前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉘『長崎便り』(長崎事件について)ロシア紙「モスコフスキエ・ヴェードモスチ」

      2015/01/01

  

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史

日中韓のパーセプションギャップの研究

 


前坂俊之(ジャーナリスト)

 

 

1887(明治20)年58日 露暦1887426

 

ロシア紙「モスコフスキエ・ヴェードモスチ」

            

 

『長崎便り』(長崎事件について)

 

 

中国と日本はともにヨーロッパの植民地政策と闘争する立場にあり.多くの共通の利害を持っているわけだが,その両国も主導権をめぐっていずれ衝突することだろう。

 

最近何年かの歴史を見てみると,台湾および琉球,朝鮮における覇権などをめぐって一触即発の問題が次々に起こり,さらに先ごろ長崎で事件が持ち上がり.6か月もの間決裂の危機が続いたが.これは李総督による仲介と中国の幼帝即位のおかげで,数日前にきわめて平和的な方法で無事解決した。

 

8月半ばから今に至るまで.ここ6か月の間.当地長崎の各紙は「長崎の衝突」「長崎会談」等の派手な見出しの下に,議論や記事を満載した。

 

長崎事件の発端となったのは中国大艦隊の最初の寄港であり.したがって問題は極東にあるロシアの港にとっても大きな意味を持つはずだ。丁提督率いる4隻から成る中国艦隊が沿海州にあるロシアの港を出港,8月初め長崎に到着した。同13日(新暦).上陸した中国人水兵が当地の警官および住民と流血事件を起こし,数人の逮捕者が出た。2日後の815日,中国各軍艦からさらに多数の乗組員が上陸した。

 

中国人乗組員は上陸して買った日本刀で身を固め,無防備の警官1人を襲撃,斬殺した上,さらに派出所に襲撃をかけた。こうして大規模な流血事件となり,双方から重傷者が出,警察側はその場で数人を逮捕した。

 

この件で長崎知事と駐在中国公使の間で話合いが持たれ.また当地の検察庁は捜査を行い.起訴状を出した。これに対し.中国の提督は起訴状を不服とし,日本当局側を告訴した。中国艦隊の離港と共に,事件は外交の領域に移された。

 

ヨーロッパ人2人.中国人1人.日本人1人から成る委員会が発足,委員会側の報告を外務大臣、井上馨伯爵および徐中国公使が検討したが,その結果,両者の話合いは中断し,両国間の外交関係断絶が危ぶまれるに至った。大変な頑固さと挑発的な調子を見せたのは中国側の丁提督とその部下であり,彼らはなんらかの形で賠償を要求した。

 

結局,問題は賢明で教養のある李鴻章の手にゆだねられた。彼はつまらないことの故に隣国と衝突が起こり.始まったばかりの中国幼帝の治世に影がさすことがないようにと願って,28日に官報に発表された決定に従うべきだという主張を通した。

 

いさかいを解決へと導くよりどころとなった論点は単純で合理的なものであり.この騒乱に関与した両国の関係者はそれぞれ本国において裁判を受け,自国の法律によって裁かれることになるだろう。

 

当地の新聞はすべてこの決定が最も公平であり,両国を満足させるものと認めている。またこの結果,李総督は日本の好意を獲得することになろうという確信が表明されている。

 

しかし,これにより東洋の2強国が結束を強めることになるだろうか?両国の利害の一致点があるとはいえ,私はそうなるとは思わない。

 

もっとも,長崎事件が実際にささやかとはいえ両国接近のきっかけになったとすれば.日本としては6か月続いた武力衝突の恐怖と引換えに,これで満足できるだろう。

 

長崎事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%
E5%B4%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 

日本リーダーパワー史(132)空前絶後の名将・川上操六(21
長崎事件の発端は何か
<日清戦争の遠因となった清国水兵による長崎事件>

 

http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=609

 

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉖ 長崎事件を語る」
(日本は国力、軍事力で中国には全くかなわない)

http://www.japanesemission.com/detail/2068

 

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉗「長崎事件に対しての英側の見解」(英「ノース・チャイナ・ヘラルド」)

http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2739

 

