,粉餌で釣って子供をたぶらかすのと同じだ。ああ話合いのときに,表面上は丁重にしておいて.だますようなことをしてよいだろうか。

 

中国人の弁髪を切った事件に至っては.明らかにやくざの仕業に違いない。そもそも中国人が弁髪を重んじていることを,日本人が知らないわけはない。それなのに2度訴え出ても1人も取り調べて処分しないとは,日本の警察が,やくざの肩をもっているのは明白だ。

 

本紙がこの事件を載せたとき「日本人の無礼」と題したが,まことに無礼だ。ただし私が思うには,日本人が各国と通商せず,封彊を固め夜郎自大然に尊大

ぶるなら結構だ。ところが現在は四方の国々が輻輳(ふくそう)してやってきて交渉する事柄は多い。

 

もし問題が起きれば.無関係な第三国に頼んで調停してもらいたくても,情勢が思うに任せず難しいだろう。ただ中国と協和し,頬骨と下顎の骨のように密接にかかわり合おうとすれば.強力な隣国もあえて様子をうかがわなくなり.そうなれば中国は日本に借りができることとなろう。

 

日本が中国の歓心を失えば,あたかも寄る辺のない孤児のようなものだ。それでもなお中国人を軽んじ.偉そうにちょっとした成功を自ら語ることができようか。岡鹿門【千例】君の言うには「近ごろ西洋人は蒸気船を造り風に乗じ波をけ立てて万里の隣国に輻輳して往来し.全地球をあげて一大市場とした。平常は使者が往来し,有無を相通じている。

 

もし恐れるに足らぬ相手と見れば.いったん不正なやり方をしておいて,利害の対立が起これば,たちまち立ち上がって怒り争い,千里を血の海とし.人民に塗炭の苦しみを与えることとなり.ついに弱肉強食の原理から免れることはできなくなる。思うに国の滅亡とは,必ずしもその君主を代えることをいうわけではなく,その土地を失うことを言うのだ。

 

国としての体裁が立たず異国に制せられれば.滅亡である。国力が不足してその供給を異国に仰げば.滅亡である。今の西洋のやり方を学ぶものは,たとえれば先祖代々の農家が,その鍬を捨て商人になって行商し.素朴な生活からぜいたくになってしめたと思い.いたずらに(商売の利ざゃを稼ぐことを業とする)市場の仲買人の謗(そしり)を受けるようなものだ。

 

知恵者は未然のうちに災いを防ぐものだ。このことは早めに予防を行わなければならない」また言うには「日本と中国の関係は,昔は関所を閉ざして外界との往来を断ってもよかったが,今は万国が争って輻輳し,ことごとく集まっている。アジアの大局においてその相互依存の方策を論ずれば.東南洋諸島の国は.西洋に蚕食されほとんど残っていない。中国のほかただ日本だけが,その間にポッンと残っている。

 

ところがただ西洋のやり方のまねがうまいだけで,騙り高ぶり天狗になって中国を侮辱しているが,これをたとえれば家同士が相争うようなものだ。これでは外国の侮りを啓かぬはずがない」。

 

以上の意見を詳細に検討するに,深謀遠慮なこと.尋常の浅はかな者にその12も言えるものではない。ところが日本は官民共に軽挑浮薄で.眼中にはまるで中国人はいないかのように傲慢だ。民間の儒者が興亜の機会を結んでいるのを座祝し.政府の大ぜいの役人は,助けて成就させてやることもできず,1001000年と今のまま事件が起こらないこと幸いとするのみだ。いったん外国の侮りを相次いで受けることとなったら.身内で助けてぐれる者はだれもいなく

なるだろう。

そのときになって西洋のやり方に通じていても,果たしてそれで変化に対処することができるだろうか。ああ。

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