日本リーダーパワー史(271)鈴木大拙は1945年『日本亡国の3つの『日本病』を上げたが、これを克服できず日本は再び崩壊中!
日本リーダーパワー史(271)
『日本沈没・崩壊は不可避なのか』-鈴木大拙の一喝!
鈴木大拙(世界の禅者)は1945年『日本はなぜ亡んだか、その
原因を明らかにしなければ新日本建設はできない』と問いー
原因を明らかにしなければ新日本建設はできない』と問いー
3つの『日本病』を上げた。
そして、約70年後。大拙師のいう『日本病』を克服できなかったために、
3/11原発事故を引き起こし、日本は再び亡びつつある。
3/11原発事故を引き起こし、日本は再び亡びつつある。
以下は、鈴木大拙著『宗教と近代人』(桃季書院刊、1948年)の中で「如何に新日本を建設すべきか」の論文で大拙師が上げた、大東亜戦争での日本の敗戦の原因について述べた部分である。
第一、これからの日本人の考へはすべて世界性をその根底に持つべきこと。(グローバルな思想の欠如)
第二、これからの日本人の行き方は人道主義であるべきこと。(ヒューマニズムの欠如)
第三、これからの日本人は何事にも自主的に思索すること。(無思想の日本人)
是等の三つが欠けて居たので旧日本は亡びたのである。
と指摘している。今日の日本の経済的な行き詰まり、原発事故の発生とその原因究明の不徹底とヒューマニズム(生命尊重、人道主義)と安全哲学のないままでの再稼働への見切り発車をみると、鈴木大拙老師のこの文章は千鈞の重みがある。
鈴木大拙著『如何に新日本を建設すべきか』
旧日本は何と云っても亡びたのであるが、ただ亡びただけでは済まない、何故に亡びたかの原因を十分に詮索しなくてはならぬ。この原因を正しく認識することによって新日本建設の土台が据えられるわけである。
それ故、新日本建設の成否は旧日本崩壊の原因認識の足不足に係って居ると云はなくてはならぬ。
「連合軍(GHQ)に敗れて、現に彼等の進駐を眼の前に見て居るのであるから、さうして彼等は民主主義政治を行へというのであるから、その外に何も考へることはいらぬ、彼等のいうままに動いて居れば、それで十分ではないか」と考へて居るものもないではなかろうと想像せられる。
それで近頃はしきりに民主主義・自由主義で、労働者及び勤労者は言論し行動して居るようである。民主が何で自由が何であるか、すべてお構ひなしに、何れもわいわいと騒ぐ、そこにデモクラシイがあるのだと思って居るらしい。
これは何れも、旧日本と新日本のイデオロギイ的相異がどこにあるかを知らない盲動であるとしか思はれぬ。新聞や雑誌などのやたらな考へに乗らずに、ゆっくり考へて、人に先だって憂うる有識者達の所説を聞くべきであらう。
ここでは大体の考へだけしか述べられない、詳細は識者の判断に任せて各自に書き足して下さればよい。それでこの大体の新日本建設の基礎的概念となるべきものを三ヵ条としておく。これらの三項によって、旧日本は亡び、新日本が興らんとするのである。
第一、これからの日本人の考へはすべて世界性をその根底に持つべきこと。
第二、これからの日本人の行き方は人道主義であるべきこと。
第三、これからの日本人は何事にも自主的に思索すること。
是等の三つが欠けて居たので旧日本は亡びたのである。
第一、今までの日本人は日本主義・皇国主義・皇室中心主義など云うもので動かされて居た。これは島国性心理態度から出た主義である。これは軍閥のそだつ温床であった。軍閥は巧みにこれを利用して自己の権力を増長することをはばからなかった。財閥も亦これに共鳴した。国民の大多数もまた両者に追随して、其成功に封して謳歌することを忘れな
かった。すべての物事は順風に帆を揚げるやうであった。しかし日本人は馬鹿ばかりでは出来ていなかった。
彼等のように言動して行けば必ず行詰りに出くはすべきであると云うことを知って、機会あるごとに国民を警告したものも可なりあった。しかし、彼等は軍閥・財閥の発展につれて次第に圧迫を加へられ、最後には口を封じる外なくなった。そう
してその結果は、軍閥と財閥とを挙げて一撃に撃砕されてしまうと云うことになるより外なかった。これが今日、吾等の当面する苦しき事実なのである。
近頃米国の新聞を見ると、ドイツの大文豪、トーマス・マン(今は逃れてアメリカに隠棲中)は、ドイツ人の思想の根底に「騎慢な地方気質」(アロガント・プロヴイソシアリズム)と云うべきものがあると云つて居る。このプロヴィソシアリズムと云うのは、自分の云う『島国性心理態度』(イソシユラリスチツク・メソタリテイ)である。日本だから島国性である、ドイツではヨーロッパ大陸の一部なので、島国性とは云はずに、地方割拠的心理態である、そう云うものが、そのドイツ人の生活意識を裏付けて居ると、ドイツ人その人が云うのである。