 - 戦争報道 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/ウクライナ戦争講座⑩』★『ウクライナ戦争勃発―第3次世界「見える化」SNS大戦へ(下)』★『チャップリンの「独裁者」とプーチン] 』★『ウクライナ戦争―ロシアは国家破産!』★『ロシアの戦費は1日200億ドル(2兆3千億円)』

『オンライン/ウクライナ戦争講座⑩』(下) チャップリンの「独裁者」とプーチン …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録『袁世凱の政治軍事顧問の坂西利八郎(在中国25年)が 「日中親善・衝突・戦争の歴史変転への原因」を語る10回連載』●『万事おおようで、おおざっぱな中国、ロシア人に対して、 日本人は重箱の隅を小さいようじでほじくるような 細かい国民性が嫌われて、対立が戦争に発展したのだ> 現在の日本企業が海外進出する場合の大教訓、警鐘である。

 日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録再録  ――袁世凱の政治 …

『Z世代のための日本政治・大正史講座』★『尾崎咢堂の語る明治・大正の首相のリーダーシップ・外交失敗史⑤>』★『加藤高明(外相、首相)―事務官上りが役に立たぬ例』★『志の高い政治理念集団としての政党』が日本にはない。派閥グループ集団のみ、これが国が崩壊していく原因』

    2012/03/17 &nbsp …

『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風の散歩好きと野垂れ死考①

  『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風の散歩人と野 …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツ⑧』記事再録/1894(明治27)年7月13日付『英国タイムズ』『(日清戦争2週間前)「朝鮮を占領したら、面倒を背負い込むだけ』★『日本が朝鮮を征服すれば,この国が厄介きわまりない獲物であることを思い知らされる一方,中国にはいつまでも敵意を抱かれることになる』

『中国紙『申報』などからみた『日中韓150年戦争史』㊽『英タイムズ』「(日清戦争 …

『歴史の復習問題・オンラインZ世代のための日本戦争史講座①』★『日本興亡史3回目の転換点・戦後の安保体制を見直し自立防衛政策(GDP2%)を構築へ』★『明治・大正の軍国主義(強兵富国)から『昭和の平和ボケ経済GDP主義』へ『令和の平和国際経済(GHP)安保主義へ大転換へ』

2015/07/20  終戦70年・日本敗戦史(114) <世田谷市民 …

no image
 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥1902(明治35)年2月19日『ノース.チヤイナ・ヘラルド」『日英同盟の内幕』●『西太后が信頼した外国は①米国②日本➂英国で『日本は血縁関係の帝国同士で、 中国に対する友情をもって決して外れたことはない』★『袁世凱とその同僚の総督たちは日本派で日英同盟を 結ぶようイギリスに働きかけた。』

 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」⑥   …

『オンライン講座/日本史最高のリーダーパワーを発揮した人物は誰か?」★『明治維新最大の行政改革<廃藩置県>をわずか一言で了承、断固 実行した 西郷隆盛の超リーダーシップ』★『 西郷の大決心を以て事に当たったからこそ、廃藩置県の一大事を断固として乗り切ることができた。西郷こそは真の民主主義者である』(福沢諭吉)

2016年11月3日 /日本リーダーパワー史(249) 前坂 俊之(ジャーナリス …

『オンライン講座/日本を先進国にした日露戦争に勝利した明治のトップリーダーの決断力➂』★『日本最強の参謀・戦略家は日露戦争勝利の立役者―児玉源太郎伝(8回連載)』』★『電子書籍ライブラリー>『児玉大将伝』森山守次/ 倉辻明義著 太平洋通信社1908(明治41)年刊』★『「インテリジェンスから見た日露戦争ー膨張・南進・侵略国家ロシア」』★『『黄禍論に対し国際正義で反論した明治トップリーダーの外交戦に学ぶ』

2019/07/27  日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(62) 『 …

『Z世代への日本政治家論』★日本リーダーパワー史(291)原敬のリーダーシップ「富と名誉は諸君の取るに任せる。困難と面倒は自分に一任せよ」③

日本リーダーパワー史(291)原敬のリーダーシップ「富と名誉は諸君の取るに任せる …