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<鎌倉聖地巡礼>=鎌倉歴史超絶景スポット☆★『まんだら堂と150のやぐら群=700年前の鎌倉時代にタイムスリップ』

   


<鎌倉聖地巡礼>=700年前の一大やぐら群(墓地)
 
鎌倉歴史超絶景スポット★☆『まんだら堂と
150の
やぐら群鎌倉時代の面影を留める』
 
 前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
 三浦勝男『鎌倉の史跡』(かまくら春秋社、昭和58年刊)によると、
 
「国史跡・名越切通」は『玉舟和尚鎌倉記』が「名越坂三浦口」と書いているように、この切通は鎌倉から三浦へ通じる重要な道で、名越トンネル上に昔の古道の姿をとどめている。名越は古くは「なごし」とよばれたが、その由来は”難越〟にあったといわれるほど、文字どおり険路であったことが、現況からもよくわかる。
「鎌倉志」も「名越切通は三浦へ行道也、此峠、鎌倉と三浦との境也、甚瞼峻にして道狭、左右より覆たる岸二所あり、里俗大空洞・小空洞と云ふ、峠より東を久野谷村と云、三浦の内也、西は名越、鎌倉の内なり、」とつたえている。峠は、いま鎌倉市と逗子市との界になっている。

当時、北条氏が最も恐れた勢力は、源頼朝いらいの旧臣で三浦半島の雄、三浦一族の存在であった。名越峠の整備と防禦施設の強化・完備は、鎌倉防衛を名目として大勢の武士たちが動員され、多くの期日を要して着々と進められたことであろう。かくして名越峠は鎌倉の他の切通と比較して、最も厳重に防備されたのは、ひとえに北条氏が三浦一族を牽制し生きのびようとした証左にはかならない。
 
 宝治元年{1247}6月、北条氏は永年の宿敵三浦一族をついに滅亡することに成功した。これを宝治合戦とも三浦の乱ともいう。
三浦一族ら五百余人とともに頼朝の法華堂にこもって自害し、ここに三浦一族が滅亡したのであった。
 これによって名越峠とその周辺の性格は徐々に変化していったと思われる。厳重に防備された砦としての機能よりも鎌倉・三浦往還の要路としてのイメージを濃厚にしたにちがいない。あわせて「まんだらどう(曼荼羅堂)」なる地名の存在とそ意味するところを考えると、もう1つの機能-葬地と化した名越山が想定される。現状のおびただしいやぐら群や五輪塔群から推察しても、明らかに鎌倉時代を中心とした一大葬地であったことがわかる。

『まんだら堂とやぐら』
 
臨終にさいしては、二十五菩薩をひきつれた阿弥陀如来に迎えられるという、いわゆる中将姫伝説にもとづいて造られた有名な「当麻皇茶羅図」(鯛拝帥)を安置しているのが当麻-本堂で、これを俗に「まんだら堂」とよんでいる。浄土信仰の流行とともに、鎌倉時代のいつの頃か名越山上が葬地として営まれ、その供養のため、曼荼羅堂が構えられたその残影こそ、ここ名越山と思われるのである。
 
 
「もっと行きたい鎌倉歴史散歩」(奥富敬之著、薪人物文庫、2010年)によると、
 
鎌倉からはるかに離れた豊後国府中(大分市)で、仁治三年(一二四二)正月十五日、布令が出された。
  一、府中の墓所のこと
  右、一切、あるべからず。もし違乱あらば、かつは改葬すべL
 との由を喪主に仰せられ、かつは墓所にせる地を没収すべし。

 府中の市街地に墓が乱立するようになったのを、豊後国守護の大友頼泰が禁じた。大友氏はもともと相模武士で、相模国大友郷(小田原市大友)の領主であった。
 当然、鎌倉の事情はよく知っている。この法令も、鎌倉で出されたものを、真似たものとみられる。。 と言うのも、同じ頃、鎌倉でも市街地に墓所を設けることが禁止されたと思われるのである。頼朝以来の貴人の墓所としての法華堂も、この頃から建てられなくなる。代わって創始され始めた墓所が、ヤグラであった。
ヤグラは、鎌倉の境界になる三方の山の尾根の内側に、横穴形式の墓所として数多く造成された。また、たんなる横穴ではなく、岩壁をくり抜いて、法華堂を横穴の中に造作した形をとる。従って木造の屋内にもあるたるきやがんなどが、ヤグラ内部に存在しているのである。
  鎌倉は、市街地に墓所を設ける余地がなくなるまでに、人口が増加していたのである。武都鎌倉は、この時期、ついに完成したと言える。

現地案内パンフレット「逗子市教育委員会平成23年度臨時公開資料」によると、
 
「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は文禄3年(1594年)の検地帳である。そこには畠の地名として記されているのみでい番あみで、「まんだら堂」がとんな建物だったのが、いつまで残っていたのがなど、詳しいことまでは全くわかっておりません。
まんだら堂やぐら群は、一つひとつは2m四方程度と小規模で構造も単純なものが多いが、150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、これだけまとまったやぐらを良い状態でみる事のできる遺跡は鎌倉市内にも少なく、たいへん貴重である。
やぐらの中に並ぶ五輪塔は、後の時代に動がされているものが多いので、中世の姿そのままとは言えませんが、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたものです。葬られたのは、武士や僧侶が多がったと考えられていますが、経済力を蓄えた商工業開係者なごも含まれていたかも知れません。
(同臨時公開資料)
 
 

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