『よくわかる憲法改正入門⑧』★『日本占領から日本独立へマッカーサーと戦った吉田茂とその参謀・白洲次郎(2)★『「戦争に負けても奴隷になったのではない。相手がだれであろうと、理不尽な要求に対しては断固、戦い主張する」(白洲次郎)』
『オンライン講座・吉田茂の国難突破力⑦』記事再録再編
世界史の中でも日本人ほどおとなしい非占領国民はなかったと言われるほど西欧コンプレックス打ちひしがれてしまった。
その中で、唯一「従順ならざる2人の日本人」の吉田、白洲のコンビが立ち上がった。白洲は「乱世の男」「非常時の男」であり、戦国武将のサムライの末裔として、ここ一番の勝負に立ち上がった。

対しては断固、戦い主張する」と白洲は「プリンシプル」を曲げず、「自分は必要以上
にやっているんだ。占領軍の言いなりになったのではない、ということを国民に見せるために、あえて極端に行動しているんだ。 為政者があれだけ抵抗したということが残らないと、後で国民から疑問が出て、必ず批判を受けることになる」と共に活動した宮沢喜一(その後、蔵相、首相)に決意を告げていた。(宮沢喜一の証言、「白洲次郎」平凡社、1999年に収録)
白洲がホイットニー(准将・GHQ民政局長でマッカーサーの忠実な部下)に初めて会った時のエピソードが面白い。ホイットニーは「あなたは英語がよくできるね」と皮肉をとばした。すかさず白洲は「閣下ももう少し勉強すれば、もっとうまくなりますよ」といい返した。なりあがりものの君たちアメリカ人よりも、こちらは本場のイギリス・ケンブリッジ大仕込みだとのプライドをしめして、火花を散らした。
その後も互いに、「アトミック」と「ジープウェー」のエピソードなどで、激しいやり取りを続けた。ソ連、オーストラリアなど天皇を処罰せよという姿勢の連合国側の極東委員会のメンバーが来日する前に、マッカーサーは急いで『マッカーサ3原則』を示して、ホイットニーらに新憲法作りを命令した。
1946年(昭和21)年2月13日、麻布にあった外相官邸に幕僚をつれて、ホイットニーがやってきた。ホイットニーは太陽を背にして坐りとマッカーサー草案を吉田、松本、白洲ら日本側に手渡し、「もし内閣が選挙前に適切な改憲案を用意できないのなら、マッカーサー元帥は直接に日本国民にこの原則を示してしまうだろう」と宣言した。 「私の言葉は、すぐに日本人代表たちの表情に変化をもたらした。
●「ジープウェイ・レター」
「あなた方(GHQ)も彼ら(日本側)も同じ目標をめざすものですが、そこに至る道に大きな違いがあります。あなた方はまっすぐで直接的ですが、彼らのものは回り道であり、デコボコ道です。あなた方は航空路(エア・ウェイ)とすれば、彼らの道はジープウェイで、私は両方の考え方もよくわかります。彼らは急激な形で提出された改正案は注意深く、ゆっくりと取り上げなければならないと感じているのです」として、両国の道のりがイラスト付で書かれていた。
しかし、ホイットニーは「この間題は不必要な遅滞を許さない。日本国民が、この憲法を自らの意思で一日も早く世界に宣言して、平和国家への誓いをたてることが、天皇制を守ることになる」と返事して、これを一蹴した。
こうして、GHQの強烈な圧力のもとで、白洲は外務省翻訳官2人と3日間でマッカーサー草案を翻訳した。松本蒸治が飛び上がって驚いたGHQの「天皇はシンボル」というフレーズを「天皇は象徴」と翻訳したのは白洲たちであった。
こんなエピソードも残っている。昭和天皇からマッカーサーに贈るプレゼントを託された。マッカーサーのデスクの回りはプレゼントの山となっており、マッカーサーは、『そのへんに置いていけ』というぞんざいな態度をとった。白洲は「いやしくも天皇陛下からの贈り物である。床などに置くことはできない』と激怒した。驚いたマッカーサーは、すぐさま新しい机を運ばせたという。
●通商産業省(現在の経済産業省の前身)を誕生させた。
さらに、翌23年12月1日、第二次吉田内閣が成立を受けて、GHQの指名もあり商工省の外局であった貿易庁長官に就任した。ここでは輸出、貿易を振興させるために「吉田首相と二人きりの相談から、時の商工大臣にも相談なしで、商工省を通産省に改めたほど、首相の信任を得ている」と週刊誌に書かれるほどの実力を発揮して通商産業省(現在の経済産業省の前身)を誕生させた。この結果、貿易庁も通産省に統合され、1949年(昭和24)年5月には辞任して、こんどは日本経済再建の基礎であるエネルギー政策、電気事業の再編成に取り組むといった具合。
サンフランシスコ講和条約締結の9月8日にはオペラハウスで吉田首相が受諾の演説スピーチを行うことになっていたが、その演説スピーチは「米に感謝、感謝」という内容で、しかも英文で書かれていた。これを見た白州は烈火のごとく怒った。
「講和条約は対等の関係だ。日本が独立するその記念式典で日本語ではなく英語でスピーチするとは何事か」と叱り飛ばした。
1985年(昭和60)11月、83歳で亡くなった。寡黙な白洲らしく遺言は「葬式無用、戒名不用」のわずか2行であった。
●宮澤喜一は語っている。


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