そうしてこの心理態が傲慢性を帯びて来たので、自ら他の国と衝突せざるを得なくなった。独りよがりはどうしても隣りの
人々と仲好くして行くわけにゆかぬ。その結果は、こちらが向うを倒すか、向うに倒されるかと云うことになる。独りよがりも悪くはない場合もあるが、それが積極的に一帝国主義的に傲慢性を発揮すると、ぐるりから寄ってたかって袋叩きにせられるのが、おちである。
今頃の戦争はよくこれを証して居る。トーマス・マンはドイツ人の近代的国家主義を以て、古から彼等が抱いて来た世界隔離性、及び悲しき世界不適応の発揚だと云つて居るのは、如何にも適切な表現である。
日本もドイツの通りである。「二千六百年」の島国性心理態は、どうしても世界不適応性と世界隔離性とを根強く国民の間に植え付けずには已まなかった。皇国主義とか八紘一宇主義とか云つて居る限りは、世界の国々と一緒に暮して行けるわけはない。日本は明らかに世界から隔離して、世界と共に生活するには不適応なのであった。
これを悪いと自覚せずに、却って善いもののように心得た、ここに軍閥の思想的欠陥があった。日本今日の苦境は始めから運命づけられて居たのである。
それ故に、これからは何事を為るにつけても、吾等は世界の日本であることを忘れてはならぬ。この戦争は色その意味で各国家の世界的性格がくっきり描き出されるやうになった。第一次の「世界戦争」よりもこの点で特に意味深いものがある。
第二には人道主義である。日本人はこれを忘れて居た。日本人は人情に厚い国民だと云うことは疑はれぬ。良寛和尚だけではないと思うが、雨の日に野中の一本松がびしょ濡れにぬれて居るのを見れば、笠でも被せてやりたい気特になるであらう。「雪の朝あれも人の子樽拾ひ」と云い、「やれ打つな蝿が手をする足を摺る」と云ひ、如何にも優し如何にやさしい人情美である。
忠臣蔵がいつまでも日本人の心を捉へたのも日本人の人情であらう。が、是等の人情的表現には、個人を一つの道徳的存在と見て居ない、その人格に対する尊重の念なるものが少しも感得せられぬ。良寛和尚などの場合には宗教性を帯びて居るので、これは別に考へることにして、忠臣蔵の場合などを見ると、ここには封建気分が横溢して居る、非人道的なものが窺はれる。
君父の仇は不倶戴天と云うので、赤穂城引渡しの後は悲劇に悲劇を重ねること、今日から見て、誠に奇怪千萬なものがある。封建制の非人道主義が各方面に捗りて暴露せられると云つてよいほどであらう。
夫は何の訳なく婦人を離縁する。親は娘を売る。子を励ますのだと云って自らは自害する。親子の縁を切ると云ふことがある。其頃知られて居た限りの術をろうしてスパイ行為をやる。何事も何者も、復讐と云う一目的のために計画せられて居る。
復讐其事が甚だ理に合わぬものであるが、封建制はこれを認めて居たので、目的は手段を選はずに遂行せられることになった。そこには人格尊重など云う考へは少しも見られない。封建制の基礎は個人を滅却させたところに成立つ、さうして個人性のないところには、人格―道徳的存在としての人格―など云うものは、薬にしたくもないのである。
これは共産主義でも同じであると云えるところもある。何故かと云うに、目標がいつも「共」と云うところに置かれて、その「共」を構成するところの「個」なるものが認められないところでは、「個」なるものは存在し得なくなる。「個」が如何なる意味においても「共」又は「全」の前途を塞ぐことがあれば、それは余裕なしに取除かれるべきであると云うのが、「共」又は「全」主義の綱領だからである。蟻群(あり)又は蜂群(はち)の生活には、「個」 のはいるべき余地はないのである。
人道主義は人間の価値を認めると云う思想である。人間は蟻群でも蜂群でもない。集団的生活はしなければならぬ
が、その集団を構成する分子は個性を有するものである。この個性は道徳的意義を持って居る自主的存在である。それで責任又は義務なるものは、人間世界にのみ可能な観念である。動物の世界、本能の世界、「全」主義で統制せられて居る世界では、個人的責任なるものはあり得ない。本能でも何でもよいが、上から又は外からの命令が至上なので、その通りに機械的に行動すればそれでよいのである。
然るに人間には本能的叉は機械的にのみ行動出来ぬと云うものがある、そこに、人間的悩みがある。そうして此悩みは、人間としてはなくてはならぬところのものである。それ故「共」又は「全」思想にのみよりて統制的生活を営まなければならぬ社会は、いつか此「悩み」から崩壊するに極まって居るのである。
此「悩み」は少数の人によりてのみ感ぜられるところのものであるが、それは人間としては感じなければならぬものであるから、その力は頗る強い。人間性そのものから出て居るのであるから、また甚深である。これはどうしても抑へきれないところのものだ。
