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日本リーダーパワー史(163)『戦わずして勝つ』ー塚原卜伝の奥義インテリジェンスこそ『無手勝流』

   

日本リーダーパワー史(163)
 
『戦わずして勝つ』剣道の秘義・塚原卜伝の無手勝流
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
 
 剣法『神陰流』の極意上泉秀綱
 
以下の話は黒沢明の映画『七人の侍』で、志村喬(しむら たかし)扮する勘兵衛が登場する時のエピソードに採用された話である。この傑作映画をみた人はうんそうかと思われるであろう。
 
戦国時代のある時、悪事をはたらいた浪人が、村の群衆に追われて逃げ場を失った。かれは苦しまぎれに近くの家の幼児を抱え、とある土蔵のなかへたてこもった。
「近寄ると、この子を刺し殺すぞ」と脅かすので、捕手の役人も群衆もどうすることもできず、ただ遠巻きにしてワイワイ騒いでいるばかりであった。そこへ、一人の武者修行が通りかかった。
 
「よしよし。わしが無事に捕えてやろう」
 
事情をきいた武者修行は、これもちょうどそこを通りかかった旅僧を呼びとめ、わけを話して袈裟、法衣を借り受け、頭を剃ってすっかり坊主の姿になった。
 
そして、こしらえてもらった握り飯をもって、土蔵の入口に近づいた。「坊主! 近よるとこの子を刺すぞ」
 
 土蔵のなかから怒鳴り声がきこえたが、こちらは落ちついたもの。
 
「いや。心配することはない。わしはごらんのとおりの旅僧で、べつに害意のある者ではござらん。しかしその子は人質にされてから、もうだいぶ時刻もたっていて、さぞかし腹もすいていることじゃろ。
それで握り飯をもってきたから、その子に食べさせ、ついでのことにお前さんも食べなされ」
 
入口の隙間から坊主姿の武者修行は、握り飯を投げ入れてやった。浪人も空腹であったし、坊主に害意もなさそうである。かれは手をのばして握り飯を拾いあげようとした、瞬間、飛ぶ鳥のように飛びかかった武者修行は、難なく浪人者をねじ伏せ、役人の手に渡した。子どもが無事、両親のもとにかえされたのはいうまでもない。
 
 やがて武者修行が、借りた袈裟と法衣を返そうとすると、旅僧はつくづくその顔をみていった。
 
「心がけといい、業といい、あっぱれななされ方。武芸ばかりか仏法の悟道にも入った達人とお見受け申した。定めし名あるお方であろうが、今日のお働きを記念するため、失礼ながらこの袈裟を進ぜる。これは、わしの師匠から譲られたものじゃが、どうかお納め下され」
 旅僧は、袈裟を武者修行に贈った。
 
一人の乱暴者を取り押えるために、武士たる者が大切な髭まで剃ってかかった用意のほどを、正しく理解したこの旅僧はこの武者修行が誰であったか知らないが、これこそ剣法中興の祖といわれた名人上泉伊勢守秀綱の若き姿であった。
 
 大胡城主上泉主水秀継の子として生まれた秀綱は、愛州惟孝(あいすいこう)の門に入り、愛州陰流の刀槍を学び、後にみずから工夫して神陰流をひらいた。その後、上野(群馬)箕輪城主長野氏に仕え、滅亡後は武田信玄にも仕えたが、ほどなく辞してひょうぜんと諸国修行の旅にのぼったのであった。
 
 秀綱は、例の袈裟を秘蔵して離さなかったが、後に愛弟子神後伊豆守が剣道の極意を得たとき、それを賞してその袈裟を与えた。
 
 
 
奥儀は思慮にありー塚原卜伝
 
卜伝流の開祖、塚原卜伝は、名を高幹といい、上泉伊勢守秀綱に神陰流の奥儀を学び、一家を成し、一時、足利義輝に仕えたが、後に下総(千葉)香取で多くの門弟に剣を教えていた。
 
 あるとき、高弟の1人が、道のかたわらにつないである馬の後ろを通ろうとすると、ふいに馬がはねて、かれを蹴ろうとした。高弟は、ヒラリと体をかわしてニッコリ笑った。それをみていた人々は、さすが卜伝の高弟であると賞讃した。ところが卜伝はそれを聞いて、嘆いた。
「さてさて不覚の者よ。そのようなことでは、まだまだ一の太刀を授けるわけにはいかぬ」
 
 人々は、卜伝の真意を理解できなかった。そこで、ひとつ、卜伝先生こそ試してみようとして、ある日、くせの悪い馬を卜伝の通る道につないでおいた。
 ところが、卜伝は、馬の後ろを静かに迂回して通り、この計画は失敗に終わった。後に卜伝にわけをたずねてみると、こう語った。
「馬がはねた時、-飛びのく早業は、なるほど感心のようである。しかし馬は、いつはねるともわからぬものである。その心得を忘れて、うかつに後ろを通ったことは、武芸者としてあるまじきことである。武芸はただ先を忘れず、機を抜かぬをよしとする。それが剣の奥儀である」
 
