前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑩』『杉山という男は人跡絶えた谷間の一本杉の男だ』(桂太郎評)―「玄洋社の資金源を作るため、その雄弁を発揮して炭坑を獲得した」

   

2014/02/21 日本リーダーパワー史(478)記事再録編集

<日本最強の参謀は誰か–「杉山茂丸」の研究④>

前坂俊之(ジャーナリスト)

<以下は「東亜先覚志士記伝(下巻)昭和11年の復刻版、原書房
昭和
41年」の人物列伝より>

次いで日露戦争後、朝鮮に統監政治が行われるに及び、内田良平

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%B
9%B3_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AE%B6)

が統監府幕僚として日韓合邦運動をおこすや、彼は内地に在って元老重臣を動かすに努め、在朝鮮の内田と呼応して着々と合邦の機運を促進し、明治43年に実現するに至らしめたのであって、内田を統監伊藤公に推薦した事情や合邦実現に至るまでの苦心惨憺したのである。
桂太郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%A4%AA%E9%83%8E

 は彼を評して『杉山という男は人跡絶えた谷間の一本杉といつたような男だ。天然のままに生えたのだから枝ぶりが悪くて節だらけで、とても庭園には使えない、また眺める木にもならない。ただ悪木の節だらけでも木の質が堅いから重荷だけは荷へる。

それだから、俺は彼に二階梁(ばり)や根太梁など削らないでもそのまま使えるような風の仕事をして貰っている」といったそうであるが、波瀾起伏幾十年の間にわたり、全く政界の黒幕として縦横の奇才を揮い、伊藤、山県両元老.さては桂太郎.児玉源太郎.寺内正毅、田中義一、明石元二郎、後藤新平、床次竹二郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%8A%E6%AC%A1%E7%AB%B9%E4%BA%8C%E9%83%8E

 らと深く相許し.国家重大の事ある毎に必ず,国策の動向に何等かの影響を与えねば措かなかった。

  下村海南
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%AE%8F
 は晩年の彼を評して

 「伊藤山県時代」から見ると、人形も次第に小型になり、新しくなる、使いなれた大型な人形はいつの間にか亡くなる。人形使いもー年ずつ年をとってゆく。越路太夫去って、のちの老いたる吉田文五郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%96%87%E4%BA%94%E9%83%8E

 を見るの感は独り文楽座ばかりでなかった。

 しかし政界の文五郎は次々と新しい人形を物色し、使いこなしていた。しかし人間の命には限りがある、とうとう政界の文五郎はこの世をおさらばした」といい、

「そうした人形の方からいわすと、杉山をつかったというかも知らぬ、これは知る人の見方にまかして、僕の知れる頃は政界の黒衣の人形使い文五郎が寺内正毅、後藤新平、田中義一、明石元二郎、そうした将星たちの黒幕として動いていた時分である』といっている。

玄洋社における杉山の立場を顧みると、結城虎五郎

http://spysee.jp/%E7%B5%90%E5%9F%8E%E8%99%8E%E4%BA%94%E9%83%8E/1164758

 と共に頭山の両腕と称され、最初、頭山に炭坑事業をするように献策したのも彼であった。 頭山は杉山の献策を聞いてジロリと鋭い眼光を彼に浴せ、「それでは俺に山師になれと云うのか」と不快の色を浮かべたが、 杉山は快弁を以て滔々と説付け、「玄洋社の維持は同志の国家的努力の先決問題である、天下蒼生を救うを以て己が任となし、その任を達成するについては、意気が何よりの資本であるとはいうものの、そのところには相当の金力を要する所以を論じ、ついに頭山をして『それもそうじや、やろう』といわしめるに至ったのである。

そして炭坑獲得のためにまい進し、井上馨が大阪の藤田組を助けて海軍予備炭鉱を手に入れようとした時は、彼が直接、井上に会見して蘇秦、張儀の雄弁を揮ひ、ついに玄洋紅の頭山の手に収めしめるに至ったのであって、かくして玄洋社活躍の資金調達に多大の功績を残したのである。

 爾来、彼は蔭にあって頑山の活動を助け、共に国事に尽くしたのであるが、昭和十年秋、頭山、杉山両巨頭が断金の交わりを続けること五十年に及んだのを機とし、内田良平、星一