人間の道徳的・宗教的性格なるものは、実にこの 「悩み」を回って築き上げられて居るのである。今までの日本は全然これを無視して居た。義理と人情とのからみ合ひと云うことがあるが、封建制の下に在った日本人はまだまだ人間の宗教的性格の中心に解れ得なかった。「個」と云うものの眞義に徹しない人とには、人間の「悩み」はわからぬ、随って人間の価値を認識することも出来ぬ。これからの日本人には此面においても飛躍が要求せられる。
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第三に、日本人の最短所である知性的・自主的思索力の向上がない限り、新日本の基礎は固まらない。此事は今まで機会あるごとに自分が強く主張したところである。如何に多くの吾等の同胞が、戦時中は当局の頤使で、一億敢闘を叫んだことを顧みるとよい。彼等の記憶は、ドイツにおける主なる戦争犯罪人の一人であるヘスのように、アムネジアにはかかって居ないはずだ。
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第三に、日本人の最短所である知性的・自主的思索力の向上がない限り、新日本の基礎は固まらない。此事は今まで機会あるごとに自分が強く主張したところである。如何に多くの吾等の同胞が、戦時中は当局の頤使で、一億敢闘を叫んだことを顧みるとよい。彼等の記憶は、ドイツにおける主なる戦争犯罪人の一人であるヘスのように、アムネジアにはかかって居ないはずだ。
さうして、今日は彼等は何を云わんとして居るか。ポツダム宣言に追随するのだと云て、民主主義を連呼しょうと云うではないか。是等の人々は始めから自主的に物事を見ようとも考へようともしないのである。「お上の事なら」と云う塩梅で、殆んど一から十まで他から注入せられた思想で動くのである。
先にも云ったやうに、彼等の行動は殆んど本能的・機械的・他律的なのである。自分から考へ出した思想が皆無であるので、どこからか輸入せぬといけなくなる。それで昨日まで軍国主義・侵略主義で咄し立て、今日からは平和主義・民主主義の太鼓を叩く。思想的ぎょう持なるものが微塵でもあれば、このやうな芸当を眞似るわけに行かないのである。実際を
云うと、自主的に考へることの出来る人々の集団生活が民主主義なるものなのである。民主の主、自主の主の字に注意しなくてはならない。思想的に操持のあるもののみが民主的政経を形成して、これを生かして行くことが出来るのである。それ故、論理の順序は実にまづ自主的に考へると云うことから始まらなくてはならぬ。
云うと、自主的に考へることの出来る人々の集団生活が民主主義なるものなのである。民主の主、自主の主の字に注意しなくてはならない。思想的に操持のあるもののみが民主的政経を形成して、これを生かして行くことが出来るのである。それ故、論理の順序は実にまづ自主的に考へると云うことから始まらなくてはならぬ。
これがあるので民主主義もその内容を持つことになる。民主主義が何だかだと云つて喧燥するよりも、先づ自主的に考へることの習性が出来て、それから民主主義がよければ民主主義、然らざれは、もとの帝国主義、専制主義、共産主義(因に、共産主義は必ずしも民主主義にあらず)へ行くもよいであらう。要は、自らの立脚地を自らで指定することである。
今度の戦争の話を聞かされる毎に、日本人の如何に多くが無思想であったかを知って、只管に驚き入る次第である。いくら軍人でも一かどの将校にでもなれば、何か考へがあるわけであらう。特に参謀などと云えば、戦をするには、敵を知り味方を知らなくてはならぬ位の事は百も承知のはずだ。而して近代の戦争は専ら機械化であり、その背後に一国の生産力・思想的組織力・技術的才能等あることも、わかって居なくてはならぬはずだ。
それにも拘はらず、日本の軍隊が是等の研究において何等の施設をも持たず、準備を有して居なかったと云う事は、素人から見てもあきれ果てると云はなければならぬ。さうして二言目には「軍を信ぜよ、絶対に信ぜよ」と云ったのである。
これがトーマス・マンの云う「アロガント・プロヴィンシアリズム」(傲慢な地方気質)に外ならぬのである。自主的に考へて居ない人はどうしても偏狭で騎慢な見解を抱くやうになる。その結果は世界の仲間入りが出来ぬと云うことになる。世界人としては適応性がないと云うことになるのである。
旧日本は亡びた。が、ただ亡びたと云うことだけを知って居ても、新日本はそこから生れて来ない。新日本の礎石が据えつけられなければならぬ。自分は大体これを上記の三ヵ条に置くべきであると信ずる。
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