前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史⑱ 1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺

   

日本リーダーパワー史⑱
 
1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺
 
                           
                         前坂 俊之
                        (ジャーナリスト)
 
『現代の聖者』ここにあり
                     
人口約11億人、世界第2の大国インドの経済躍進が世界から注目されているが、国内的にはヒンズー教のカースト制度により、数億人の不可触民が動物以下の差別と貧困と屈辱にあえいでいる。

40年前にインドに渡った若き日本人僧侶が「不可触民を救え」と立ち上がり、今や信者は一億人を超える仏教界最高指導者に上りつめ、お釈迦様の仏教遺跡を取り戻す運動を指導していると聞けば、ビックリ仰天だが、

この「奇跡の男」こそ佐々井秀嶺(74)である。

「日本のODAを足しても佐々井師1人の業績にかなわない」とジャーナリスト・山本宗補が指摘するそのカリスマ指導者は40年ぶりの最初で最後の里帰りをして、故郷の岡山を中心に約3ヵ月全国説教行脚をした。

6月7日,東京最終講演会が東京・護国寺であった。境内は約5百人以上であふれんばかり。

朱色の法衣の佐々井師は浅黒い顔に眼光けいけい、阿修羅のような顔立ち。一度口開けば辺りを圧する大音声で、浪々とよどみなく約1時間半にわたって不可触民を奴隷以下に虐待差別するヒンズー教をきびしく批判、人を救うのが宗教者の務めとし、各宗教の連帯を力強く訴えた。

佐々井秀頼は昭和10年(1935)8月、岡山県新見市で左官の長男に生まれた。

早熟な少年で、色欲、女性関係で悩み出奔、放浪、自殺未遂を繰り返しながら25歳で出家、30歳でタイに留学後、インド仏教発祥の地ラージキルへ渡った。ここで日本へ帰国する最後の夜、お告げを受けた。

夢に中で白髪白髭の老人があらわれ「南天竜宮へ行け。なんじの法城はわが法城なり」と

南天竜とはインド中央部のナグプール(龍宮)のことであり、出かけてみると夢の老人は「アンベードカル博士」(1891年―1956年、インド憲法の父で、ガンジーと並び称される人物不可触民出身で仏教再興運動の創設者)と分かった。1968年、33歳の時である。

以後、博士が仏教再興運動を起こしたこの地に住んで不可触民と生活を共にしながら救済運動に立ち上がり断食行、団扇太鼓と「南無妙法蓮華経」を唱え布教と修行を積み、お寺も作った。仏教とアンベードカルの教えを実践し、そのうち博士の後継者として周囲も認める指導者となった。

ヒンズー教から改宗する信者が数千万人もの大勢力になるにつれ、内外の宗教組織からの強烈な反発が訪れた。

1987年7月、佐々井は不法滞在で逮捕されたが、「釈放し、国籍を与えよ」とナグプールでは大規模な市民抗議集会が起こり、1ヵ月で60万人もの署名が集まった。

仏教徒の強烈な抗議でラジブ・ガンジー首相は88年4月、正式に市民権を与え「アーリヤ・ナーガルジュナ」(聖樹の意味)のインド僧名を送り、名実ともにインド仏教界最高指導者に。

佐々井がインド国内で一躍有名人となったのは「大菩薩寺奪還闘争」からである。大菩薩寺とはお釈迦さまが悟りを開いた場所で、仏教遺跡の中でも最も尊い所だが、ヒンズ―教徒に占拠、管理されていた。

1992年から佐々井は『殺されてもよい』の覚悟のもとに陣頭指揮でトラックに分乗して中央、州政府、各都市を数千キロにわたってデモ行進し、各地で激しい奪回運動を展開した。

そのせいもあってか、大菩薩寺跡は2002年に世界文化遺産に登録された。2003年、佐々井は政府の「インド少数宗教委員会仏教代表」(副大臣級)に指名され、仏教布教と「シュリーマン」のように発掘に両車輪で取組んでいる。

『破天』(山際素男著、光文社新書)という佐々井の伝記がある。青春期の色欲、煩悩、自殺、野たれ死行からインド仏教界の頂点に立つ、その人生は破天荒で波乱万丈の菩薩道そのものである。

「私は求道者。寺などいらぬ。最後はとぼとぼ歩いて、道端で石にけつまずいて草の中で死ねれば本望です」という。

 
                      

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
「日中韓150年戦争史』★『日清戦争の原因となった東学党の乱の実態と朝鮮事情について〔明治26年6月4日 時事新報〕

東学党の乱の実態と朝鮮事情、〔明治26年6月4日 時事新報〕    . 朝鮮の東 …

◎『 2011/03/05 /東日本大震災1週間前の鎌倉湾のカヤック釣りバカ日記を大公開』★『あれから10年!地球温暖化で海は今や死滅寸前だよ!10年前の鎌倉海がなつかしいよ』★『Early spring in KAMAKURA SEA』と『老人の海』=『逗子マリーナ沖で良型カレイをゲットしたよ!』

 前坂 俊之     (カヌーイスト)   2011年3月5日午前6時 …

『オンライン・鎌倉カヤック釣りバカ日記動画』★『筋トレダイエット、地産池消、自給自足、百歳めざす健康長寿、一艇・五長の「シルバー」には超お勧め』★『『美しい鎌倉海』で海の恵みをいただいて『ハッピーライフ」「天然生活」ー釣った魚をおいしく食べる』

『鎌倉カヤック釣りバカ日記』筋トレダイエット、地産池消、自給自足、百歳めざす健康 …

no image
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(82)尾崎行雄の遺言「日本はなぜ敗れたかーその原因は封建思想の奴隷根性」

日本リーダーパワー史(82)尾崎行雄の遺言「日本はなぜ敗れたかーその原因は封建思 …

『オンライン百歳学入門講座』★『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢秀雄)』★『世界最長寿の122歳を全うしたフランス人女性/カルマンさんの健康長寿法とは』

  2010/01/21 百歳学入門(3)記事再録 前坂 俊之 &nb …

no image
日本リーダーパワー史(518)「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」➁ 日露戦争の決定的場面に杉山の影

    日本リーダーパワー史(518) &nbsp …

『第二次世界大戦・国際連合・戦後80年」を考える』★『澤田猛氏の「最後の証言者たちー戦場体験者・戦争体験者からのメッセージ」(高文研 25年8月刊)は戦争ドキュメンタリーの傑作!』★『澤田本は各国の歴史認識ギャップ、コミュニケーションギャップ」を埋めるインパクトのある平和教材、戦争教育歴史遺産になっている』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/25 /am700) 前坂 俊之(ジ …

『Z世代のための宰相論』★『中曽根康弘元首相は2018年5月で百歳を迎え、歴代宰相では最長寿となる』★『中曽根流の百歳健康長寿10ヵ条とは』★『未来は考えないね。今を充実させていく。未来は神様が与えてくれる』★『いつまで生きることが、人生だとは思っていない。「人生、みんな途中下車するけど、 俺は途中下車しない』★『(長寿の秘訣に対して)キミ、それは使命感だよ』

  2016/11/02   『百歳学入門』(16 …

知的巨人の百歳学(150)人気記事再録/百歳学入門(59)三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』益田 孝(90歳)『「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生き』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法』★『 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く』★『長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ』★『物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行け。』

    2012/12/06 &nbsp …

no image
『全告白・八海事件-これが真相だ(上)』

<サンデー毎日1977年9月4日掲載> 『全告白・八海事件-これが真相だ(上)』 …