『リモート京都観光動画』/『世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、平安以前の自然林に国宝、重文55棟の社殿が残る超パワースポット』★『世界文化遺産・下鴨神社の社叢「糺の森」原生林を流れる『泉川』のせせらぎ全中継30分』
2020/06/24
世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、平安以前の自然林に国宝、重文55棟の社殿が残る超パワースポット① http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
下鴨神社境内を覆う緑豊かな森が「糺の森」です。12万4000平方メートルもの敷地に約40種類、樹齢200年から600年の樹木が約600本、直径10cm以上の樹木は約4700本も群生する京都市内にあるまさに森!木々の中を清らかな川が流れ、歩くだけで運が向上するといわれるゆえんも納得です。
存分にパワーを感じてください! 糺の森の真ん中あたりには切芝があり古代の祭祀遺構を復元したところもあります。ベンチもところどころあるので疲れたら川のせせらぎを聞きながら休憩してみては。
同神社のパンフレットによると、 糺の森 鴨川と高野川の合流地にまつられている下鴨神社の社叢で、太古の原生林の植生を残す貴重な森林です。現在の総面積は12万4千平米(3万6千坪甲子園球場の約三倍)で、樹齢六百年の巨木が多数生い茂り、国の史跡に指定されています
。数々の社殿とともに世界人類の宝として世界文化遺産に登録されています。 細孔の森の語源 「礼の森」の語源には古来よりいくつかの説があります。 ①鴨川と高野川の合流点を「只洲(ただす)」と呼ばれることから。 ②清らかな泉が絶えず湧きでる「直澄(ただす)」に由来する。 ③御祭神の「多多須玉依姫命ただすたまよりひめの至と)」のお名前に基づく。 ④「神様の前で偽りを糺す」という説。『源氏物語』『枕草子』にその歌が記されている。 ■糺の森財団 糺の森の貴重な文化財と自然環境を保全するために結成された。昭和の日(四月二十九日)の市民植樹祭をはじめいろいろな活動が行われています。
世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、平安以前の自然林に国宝、重文55棟の社殿が残る超パワースポット①
世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、平安以前の自然林に国宝、重文55棟の社殿が残る超パワースポット②
世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、平安以前の自然林に国宝、重文55棟の社殿が残る超パワースポット③
世界文化遺産・下鴨神社(賀茂御祖神社)を参拝、鴨長明ゆかりの河合神社は美麗のパワースポット④
世界文化遺産・下鴨神社の社叢「糺の森」原生林を流れる『泉川』のせせらぎ全中継30分
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