無 手 勝 流
 
その塚原卜伝が諸国を行脚して大津の阪本から船に乗り、琵琶湖を渡る時のこと、船の中に年の頃、三十七八、容貌魁偉で身の丈の図抜けた武士がのっており、盛んに剣術の自慢話をしている。
 
「わしは多年の修行によって、いかなる天下の名人といえども恐るに足らぬだけの腕前となった」と、大言壮語している。同船の人々もいかにも強そうなその姿に、恐れ入ったという風情で何ともいう者がない。武士はますます得意顔で、船内を見回して、卜伝を見つけると
「おん身も武芸修行者のようだが、どうだ少しは出来るかな」
 と、ケンカを売ってきた。ト伝はしらん顔で
「それがしも武芸を始め、修行は怠らぬが、御身ほどは参らぬ、ただ多年の修行によって、わずかに得るところは、勝つことを好まずして、負けぬ工夫をいたすことが肝要と思うばかりでござる」
 と、いうと、かの武士はカラカラと大笑いして
「何、負けぬ工夫じゃと、小癪な!、その剣法、流名は何と申すか」
 と、あくまで倣慢無礼な態度で挑発するが、卜伝は軽く受け流し
「されば無手勝流と申す」と、答えた。
「ナニ、無手勝流とな。それでは腰の両刀は何のためでござるか」
 
「これは以心伝心の二刀、よく我慢の鋒をさえぎり、悪念の芽を断ったためのもの」
「しからば無手にて人に勝つことが出来ると申すのか」
 
「申すまでもござらぬ。我が心性の利剣は、すなわち禅家のいわゆる“活人剣”でござるが、これに対するもの、悪人なれば直ちに殺剣となりて物の見事に息の根を止めて御覧に入れる」
 
「イヤ、いったな、その大言壮語、さらばいざ一勝負つかまつろう。船頭!、早く船を向う岸に着けい」
 
「イヤ、さほどお急ぎになるならば、あの唐崎の離れ島にて勝負といこう。往来の妨げにもならず、好都合でござろう」
 
 「おお、いいとも」
 
 と、船頭に命じて船を離れ島に着けさせると、その前に武士は、ビラリと島に飛び上って大刀を真向に振りかざし
 
 「さア、来いッ」
 
 と、勢い込んで身構えている。卜伝は静かに両刀を船頭に渡し預けたのち、棒を取ってさて、崖に飛び上るのかと思いきや、グイと一突きその棒を突っ張って、船を島からさっと、離れるとともに
 
「船頭、早く船を漕げッ」
 
 と、沖の方に漕ぎ出てしまった。謀られたりと知った武士は、地団太踏んでんで怒り、息せき切って
「卑怯なり、返せ戻せ!」
「卑怯者!、許さん」
 と、大声で絶叫すること久し。
卜伝は扇を開いて静かに仰ぎながらにこりともせず
「これが我が無手勝流でござる」
 
これぞ殺人剣ではなく禅機を体得するものでなくては決して出来ぬ活人剣である。
 
 
無用の剣・戦わずして勝つ
 
 塚原卜伝が禅機を体得していたことは、所謂無手勝流によっても十分に知られるが、晩年其の秘技を伝えるため、卜伝は三人の息子の心法を試みようとして、小さな木をもってこさせ入口の障子戸の上に置き、もし人が触れればたちまち落ちるように仕掛けて、まず長男を呼び入れた。
 
 長男は入ろうとしたが、木がその上にあるのを見付け、これを取って側に置いてから静かに庭に入り、その木を元のようにした。
 
 さて次に二男を呼ぶと、二男は入ろうとして、忽ち木が落ちて来るのに気づいたので、両手でこれを受けると、又元のようにして置いた。
 
 最後に三男を呼ぶと、三男はツカツカと入って来るなり、木が落ちて来るのに驚き、剣を抜いてこれを斬って捨てた。木は真つ二つになって落ちた。一瞬の間だった。
 
卜伝はこれを見て
「お前は木枠を見て驚くようでは何とする。さがれ。お前は必らず家名を落すようなことになろう」
 と、言ってその技の至らなさを戒めた。そして長男彦四郎が木のあるのを知っても少しも心を動かさず、静かにこれを取り去ってから部屋に入った動作に
 
「お前こそ、その器に真に堪え得るもの」
 とてその秘技を伝え、二男には
「汝、さらに努めよ」
 と、いった。
 
 大巧は拙の如く、技巧を学んで技巧を離れることこそ肝心なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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