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%B8%80

眞藤慎太郎(昭和46年1月11日 89歳で没 玄洋社員、明道館館員、 日魯漁業副社長).の首唱により両巨頭交友五十年を記念するため「金菊の祝い』を催し、朝野の名士が多数出席して盛大なる祝賀会を開き.記念品を贈って祝福の意を表したのであった。

 この年、北鉄譲渡問題が解決を告げるや平素懐抱する東亜問題に関する政策が一段落を告げたものとなし、それまでは畏れ多くて参拝できぬといって一度も参拝しなかった明治神宮へ初めて参拝し、明治天皇の英霊に報告祈願したが、同年七月十七日、麹町の自宅で脳溢血で倒れ、同十九日についに長逝した。

 享年七十二。生前『俺が死んだら死体を解剖して、我国の学問に幾分でも役立つやう切り刻んで十分研究してくれ』といい残していたので、遺体は東京帝国大医学部病瑠嗟病理学教室で小金井艮精博士等の立合の下に緒方知三郎博士の執刀により解剖に付された。

 二十二日芝増上寺本堂で葬儀が厳かにいとなまれ会葬者は朝野の名士2500余人に達し、非常な盛葬であった。法号は頭山により『其日庵隠忠大観居士」とつけられ、遭髪を郷里福岡市の菩提寺寺一行寺に葬った。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルトダウン脱出法(717)「世界同時株安は「投機の時代」の終了を示す」●「天津爆発が証明した中国の想像を絶する“ずさんさ”」

    日本メルトダウン脱出法(717) 世界同時株安は「投機の時代」の終了を示 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(132)「大阪朝日」は軍部、在郷軍人会、 右翼などからの攻撃と不買運動を受けて、新聞部数が減少、社論を180度転換し、満州事変支持、満州独立論に賛成した

終戦70年・日本敗戦史(132) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

no image
トラン大統領は全く知らない/『世界の人になぜ日中韓/北朝鮮は150年前から戦争、対立の歴史を繰り返しているかがよくわかる連載⑶』ー(まとめ記事再録)日中韓異文化理解の歴史学(3)日中韓異文化理解の歴史学(3) 『日中韓150年戦争史の原因を読み解く』 (連載70回中、37-50回まで)

  日中韓異文化理解の歴史学(3) 『日中韓150年戦争史の原因を読み解く』 ( …

日中北朝鮮150年戦争史(6) 日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』の証言②『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻躁進(軽佻浮薄)の1小島夷(1小国の野蛮人)』(日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ拡大)が戦争へとエスカレートした。

日中北朝鮮150年戦争史(6)  日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 …

no image
国際ジャーナリスト・前田康博氏の動画ニュース解説「昇竜中国と落日日本・APEC,安倍‣習会談の真相とは?」(30分)

                          …

no image
日本リーダーパワー史(466)「安倍首相はソチ五輪開会式出席という国際孤立外交(人権無視外交)をやってはならない」

   日本リーダーパワー史(466)   ★「安倍 …

no image
日本リーダーパワー史(468)「日中関係「第1次大戦前の英独」首相発言がダボスで波紋●「習主席の親族ら租税回避地で資産運用-英紙報道

 日本リーダーパワー史(468)   安倍積極外交の行方はど …

no image
日本リーダーパワー史(452)「明治の国父・伊藤博文が明治維新を語る④」下関戦争の真相はこうだ。

    日本リーダーパワー史(452) …

no image
<まとめ> 日中韓150年戦争史の研究ー日韓近代史でのトゲとなった金玉均(朝鮮独立党)事件と日清戦争のトリガーとなった金玉均暗殺事件

<まとめ> 日中韓150年戦争史の研究 日韓近代史でのトゲとなった金玉均(朝鮮独 …

no image
日本メルトダウン脱出法(787)「クラウドファンディングが信用されないワケ 詐欺防止を徹底できるのか」●「日本・韓国が先進国になれた理由と中国が陥るジレンマ」●「中国・習政権は深刻な大気汚染に焦っている 改善見られず手詰まり感」

  日本メルトダウン脱出法(788) まったく報じられない 「排気筒問題」と 2 …